第二十話 真
「…いかない。今日は…今日だけは、絶対真と一緒にいるっ!真と出掛けるっ!」
言った。
…言ってしまった。
「…休んで遊びに行くの?平日に学校サボって、どこに?」
静かな母の声が重い。
見据えられるような目が、私の首を真綿で締めるよう…。
手が震える…。
膝だって同じ。
「…それは…」
僅かに俯き、母から目を逸らす。
「瑠璃っ」
「はいっ!」
母はそれを許さない。
心臓が悲鳴をあげそう…
怖い…
でも、だからって。
私にわかる事は、怒られてるんじゃないって事。
求められてるんだっ。
『目を逸らさない事』
『嘘を吐かない事』
『自分の意思をはっきり伝える事』
それを、今…真剣に。
「…」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
それを2度3度と繰り返し、心と頭を落ち着ける。
目を瞑り、真の顔を思い浮かべ、彼…彼女のこれからの心情に思いを致す。
そして、私の心に問う。
『あなたは何がしたいの?』…と。
胸に手を当て、両手を重ね、もう一度大きく息を吐く。
『瑠璃っ』
真が私を呼び、笑顔をくれる。
小さい頃からずっと…
私が望んだ時に、いつでも笑顔をくれた。
でも、私はそれだけに甘えて…
だから、真は離れてでも、私に友達を作らせたかった。
私の世界を広げ、もっと違う世界に触れさせるために。
…やり方は、ヘタだったけど。
でも、それは私も一緒。
私たちは、お互い不器用で
大事な事を相手に伝えてなくて
それですれ違って、勝手に傷ついて
取り返しがつかなくなる寸前になっても、反省なんかしてなくて
でも、言葉を交わせば、昔と変わってない。
そこにあるのは、安心。
でも、もっと必要なのは…
『後悔しない選択を、真剣に考えて相手に伝える事』
…だよね。
ありがとう、お母さん。
小さく頷き、目を開く。
息を大きく吐いて、母の目をしっかりと見つめ返す。
その瞳の奥にある愛情。
その強さを、噛みしめながら。
「お母さん、私、後悔したくない。…真がこの先、どこに行っても、今日この日に一緒にいなかったら、私は絶対後悔する」
ひと言ひと言、確かめながら言葉を紡ぐ。
「真が転校して、電話しか出来なくなったら、今日会わなかった事をずっと悔いるの。『なんであの時、一緒にいなかったんだろう』って」
「真が帰って来ても、どこかで遠慮して、それがまたすれ違いになって。今度逃げたら、きっともう元には戻れない」
「そしたら、私は…ううん、私も真も、ふたりとも後悔する。逃げて、逃げて、逃げた先にある未来なんて、幸せなわけないもの…」
「だから、今日は絶対に真と一緒にいるっ!ふたりで、買い物するの。真の為に、コスメを見るの。メイクの仕方を教えてあげるのっ!…転校した先で、真が困らないように」
「…」
ひと息に話し、少しだけ息を継ぐ。
「それに、離れてた間も埋めたいの。一緒に見ようって約束してた映画があるの。一緒に食べようって笑ったカフェランチがあるの。一緒に見ようって言った、景色があるのっ!」
「…全部全部、真と一緒じゃなきゃ、ダメなんだよ。…一緒に思い出にしなきゃ、ふたりとも後悔しちゃうんだよ」
そこまで言葉にして、視界が滲んでいることに気が付いた。
握った両手は、痛みを感じるほど。
頬を伝う涙はスカートの上に大きな染みを作り、それでも歯を食いしばって母の目を見る。
「私…後悔したくない」
鼻が詰まって、口でしか息が出来なくて、苦しくて苦しくて…声なんか出したくないのに。
それでも…
「私…真と一緒にいたい。離れなきゃいけなくても、それでも一緒にいたいっ!」
「…今日しか時間がないなら、その時間を、真との思い出に使いたいっ!!」
最後は、もう叫んでいるようなものだった。
…洗面所で歯磨きしていた琥珀が、驚いた顔で飛んできたのだから。
「お姉ちゃん…どうし…」
目を真ん丸にした琥珀が、私を見て手にしてた歯ブラシを落としそうになる。
それでも話そうとした琥珀を、母が制す。
「琥珀。お姉ちゃんは、今大事な事を話してるの。…心配ないから、支度なさい」
私と母、両方の顔へ何度か目を走らせ、
「うん、わかった…」
そう小さく呟いて、洗面所に戻っていった。
台所のドアが閉まったのを見て、母は席を立つ。
グスグスと鼻を詰まらせながら涙を流す私の横を抜けて、リビングにある本棚…その棚にあるケースから、何かを取り出す。
そして、私を椅子に座らせて、改めて父の椅子に腰を下ろした。
「ふぅ」と息を吐き、私の目を見つめる。
それは、先ほどまでの厳しい目ではなく、いつもの優しい母の目。
「瑠璃」
「…ぐ、はぃい…」
翻って、私は涙と鼻水で顔はグチャグチャ。
とても見れたものじゃない。
…こんな顔じゃ、真に会えない…。
「これを…」
そう言って差し出したのは、私名義の銀行のカード。
…でも、こんな口座、私は知らないんだけど?
「…これ、は?」
まだ涙でちゃんと喋れてる感覚がない。
それでも母は気にせず話を続ける。
「それはね、あなたのアルバイト代が入ってるわ」
「…バイト代?」
母はゆっくりと頷いて、言葉を続ける。
「お祖母ちゃんが亡くなって、うちの蜜柑山、手入れが出来なくなってたでしょ?…お父さんも、土日にひとりでは手が回らなくってね」
そうだ。だから、私は手伝いを買って出た。
…でも、そんなの家族なんだから当たり前では?
「…そうね。でも、家業なんだから、手伝った分はちゃんと手当にしようって、お父さんがね。…大体、瑠璃は『手伝いがあるから』って、部活もバイトもしてないでしょ?」
うん、まぁそう…だね。
「だから、それくらいはね。…瑠璃が手伝ってくれるから、お父さんも蜜柑山を続けられるのよ」
そうなのかな?
「そう。だから、そこにあるお金は、あなたの責任で使いなさい。使い道について、お父さんも私も、口は出さないわ」
「…お母さん」
泣き止み、やっと鼻が通って声が出せるようになった私。
カードを受け取り、握り締める。
「…好きになさい。何か言われたら、ちゃんと許可は取ったと言えばいいわ。それでも何かあれば、電話なさい。私が言ってあげるから」
そう言って笑う母。
…うん。
「さ、顔を洗って、真くんのところに行きなさい」
「…うん。行ってきます」
…
2週間後。
期末試験の最後の日に、真の転校がクラスのみんなに伝えられた。
「なんで!?」
「どういうこと!?」
クラスのみんなにも動揺が走る。
そして、私の元にも皆が群がる。
主に、女の子たちが。
「瑠璃は何か知らないの?」
「真くんは、どこに転校したの?」
そして、男女を問わず、最後に言われるのは、決まってこれ。
『なんで教えてくれなかったのっ!!』
…言える訳ないじゃん。
私だって、真がどこに転校したのか、知らないのに。
そもそも、女の子になったなんて言える訳ないし、信じるわけないでしょうに。
だから、私の答えはいつも決まってる。
『私も知らないの。連絡だって出来ないんだし…』
でも、ついに最大の問題が来る。
期末試験の最後。
最後の科目が始まるその直前に、バタバタと大きな足音が。
『うわっ!』
『危ないなっ!』
『なんなんだよ、お前っ!!』
ぶつかり、転ぶような音と共に教室の扉が勢いよく開かれ、荒い息を切らした生徒が、そこに立っていた。
「…祐也」
真の親友。
私の、もうひとりの幼馴染。
そして今回、裕也には、真が女の子になった事を知らされてない。
Lineとかでは連絡してたけど、会話なんかはバレるからって避けてたんだ…。
学校で伝えられる前に、転校の事は話しておくべきだったかな…。
些かバツの悪い顔をしていると、とんでもない剣幕で詰め寄って来る。
「おい、瑠璃っ!どういうことだよ!?…真が転校って、お前知ってたのか?」
「う…うん。真から…は、聞いてないよね」
いつもの飄々とした、掴みどころのない祐也とは思えないような、激しい怒りを露わにして詰め寄る。
それでも、私が女だという事だけは忘れてないみたいで、掴みかかるような事はない。
…けれど、普段から祐也と仲の良い、柚葉や碧さんまでが驚き、逃げそうになるほどには激高している。
机を殴らんばかりに掴み、圧し掛かるように詰め寄る。
「どういうことだよっ!」
「…ごめん」
私は、謝る事しかできない。
「真に何があったんだよ!…俺にも言えないのかよっ!?」
「…ごめん」
「…なんなんだよっ!俺は邪魔者扱いか!?…瑠璃、お前…俺が真と仲良いの、妬んで教えなかったのかっ!?」
「…」
…そんなわけない。
でも、それなら言わなかった理由で納得させなければならない。
それで祐也が納得しても、真の秘密を暴露することになってしまう。
そんなことになれば、真が戻って来た時に、彼が奇異の、好奇の目に晒されるだけ。
私に、そんな事が出来るわけがない。
だから…。
そうだと。
私の我儘で、祐也を除け者にしたと言って、祐也には私を恨んでもらおう。
私が泥を被るだけで、真が将来帰って来た時に守れるのなら、こんなに安いものはない。
それでいい。
それで…。
「…ねぇ、祐也くん。…やめてあげて。瑠璃だって、知らない事だらけなんだから…」
「…柚葉」
「…柚葉ちゃん」
そうだ。
柚葉の言う通り。
私だって知らない事はいくらでもある。
幸い、真は私に連絡はくれる。
でも、どこにいるかは教えてくれない。
ビデオ通話しても、背景は消してるんだもの。
「ね?祐也くん。そんなに怒らないで?私が好きな祐也くんは、そんな乱暴な人じゃないでしょ?」
…ん?
柚葉…今、なんて言ったの?
「…でも、俺、あいつの…真の事、親友だと思ってたんだよ。…それなのに」
「…だからって、瑠璃に当たっても仕方ないよ。瑠璃だって、教えられない事くらい、あるよ…」
「でも…」
「祐也くんだって、私たちの事、瑠璃や真くんには内緒にしてたでしょ?それと一緒だよ」
「…」
あ~・・・えっと。
「…祐也、ごめん。私が悪かったわ…。そうよね、祐也は真の親友なんだから、一番最初に頼って欲しいよね…」
「…あぁ」
「でもね。…大事な親友だから、言えない事だってあるの。…それは、わかってあげて」
「…それは。…うん、悪かった」
うん、祐也は祐也だ。
真の、大事な親友だ。
苦しくても、口惜しくても、真を信じてるから、我慢が出来るんだ。
『すごいな、祐也は…』
羨ましい。
私は、そんなに強くなれないもの。
今だって、真の顔を見る度に泣きたくなるのにね…。
「…真から連絡があったら、祐也が心配してたって伝えるわ。…だから、今はそれで我慢して。…お願い」
「…」
「祐也くん、あたしからもお願い。瑠璃を信じてあげて?」
「…」
「ね?真くんと同じ、大事な幼馴染なんでしょ?」
「…」
祐也は拳を握り締め、天井を仰ぐ。
奥歯を噛みしめながら、怒りのやり場に困っているのはよくわかる。
それでも
何度か深呼吸をして、肩から力が抜けていくと、いつもの掴みどころのない祐也が帰って来た。
多分…いや、間違いなく内心穏やかではないけれど、一応は私の言葉を信じてくれたのだろう。
「瑠璃…すまない」
そう言って頭を下げる。
そして、クラスのみんなにも。
少しだけ息を吐く。
『真…あなたがいなくなって、みんな戸惑ってるよ…』
『あなたの事を心配してるよ。…みんなも、祐也も』
だからさ…
早く帰って来てよ…。




