15.恋の手段。
あの夜から二人の関係はよそよそしいものになっていた。
妊娠中は情緒不安定になりやすいらしい。
そのせいで花の様子がおかしいのかと思いながらも、何か悩みがあるのなら打ち明けて欲しいとルークは切に願っていた。
だが、それを口に出す事が出来ない。
もう一度拒絶されることが怖くて触れることが出来ない。
ルークは為す術もなく、他人行儀に微笑む花に向き合うしかなかった。
二人の様子には、周囲の者達も気付き始めていた。
花は心配をかけないようにと明るく振る舞っていたが、それが無駄でしかないこともわかっていた。
いつもと変わらないセレナ達の態度に感謝しながら、それでも花は皆に申し訳なくて、ますます気分は落ち込んでしまうのだった。
――― このままじゃダメだよね。ちゃんと覚悟を決めないと。
ルークとの気まずい昼食の後に一人でお茶を飲んでいた花は、なんとか現実を受け入れようとしていた。
その花の許に、少し興奮した様子のマナが近づいて来た。
「ハナ様、シェラサナード様から面会の申し込みが入っております」
シェラサナードは花と並んで、若い女性達に人気がある。
美しく優しい人柄の元皇女というだけでなく、何よりもあのジャスティンを射止めた女性として憧れる令嬢達は多いのだ。
出来ればこれからすぐにでもという申し込みを受け、花は着替えのために席を立った。
*****
「ごめんなさいね、突然の申し込みで。ハナ様のお体にご負担がなければいいのだけれど……」
「いいえ、もちろん大丈夫です。ありがとうございます」
簡単な挨拶を済ませてソファへ座り、和やかに始まった会話。
シェラサナードは妊娠した花を気遣って何度か訪ねて来てくれているが、白凰の間に移ってからは初めてである。
「素敵なお部屋ね? ソフィアがずいぶん張り切っていたと聞いたわ」
「はい。ソフィアには本当に良くして頂いて……。とても気に入っています」
シェラサナードは居間を興味深げに見回しながら、お茶を淹れてくれたメグが会話の聞こえない位置まで下がるのを待った。
それから真剣な眼差しを花へと向けた。
「最近、ハナ様にお元気がないようだと聞いたのですけれど、何かお心に懸かることがおありになるのではないですか?」
「……いいえ、何も。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
「そうですか……」
思いがけない真っ直ぐな問いに、花は一瞬声を詰まらせたが、どうにか笑みを浮かべて答えた。
シェラサナードはまるで花が否定することをわかっていたように頷くと、急に悪戯っぽく微笑んだ。
「ハナ様はもっと我が儘になるべきだと思うわ」
「はい?」
「ハナ様が王宮にいらっしゃった時からずっとお噂は伺っていましたけれど、ちょっと優等生すぎると思うの。それはハナ様の素晴らしい美点ですけれど、もっと皆を困らせればいいのよ。特にルークを」
「あの……」
「私なんてクリスを妊娠中、なぜか無性に苛々して、ジャスティンにお皿を投げつけたことがあるのよ」
「ええ?」
「だって、ジャスティンったら、格好良すぎるのですもの。腹が立つと思わない?」
「それは……」
わかるような、わからないような言葉である。
そもそもシェラサナード様だって綺麗すぎるじゃないですかと花は突っ込みたかった。
しかし、突然変わったシェラサナードの態度に戸惑う花を無視して話は続く。
「私ね、甘やかされた皇女様だったから、我が儘は得意なのよ」
「まさか……」
「あら、本当よ。ここだけの話なのだけど、ジャスティンに振り向いてもらうために立場を利用したの」
「ええ!?」
「しかも、ルークをダシに使ったわ」
「ルークを!?」
衝撃の事実に、思わず花もくだけた言葉遣いになってしまっている。
そのことに気付かず、花はここ最近の悩み事も忘れて、身を乗り出さんばかりにシェラサナードの話に聞き入った。
「私は物心ついた時からジャスティンが好きだったの。侍女達の噂を聞いて、きっと素敵な方なんだって憧れを抱いて、本物の恋になるのも早かったわ。でも、どうにかして近付こうとしても、あの子……リリアーナが常に側にいてキンキン鳴くし、ジャスティンはジャスティンでいつも礼儀正しく挨拶してくれるだけ。他の女性達よりも却って不利なんじゃないかって焦ったの。だから……」
「だから……?」
「お父様にお願いしたの」
「ええ!?」
「もちろん、私を好きになるようにお父様に命じてもらったんじゃないのよ。ただもっと距離を詰めたかっただけ。それで、ルークの教育係にぴったりだって、お父様を説得したの。当時、ルーク達三人が通っていた学院をディアンが……いえ、とにかくちょっとした事情でルークとユース家の双子に教育係が必要だったのだけれど、誰も長続きしなくて……。ジャスティンなら申し分なく、あの三人を手なずけるだろうと思ったの。でも大失敗だったとすぐに後悔したわ」
「なぜですか?」
ディアンが一体何をしたんだろうと気になりはしたが、それ以上に続きが気になって、話の腰を折れなかった。
そして、花の問いには予想外の答えが返ってきた。
「ジャスティンがルークに夢中になってしまったの」
「……え?」
「何て言うか……ルーク命って感じかしら? ジャスティンが三人と過ごす時などに、何かと理由を付けてルークの側にいても、私には目もくれないのよ。いっそのこと、床に寝転んで泣き喚こうかと思ったわ。そうすれば少しは注目してくれるかも知れないって。でも結局ジャスティンが……あら、これ以上は内緒ね」
「そんな、気になります」
一番良い所で話は終わってしまい、花は珍しく不満そうな声を出した。
それでもシェラサナードは首を横に振って、また悪戯っぽく微笑んだ。
「ここまで言っておいて、ごめんなさいね。でも、ここから先は私だけの大切な思い出にしておきたいから。ハナ様にもおありになるでしょう?」
「……はい」
シェラサナードの問いかけに、花は納得して頷いた。
もちろん花だけの秘密にしておきたい大切な思い出はたくさんある。
たくさんの愛と幸せをルークはくれたのだから。
そのことに気付くと、重たかった花の心はようやく軽くなっていった。
「時には我が儘も必要なのよ?」
最後にそう付け加えると、シェラサナードはゆっくりと立ち上がった。
続いて花も立ち上がる。
「ハナ様、今日は私ばかりおしゃべりしてしまって、ごめんなさいね。お疲れにならなかったのならいいのですけど」
「いいえ、楽しいお話をありがとうございました。なんだか元気が出てきました」
我が儘は悪いことだとずっと思っていたけれど、少しくらいなら許されるのかも知れない。
それでも花の願いは行き過ぎている気がする。
怯んでしまいそうになる心を奮い立たせ、花は我が儘になってみることを決意した。
そしてシェラサナードを見送った後、ルークへの言伝をセレナにお願いしたのだった。




