14.見通しの甘さ。
無意識にお腹をゆっくり撫でながら、花は窓辺でぼんやりとしていた。
今日は気温が高いらしく、外を行き交う人々は心なしか暑さにばてているように見える。
その中で涼しげに過ごしている人達は、魔力がかなり高いのだろう。
自分の周囲の気を魔法で調整しているのだ。
花にはそれ程の魔力はないが、王宮内は適温に保たれているので、外気に触れなければ不快に感じることはない。
それでも花はどこか憂鬱そうに小さく息を吐いた。
とそこに、セレナの声がかかる。
「ハナ様、ニコラウス殿下がいらっしゃいました」
「……わかりました。お通しして下さい」
セレナへと感謝の笑みを向けた花は、ニコスを迎えるために窓辺から離れた。
*****
優しいシューラの音色に時折混じる、ぎこちない音。
どうやら花にはニコスに加えて、新しい生徒がもう一人増えたようだ。
思わずつまずいてしまいそうな音が聞こえても、レナードやセイン達は柔らかな笑みを浮かべていた。
「今日はマリーもシューラの弾き方を教わっているようですね?」
「ああ。マリーはニコス殿下とは同齢だからな。仲良くなれればと思って、ハナ様にお願いしたんだ」
ディアンの問いかけにレナードは頷き応えた。
レナードとしては、この仮初めの婚約の間に、マリーが心から望む相手を見つけて欲しいと思っているのだ。
しかし、周囲の者達はレナードの鈍さに溜息を洩らした。
――― 甘い、甘すぎるぞ、レナードよ。
セインやグラン、そしてガッシュさえもが心の中で嘆いた。
いつも損な役回りばかりのレナードではあるが、普通に見ると、地位、家柄、人柄、容姿と欠点がないどころか、最高水準にある。
だが、背後に控えるディアンの存在によって、令嬢達から積極的に迫られることもなく、本人にも自覚はないのだが。
そのレナードが婚約者として傍にいるのだから、マリーが他の誰かに、しかもガキ臭い――いや、頼りない同年代に恋をすることなどまずないのだ。
マリーが成人した頃には、ディアンとアンジェリーナが張り巡らした包囲網は確実に狭まっているだろう。
そんな鈍感レナードから視線を外し、ガッシュが焦れたように誰ともなしに問いかけた。
「それにしても、ヴィートは本当に戻って来るのか? 未だにどこからも報告がないぞ?」
待つことはガッシュにとって苦行に等しい。
応えてセインが申し訳なさそうな顔を向けた。
「あの子はいつも忘れた頃に戻って来ますから」
「嵐の前の静けさ……とは、よく言ったものですよね。まあ、出来得る限りの対策は講じておりますし、心配はいりませんよ。それに私の予想では、今回の被害は超局地的となるでしょうから。陛下もそう思われるでしょう?」
「……」
笑みを含んだディアンの言葉に、ルークが頷くことはなかった。
サイノスの街には七不思議が存在する。
一夜にして突如消えた学院男子学舎の怪、東街広場にある噴水が時折水あめを噴き出す謎、次々に姿を消していった菓子職人達の行方、などなど……。
もちろん菓子職人達は無事であり、自ら望んで姿を消しているのだが、それを知るのはごく一部の関係者のみ。
そして何より、王宮中が震撼したあの笑えない珍事件。
訳のわからないヴィートの奇行に近々必ず付き合わされる羽目になることを思うと、ルークには溜息しか出なかった。
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白凰の間は、ソフィアの趣味――娘が欲しかったという夢がふんだんに盛り込まれている。
寝室は淡い色を基調に女性らしい華やかな装飾で彩られており、その中で花は長椅子に座って本を読んでいた。
寝支度を整えた花の纏った、ゆったりとした肌触りの良い夜着は、カルヴァ侯爵家として用意してくれたもの。
ちなみに、花がルークの側室となったばかりの頃に贈られた、スケスケ夜着はソフィアが見繕ったらしく、未だにセインはその内容を知らないらしい。
しばらくして、花は読むことを諦めて本を閉じた。
少しも内容が頭に入らないのだ。
かなり丸みをおびてきたお腹を撫でながら、花は書物机の抽斗に視線を向け、すぐに逸らしてどこか悲しげに目を伏せた。
――― 赤ちゃんが動いてるのがわかると、きっと元気が出るのになあ。
そろそろ胎動が感じられるはずだと医師からは告げられている。
花のように細身だとその時期も早いことが多いと聞いていたのだが、どうも通常より遅いようなのだ。
――― 私が鈍いだけなのかなあ? 赤ちゃんは元気だから心配はないって先生は言ってくれたけど……。
「もしもーし」
お腹に向かって呼びかけてみる。
が、やはり反応はない。
その様子を後ろから見ていたルークは微笑み、驚かさないようにそっと声をかけた。
「ハナ」
しかし、残念ながら花はビクリと肩を大きく揺らした。
それから何度か深呼吸をしてゆっくり立ち上がると、振り向いて近付くルークに微笑んだ。
「……ルーク」
その応えた声、浮かべた笑みに、なぜか違和感を覚えてルークは眉を寄せた。
「何かあったのか?」
「え?……いいえ、何も……」
ルークから目を逸らして答えた花は微かに震えている。
顔色もどこか青白く、心配になったルークは視線を合わせようと、その柔らかな頬に手を伸ばした。
瞬間――。
「いやっ!」
花がルークの手を振り払った。
驚きに鋭く息を呑んだルークだったが、それ以上に花は自分の行動に愕然としていた。
「……ハナ?」
「す、すみません。あの……ちょっとびっくりして……」
「大丈夫なのか?」
「は、はい。ごめんなさい」
「謝らなくていい。それよりも……本当に何もないのか?」
必死に呼吸を整えようと胸とお腹に手を当て謝罪する花に、ルークはどうにか言葉を継いだ。
初めて花から拒絶された衝撃は大きく、まともに考えることができない。
「何も……何もないです。その……考え事をしてたので……」
「……考え事?」
ただ反射的に訊き返しただけのルークに、うろたえた花は俯いたまま、適当な答えを必死に探した。
「あの……セ、セレナとランディは……どうしたら上手くいくのかなって、考えてて……」
いくら動揺していても、さすがにそのあからさまな嘘にルークは気付いたが、追及することはなかった。
「それは……難しいかも知れないな。あの二人は真面目すぎる。お互い、己の立場をわきまえているから、何かよほどのきっかけがなければこのままだろう。だが、俺達がどうこう出来る問題でもないしな」
「そ、そうですよね……」
頷いた花は逃げ場を求めて寝台へと目を向けた。
「もう……寝ますね。おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
はっきりとはわからないが、何かが今までと違う。
結局、花はルークと目を合わせることなく、寝台へと向かった。
その後、ルークは寝息を立てる花にそっと触れるだけで抱き寄せることも出来ず、眠れないまま夜を明かしたのだった。




