11.人の恋路。
――― うーん。やっぱりお腹に直接当ててると、赤ちゃんがびっくりするかなあ……。
先程まで、花はセルショナードから遊学中の王弟ニコスとシューラを弾いていたのだが、今までのように構えるとどうしてもお腹に当たってしまい、気になって何度か失敗してしまったのだ。
ニコスを見送った後、どうしたものかと考えていた花の許に、新米侍女のメグが近づき、遠慮がちに口を開いた。
「あの、ハナ様……。実は、今すぐにと面会の申し込みが入っているのですが……」
「今すぐにですか?」
「はい。ですが、あの――」
「ジャジャーン! ハナ様の騎士参上!」
困惑した様子のメグの言葉に強引に割り込んだのは、呑気で陽気な声。
花は驚くことなく、声の主へといつもの微笑みを向けた。
「お久しぶりです、ザック。よくここまで入って来れましたね?」
比較的出入りが自由なマグノリア後宮だが、他国の者が簡単に入ることはさすがに出来ないはずである。
「ああ、それはあれですよ。人徳? みんなが道を開けてくれるんですよね」
「バ~カ! それは俺様がいるからだよ!」
「……申し訳ありません、ハナ様」
相変わらず偉そうに登場したアポルオンの後ろから、近衛騎士の一人が謝罪の言葉と共に現れた。
白凰の間はかなり広いので、訪問者の取り次ぎにも少々時間がかかるのだが、ザックとアポルオンは許可が下りる前に押し入ったようだ。
もちろん、近衛達も普段ならこんなに簡単には通さないが、ザックとアポルオンに関しては、ルークをはじめとした皆が色々と諦めている。
「アポルオンさん、お久しぶりです。戻っていらっしゃったんですね?」
もう二度と戻ってくるなと、ディアンに放り出されたと聞いていたのだが、アポルオンは花の言葉に当然だろうという顔をした。
「お優しいディアン様は魔宝の縛りがなくなった俺に、森が恋しいだろうと帰るように言ってくれたけど、本当は寂しいに決まってるだろ? だから、みんなにはちょっと会っただけで、すぐに帰ってきたんだよ」
「……そうですか。それはまた面倒な……いえ、大変なご決断をされましたね」
「まあ、俺はディアン様が喜ぶなら、一生仲間に会えなくてもかまわないからな。けど今は大事な話し合いの途中だとか何とかで、ルークの結界が強くてディアン様に会いに行けないんだよ。それで姫さんとお茶でも飲もうと思ってな」
花はアポルオンの言葉を軽く聞き流して頷くと、お茶を頼もうともう一人の新米侍女のマナへと振り向いた。
が、マナはメグと共に、さっそくザックに口説かれていた。
「……へ~。最近なんだ? 婚約者は? 恋人は? え、いないの? じゃあさ、俺なんてどう?」
「え? あの……」
「それはちょっと……」
当たり前だが、二人はかなり引いている。
そこにセレナとエレーンが所用を終えて戻って来た。
「ザック様、アポルオン様、お久しぶりです」
エレーンは見事な愛想笑いを浮かべて簡単な挨拶をすると、さっそくお茶の用意に取りかかった。
すると、メグとマナもザックを振り切り、慌てて手伝いに駆け寄る。
セレナも小さな声で挨拶をしてやり過ごそうとしたのだが、ザックはすばやくその右手を取り、片膝をついた。
「君ほど素晴らしい人が、未だに指輪を贈られていないなんて、この国の男どもは間抜けだと思うな。やっぱり俺のっ――!?」
「おっと、失礼。転移する場所を少々誤ったようです」
「ランディ!?」
「ランディ様!?」
突如姿を現したランディは、潰れたザックから降り立つと、姿勢を正して驚く花へと深く頭を下げた。
「ハナ様、転移での突然の訪問をどうかお許しください」
「い、いいえ。それはかまいませんが……」
ランディの謝罪に応じながら、花はちらりとセレナを見た。
セレナは顔を赤くして立ち尽くしている。
そしてザックは、のそりと起き上がるとランディに無邪気な笑顔を向けた。
「あれえ? ランディ殿、転移する部屋を間違えたんすか? やっぱり間抜け……いや、うっかりさんだなあ。さっさと陛下の許に戻った方がいいっすよ」
「いいえ。ザック殿、ご心配には及びません。陛下より直々に、こちらにバカが二匹迷い込んだので様子を見て来るようにと、命じられたのですから」
「へ~。そりゃ御苦労様です」
二人の穏やかなやり取りを皆が息を吞んで見守っている。
その中で花はどうしたものかと悩んでいた。
――― これが世に言う、修羅場ってやつかな? でも、私はどうしたらいいんだろう……。
この場の責任者として治めた方がいいのか。だが、争っているわけではない。
そもそも色恋沙汰は下手に第三者が口を挟むものでもないだろう。
どこまで本気なんだろうとザックを見た花は、袖からのぞく腕に青アザがあることに気付いた。
「……ザック、その腕のアザはどうしたんですか?」
「へ? ああ……。ハナ様ってば、聞いてくださいよ~。私ね、魔族達の鏡を割ったことを謝りに行ったじゃないですか。不可抗力だったんだから、ちゃんと謝罪すれば許してくれると信じて」
「……許してもらえなかったんですか?」
話題が変わったことに花はホッとしながらも、今度はザックの言葉に心配になった。
が、動揺した花の問いかけには、なぜかアポルオンが答えた。
「いいや、じいちゃん達も笑って許したぞ。むしろ、この前のことを詫びてくれたんだよなあ?」
なんでも、祝福の鐘の音は果ての森にまでも届き、その奇跡に驚いて心央へと集まった魔族達の許に、ユシュタルが降り立ったというのだ。
その時に下された宣託は、魔族達の新たな掟となった。
しかし、人間達にその詳しい内容を知らされることはない。
「で、こいつってば、その帰りに森で見つけた馬に乗ろうとして蹴られたんだよ」
「ああ、なるほど」
笑いながら続けたアポルオンの言葉に、皆が思わず納得の声を上げた。
確かに、青アザは蹄の形をしている。
それをザックが慌てて否定した。
「いや、馬じゃないっすよ! 聖獣の一角獣です! 誰だって取り合えず乗ってみようと思うでしょ!?」
「そんなことを思うのはバカくらいだ」
ぼそりとランディが呟く。
ザックはそれを無視して、アポルオンを指差した。
「お前だって、蹴られただろ!? 聖獣に!!」
「あれはお前が止めるからだろ? 青鹿は煮て食うと旨いのに、お前のせいで捕まえそこなって蹴られたんだからな。見てみろよ。これ、未だに痛むんだぞ?」
「……」
アポルオンは着ていた上着の裾を持ち上げて、アザの出来た脇腹を見せた。
少し分かりにくいが、褐色の肌に鹿の足跡が青アザとなって浮かんでいる。
皆が「聖獣を食べようとするなよ」と無言で突っ込む中、花は苦しんでいた。……笑いを堪えて。
馬と鹿――合わせて“馬鹿”。
絶妙な笑いのツボにはまってしまった花は、ついに我慢できずに口を押さえて急ぎ寝室へ駆け込んだ。
「ハナ様!?」
突然の花の行動に誰もが驚き心配した。
漢字の存在しないユシュタールでは、残念ながらこの笑いを共有してくれる人は誰一人いないのだ。
そしてその後、すぐさま呼ばれた医師によって診察を受けることになった花は、酷く恐縮してしまったのだった。




