番外編.レナードの未来。
小鳥の囀る声で目覚めたレナードはそのまま窓辺へと行き、勢いよくカーテンを開けた。
外は明けゆく太陽の爽やかな光に包まれている。
いい一日になりそうだと――。
「思えない……」
ガックリと肩を落として小さくぼやいたレナードの背後から、涼やかな声が聞こえた。
「おや、レナード。朝から元気がないですね? 何か悩みがあるのなら、この兄に打ち明けてみなさい」
「その兄が、俺の安眠を妨害するからだろ? むしろ、俺の人生を妨害してるんだよ!」
「なるほど。では、かわいい弟の為に、この兄が明るい未来を用意して差し上げましたから、喜びなさい」
「いやいや、そうじゃなくて……」
「客人を待たせては申し訳ありませんからね。さっさと支度を整えて居間に来るように」
「客人って誰だよ? こんなに朝早くから……」
訝しげに眉を寄せて居間の気配を探ろうとしたレナードに、続いたディアンの言葉は大きな衝撃を与えた。
「それはもちろん、貴方の未来の奥方ですよ」
レナードの顎が落ちた。――ように思われたが、それは一瞬で、すっかり顔色を失くしたレナードがディアンへと詰め寄る。
「いやいやいや、ちょっと待て! 俺の奥方って、おい! ディアン!!」
切迫したレナードの抗議の声は、早々に姿を消したディアンが寄りかかっていた壁に当たって虚しく散った。
*****
レナードは非常に重い足取りで客人の待つ居間へと向かった。
できればこのまま逃亡してしまいたい。
――― そうだ!! そうしよう!!
扉の前で決意を固めたレナードは転移しようとしたのだが――。
「レオナルド、何をしているの? 早くお入りなさい」
凛とした母の声が室内から聞こえた。
居間の様子を探れば見知らぬ女性のものと母の気配が感じられた為に、レナードの足を更に鈍らせていたのだ。
母とディアンが結託している以上、もはや逃げ場はない。
レナードはゴクリと唾を飲み込むと、扉を開いた。
「レオナルド、遅いわよ? 私達をこれほどに待たせたんだから、その償いは十分にしてくれるんでしょうね?」
ゆっくりとした口調でたしなめる母――アンジェリーナの言葉をレナードは聞いていなかった。
アンジェリーナの隣に座る人物を、ただ呆気に取られて見つめていたからだ。
せっかくの美形が台無しの間抜けな顔だったが、口が開いていないだけ幸いだろう。
「レナード」
アンジェリーナ達の向かいに座ったディアンの、当主らしい少々厳しい声に、ようやく我に返ったレナードは慌てて姿勢を正すと、紳士らしく挨拶をした。
「おはようございます、母上」
ソファに浅く腰かけるアンジェリーナの足元に膝をついて、差し出された手を取り口づけたレナードは立ち上がると、隣に座る人物の紹介を待った。
「おはよう、レオナルド。こちらは私が懇意にさせて頂いているフォスター伯爵家のお嬢さんで、マリアンヌ。それでこちらが私の愚息、レオナルドよ」
紹介されたマリアンヌはレナードに視線を向けられて頬を赤く染めると、勢いよくソファから降り立ち、淑女らしく……あろうと努力して膝を折った。
「は、はじめまして、レオナルド様。私、マリアンヌ・フォスターと申します。どうぞマリーとお呼び下さい」
フォスター伯爵の名前を聞いて瞬時に色々な考えを巡らせていたレナードは、可愛らしい挨拶をしたマリーに意識を集中させた。
「はじめまして、マリアンヌ嬢。では、遠慮なくマリーと呼ばせて下さい。そして私のことはレナード、と呼んで下さい」
「は、はい」
柔らかな微笑みを浮かべたレナードの優しい言葉は、最後の方だけ妙に力が入っていた。
アンジェリーナは向かい合って挨拶を交わす二人の様子を見て、満足そうに微笑む。
「二人はとってもお似合いね」
「いや、お似合いって母上……」
困惑するレナードに、アンジェリーナは美しい形の唇を尖らせた。
「まあ、レオナルド。何が不満なの?」
「いやいや、不満とかそういう問題ではなく――」
「レナード」
マリーが立ち上がったのを受けて同様に立ち上がっていたディアンは、うろたえるレナードの言葉を遮り、不安そうに佇むマリーに優しく話しかけた。
「マリー、朝食までにしばらく時間がありますので、よろしければこの屋敷自慢の庭をご覧になって下さい。レナードが案内しますから」
「は、はい」
緊張した面持ちで答えたマリーからレナードへと視線を移したディアンの眼差しは、有無を言わせない迫力があった。
マリーを前にして、失礼な態度をとってしまった自覚のあるレナードは何も言えず、ただ黙って頷く。
それを見届けて立ち去りかけたディアンが、何かを思い出したようにレナードへと振り向いた。
「ああ、そうそう。陛下には貴方の休暇願いをちゃんと出しておりますので心配はいりませんよ。許可も先ほど頂きましたから。三日分の」
「三日!?」
驚くレナードの背中を今度はアンジェリーナがぽんと叩いた。
「マリーはサイノスの街は初めてだから、しっかり案内して差し上げて」
そして扉を開けて待つディアンの前まで歩んで立ち止まる。
「じゃあ、あとはお若い二人で楽しんでね」
爽やかに微笑んで居間から出て行ったアンジェリーナの後に続いたディアンも、やはりよく似た笑みを浮かべたまま音も立てずに扉を閉めた。
「お若い二人って……」
小さく呟いたレナードは、真っ赤になったマリーの顔を見下ろした。
マリーは小刻みに震える体を懸命に抑えようと、ぎゅっと手を握り締めている。
これ以上マリーを不安にさせないように、レナードは穏やかに微笑んで手を差し出した。
「では、マリー。朝食の準備が整うまでの間、まずは中庭を案内するよ」
ディアンとアンジェリーナに言いたいことは山程あるが、ひとまずは全て飲み込み、覚悟を決めたレナードだった。




