第二十話 天上
「……実に奇遇だな」
そう言って、リュクスが片手でもう一本、マッチに火を点ける。
「かような水の底で、貴公らと再び相見えようと――は……」
リュクスの両手が軽く交差して、二本のマッチが地面に落下して消えた。
「それで――、一体何事かね? 吾輩の手助けが必要なのだろう?」
クリアはマッチの火を一切見つめることなくリュクスに質問を投げかけた。
「まず俺の質問に答えろ。……何でお前がここに居る?」
「見てわからないのかね。貴公らも同じ目的で此処を目指したと思っていたのだが。仕方あるまい――」
心底不機嫌そうなクリアを見て首を傾げてから、リュクスは突如天を見つめて、まるで空をその身に受け入れるかのように両手を広げる。
突然行われた大きな動作に驚いたのか、クリアが後ずさり身構えた。
「――見たまえ! 真理は空に有る!」
「ええとですね。ほんの少しだけ理解できたんでクリアさんにわかりやすく説明すると、この人は『下着の盗撮スポットとしてこの場所がとても優秀』って言いたいみたいです」
そのレットの言葉を聞いて、クリアは(おそらく別の理由で)もう一歩後ろに下がりリュクスから距離を置いた。
「その通りだ。流石吾輩が見込んだだけのことはある。貴公の深淵に対する高き感受性と好奇心は健在のようだな“Mr.ダークレッド”」
「〔お、おい。レット……ひょっとして――お前の感性がコイツに近づいてきてるんじゃないか?〕」
「〔勘弁してくださいよォ! オレの精神が汚染されてきてるみたいじゃないですか! オレは絶対にやりませんよ。下着の盗撮なんて!〕」
「あ、そうだ。リュクスさん。この前撮ってもらった“写真”なんですけど――」
そこで、クリアが大きく咳をして、レットの話に割り込んでから首を横に振った。
どうやら“話を蒸し返すな“と言いたいようであったが、レットとしては一言だけでも目の前の男に謝辞を伝えたかった。
「……はて? 貴公に吾輩の作品《写真》を送付した記憶など……。思い出したぞ。“件の一枚”か」
“件の一枚”。
その言葉を聞いて、目の前の長身の男にフォルゲンスで写真を撮られた時のことをレットは改めて思い返す。
クリアの依頼でいきなりやってきたリュクスに撮られた写真が、まさかフォルゲンスの新聞記事に使われるとは――当時のレットは夢にも思っていなかった。
「しかし、貴公が礼を言う必要は無い。きっちり白き妖精《Clear・All》から淡い幸せ《お金》は受け取っている。人を正面から写したのは久しぶりで楽しかったよ」
「〔その通り、コイツに感謝する必要なんてないのさ。あの時は俺も別の場所でゴタゴタして動けなかったからな。……他に頼める人間がいなかったのが残念だよ〕」
そう言ってクリアは苦々しい表情をして、リュクスが首を傾げる。
「……吾輩としては、その“用途”を知りたかったのだ――がな……」
どうやら、その使い道が何だったのか(撮影した時はレットも理解していなかったが)撮影を行ったリュクスにも教えられていなかったようだった。
「あ……えっと。それはごめんなさい。ちょっと教えられないというか……ただの記念っていうか」
あたふたするレットをリュクスは暫くの間見つめていたが――
「記念写真という物は良いものだ。心にいつまでも残る。貴公が実際に撮った写真が何だったにせよ――――“吾輩が気にするようなことではない”……か」
――そう納得して話を自ら打ち切った。
「……それで、どうだね“Mr.ダークレッド”。今度こそ吾輩と一緒に真理を目指してみないか?」
「か……勘弁してくださいよォ。それと、あの……リュクスさん。オレのことなんですけど、普通にレットって呼んでくれると嬉しい……です」
レットの言葉を聞いて、リュクスが考え込むような素振りを見せて黙り込む。
しかし、その表情は仮面に覆われていて伺い知ることはできない。
「成程。よくよく見てみれば、最後に出会った時とは纏う瘴気《雰囲気》が幾分か変わったようではないか貴公――何か“あった”のだろう?」
「いや、ちょっとダークレッドは今の自分にはちょっと分不相応かなって、なんとなくそう思っただけ――です」
レットの曖昧な回答を受けて、リュクスはクリアに向き直る。
どうやらクリアを見つめているようだったが、当のクリアはただ居心地悪そうに再び咳をしてそっぽを向くだけであった。
「ふむ………………では、そうだな。貴公のことをこれから駆け出す者《“Daaku・Retto”》と呼ばせていただこうか。これは、貴公の称号に基づいた渾名だ」
レットがゲームのメニューを開いて自分の獲称号を確認すると、表示されたウィンドウには確かに【駆け出し冒険者】という表記があった。
(そういえば、そういう称号にしていたなオレ……)
レットは既に知っていることであったが、初出の要素なので説明をさせていただく。
称号というものはプレイヤーがクエストを達成したり、特定のアイテムを入手したり、ダンジョンを踏破したりモンスターを撃破することで増えていくプレイヤーの名称のことを言う。
現在レットについているこの“駆け出し冒険者”という称号はゲームを始めたばかりのプレイヤーに最初からつけられている普遍的なものだった。
「どうだろう。不服かね? 何なら、吾輩が貴公の得ている他の称号から鑑みて、新しく渾名を決めさせてもらっても良いが――」
そう言ってからリュクスがレットに接近して、“真上から”レットの称号ウィンドウを覗いてくる。
「なるほど。貴公が他に得た称号の一覧は――秘匿されているのか……。何か知られたくない称号でもあるのかね?」
「……その辺にしておけ。人のプライバシーを一々侵害しようと……あー。……侵害しようとしないことだ」
妙に歯切れの悪い物言いで、クリアがリュクスを静止した。
「そもそも、お前の名前の付け方はおかしいんだ。そんな回りくどい形式で他人を呼ぶ必要がどこにあるのか理解できないね」
「……人には体を現す特有の渾名が必須である――というのが、吾輩という自己が固執する教義だ。過剰に美麗に余分に飾り立ててこそ理性ある人間というものだ。簡素なありのままの名で呼ぶなど、理性の無い獣に対してだけで充分だよ貴公」
「ふーむ“獣”ねえ…………」
いまいち要領を得ない例えだったのか。クリアは首を傾げる素振りを見せた。
「吾輩なら、他人にどう呼ばれようと歯牙にもかけんがね。貴公は気にかけすぎなのだ、白き妖精《Clear・All》よ」
全く自分を曲げる気配の無いリュクスの前で、クリアがため息をついた。
「あー、わかったよ。それで、“いつも不必要に格好をつけているが結局のところ傍迷惑な上に笑えないレベルで悪質な変態”《リュクス》――」
間髪いれずに放たれたクリア自作の渾名を聞いて、レットは思わず吹き出しそうになる。
「――レットがここに“運悪く落ちて”出られなくなってしまってな。地上に戻る手段が無くて途方に暮れているんだ。お前の“知り合い”をここに呼んで何とかして連れ出せないか?」
「ふむ。折角此処に辿り着いたのに、去りたいということかね? 残念だ。貴公らには水底がお似合いだと思ったのだがな。――そして、吾輩の助力には期待しないでいただこう」
「どうして駄目なんだ? お前に借りを作るのは死ぬほど嫌だから、今回も金はきっちり払うぞ?」
「吾輩の同胞は仲間であるとともに強敵《“ライバル”》でもある。吾輩にとって此処はどんな秘境にも勝る楽園だ。この場所を知られたらここはすぐに泡沫なる夢の終わり《調整されて台無し》を迎えるだろう。それに同胞含むわれわれの本拠地はこの国ではない。何れにせよ――助力は期待しないことだ」
「あれ? それじゃあリュクスさんも他のメンバーと同じように、チームリーダーの――テツヲさんの復帰に合わせてハイダニアに集結したってことですか?」
「ある意味ではそうであり、そしてある意味では違う。異端者たちの長《“チームのリーダー”》に個人的な用事があったというだけの話だ。羊たちの国《“ハイダニア”》に訪れた理由は他でもない。吾輩の浪漫《大砲》を返してもらうためだ」
「大砲っていうとひょっとして――」
「……フッ。貴公も見たのか、邸宅の悪夢のような嘆かわしい惨状を。魔窟《チームの家》に取り込まれたあの浪漫《大砲》は吾輩の鍛冶の知識と技術と血と涙と汗の結晶だった――」
(チームの家に置いてあった大砲ってこの人が作ったものだったのか……)
「庭具として有効活用すると言っていたはずなのに、あんな美的価値の欠片もないようないびつな悪夢に設置して周辺の閑散とした邸宅に横暴な威圧感を与えるだけの抑止力に使うとは……。浪漫《大砲》を解き放つわけでもなく装飾としての価値も台無しではないか。あの狂人《Tetsuwo・Goddess》め!」
リュクスは拳を握って憤る素振りを見せた。
(ひっでえ呼び名……。多分、テツヲさんの中では周囲を威圧するって目的で“有効活用”しているつもりなんだろうけど……)
「予てより感じてはいたが、美的センスに関して言及するのならばあの男は唾棄すべき存在。仔細は違えど同類のゴシック・ファッションを纏う者として相容れん。あの太い脚など脳が認識した瞬間に正気を保てなくなる。やはり大路を走るような狂人には吾輩の芸術を理解するのは難しいようだ。――浪漫として解き放てば良い物を!」
「さっきから解き放つって何度も言ってますけど。あの大砲って、きちんと発射できるようになっているんですね」
「あ、ああ、できるぞ。普通の武器と同じように扱えるわけだな――」
クリアがレットに対して説明を始める。
レットたちが遭遇した海戦の他にも、今作には攻城戦や国家防衛戦など大規模なバトルコンテンツが実装されており、派手な設置武器に注目が集まった。
その後、プレイヤーの要望を珍しく開発者が好意的に拾い上げた結果、通常のフィールドでも使えるようにデチューンした物が実装され今日に至るわけである。
「なるほどォ……。ちゃんと使えたら滅茶苦茶強そうですね」
「いやいや、持ち運べる大砲は威力がそんなでもないんだよ。持ち運べる数も一個だし設置に時間がかかるし作るのに大量のゴールドが必要だし、売買できない素材を使うから直接取りにいかないといけないし、撃ったら使い捨てだしな」
「しかし、その不合理さが浪漫なのだよ」
(なるほど浪漫ね……。理解できなくは無い――かな?)
「さ――て……世間話はここまでだ。貴公らはこれからどうするつもりだ? このまま沈んでいるのも悪くない気はする――が」
どうすればよいのだろう――と、レットは急に心細くなってくる。
縋るような飛ばしたその視線を受けて、クリアは不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫だレット。心配は要らないさ――」
「Σ」
突然、何かに驚いたようなエモートの音が聞こえてレットが見上げると――
「え……えっと、お待たせしましたー!」
頭上にはワサビが立っており、頭についている二本の緑色のぼんぼんがぴょこりと跳ねていた。
どうやら“三人のプレイヤーが堀の底でやり取りしている”という異様な状況を目の当たりにして驚いていたようである。
「――というわけで、最終案その⑥! 『バトルコンテンツ中のワサビさんに無理を言って途中退出をしてもらって助けに来てもらう!』。ワサビさん【ファストラ】三人分お願い!」
「は、はーい! パーティにお誘いしますね~」
にこやかな笑顔で飛ばされてきたワサビの誘いでレットとクリアがパーティに参加した。
「〔ク……クリアさん……流石に最低すぎやしませんか? こんなしょうもない状況に陥っているオレ達を助けるために、わざわざ他の人と遊んでいるところを連れ出してきたってことですよね。――生きてて恥ずかしくないんですか?〕」
「〔こ……ここにきて急に辛辣になったな……。さすがに今回は自覚してる……後で何らかの形でワサビさんに“お返し”しておくよ……〕」
「〔『お礼にPKしてあげるよデュフフ』とかやりませんよね?〕」
「〔信用無いなオイ!! お前一体、俺を何だと思っているんだ!? いくら俺でもチームの癒しであるワサビさんに対してそんなことするわけないだろ!〕」
「……大天使《“Honwasabi”》よ。吾輩も同伴させていただこうか。“戦利品”を整頓せねばならん。再び此処に戻るとはいえ、アイテムを消費するのは、些か手間だからな」
「わかりました~」
間髪いれずにリュクスもレット達のパーティに入ってくる。
「〔クリアさん。いいんですか?〕」
「〔ワサビさんは基本的に頼まれたら断れない人だからな……。仕方ないだろう〕」
(“頼まれたら断れない”か……なるほどなるほど……)
「〔――言っておくがな。“ベルシーみたいに”卑猥なことを頼んだら許さないからな!〕」
「〔やややややりませんよ! ――というか、アイツはアイツでワサビさんに対して何やってるんだよォ!!〕」
呆れるレットの頭上でワサビのファストラの詠唱が始まる。
ようやくここから出れるのだと安堵して息を吐くレット。
全くの偶然であったが、ハイダニアに一陣の風が吹いたのは――その吐息と全く同じタイミングだった。
(――――――あっ)
魔法の詠唱もあってか浮き上がっていたワサビの法衣が――少しだけ“捲くれた”。
そこから先は、本当に一瞬の出来事だった。
“別の風”が水底で吹いた。
リュクスが水中で残像が出るほどの速度で動いたためである。
しかし、クリアの方が一枚上手だったようで――位置的にワサビに近かったのが功を奏したのか、真正面からぶつかっていきリュクスの仮面を両手で押さえつけることに成功する。
ダメージは発生しないものの――凄まじい衝撃で周辺の地面が大きく揺れた。
「お……おのれ……吾輩の目を塞ぐとは、こ……小癪なことを……! 地の底の囚人に、最上の青空《ワサビの下着》を見せる度量くらいあってもよかろうに!」
「やっっっっかましいんだよ!! お前は水底の泥でも見てろ! というか、なんだその新しい造語は! “青空”だと? お前……見たのか! ――見たんだな!? その目を――ここで叩き潰してやるッ!!」
小声で罵り合いながらもクリアがリュクスの仮面を掴んだままその体を地面に押し倒して、その手に持っていた写真機を地面に落とすことに成功する。
「実に残念だが見れてはいないッ! 見れたならば吾輩、瞬時に心の覚悟《“シャッター”》を切って吾輩だけの至宝にしていた!!」
「Σ」
水底で始まった争いに驚いてしまったのかワサビの詠唱が止まった。
二人はしばらく水底でくんずほぐれつしていたが、写真機をクリアが取り上げた直後、押さえ込まれていたリュクスがポツリと呟く。
「……しかし、貴公のこの青白い掌の感触も良い。例えるならば……囚人が、かつて牢獄に捕らえられ亡くなった亡霊に同情され慰められている気分だ。空には空の――泥には泥の美しさがあるということなのかもしれないな。クックックック……」
それを聞いたのか、一瞬で拘束を解除してクリアがリュクスの体から飛び退く。
その顔はやはり、青ざめていた。
(やっぱりこの人は色々格が違うな……)
「それで――レット。お前は――」
「みみみみみみみ見てないですって!! キャラクターの背が低くて堀に密接してたんだから見たくても見れませんって!!」
弁解するレットをよそに、リュクスが地を這って水底に落ちていた写真機を拾い上げる。
その状態から一瞬で立ち上がり天に祈りを捧げたが、クリアの囁きによる指示があったのか既にワサビは堀から一歩離れた場所に動いていたようで――リュクスは祈りを捧げた格好のまま膝をついた。
「流石の手際だ好敵手よ。吾輩に一瞬の隙をも与えんとは……」
「……お前の変態性欲に、ワサビさんを巻き込むな!」
「そう言うだろうと思ったよ……。貴公は隠しているつもりだろうが、大事な思い人なのであろう? 貴公と大天使の付き合いはとても長く、一緒にいる時間も長いというのは風の噂か――虫の知らせか。吾輩も仲間に入れてほしいものだナァ……クックックックック」
「ま――待て、前にも言ったが違う!! 確かによく一緒に居るけど断じて――そういう関係じゃない!」
語気を強めて弁解しているクリアを見てレットはニヤついた。
「はっはあ……なあるほど。そういうことだったんですね。道理で馴れ馴れしいわけですよ。そういう関係なの隠してたんだ。へ~」
これが全く垢の他人であるのならば流行に則って爆発することを切に望んだに違いないが、直接的にも間接的にも散々迷惑をかけられているクリアが相手となれば話は別である。
弱みを握れたと内心で(隠しきれてはいなかったが)レットはほくそ笑んだ。
「〔……本当の本当に違うんだよ。ワサビさんにも迷惑がかかるから、こいつの言うような根も葉もない噂は流さないでくれ〕」
しかし、レットの冷やかしにも一切動揺することなく、クリアは珍しく真剣な表情でレットに囁いてくる。
(あれ? 本当に違うみたいだぞ……?)
クリアの突然の真面目な態度を前に、冷やかすつもりだったレットはすっかり毒気を失ってしまう。
[はぁ、わかりました……それはそれとしてクリアさんは、どうしてリュクスさんの“青空”なんて言葉に反応――]
[よ、よーしレット。今度こそ一気にぶっ飛ばしてもらおうじゃないか! ワサビさん。ちゃっちゃとお願い~!]
レットの言葉に割り込むようにクリアが声を張り、今度こそ(事態を理解していなかったのか?マークのエフェクトが出っぱなしのまま)ワサビの詠唱が完了される。
そして、三人は光に包まれてその場から転送された。
――“三人は”。
[パアアアアアアアアアアアアアアア!? なんでぇ!? 何でよりにもよってオレだけが取り残されているんですか!?]
[Σ]
[レット。本当の本当に今思い出したことがある……。ファストラには転送先の情報が篭った【キーアイテム】があって――それを手に入れていないと魔法がかかっても何もおきないんだった!]
[ぴゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!]
[うーん……。普通にゲームを遊んでいたら、ハイダニアの近くで“ちょこっと”寄り道して手に入れているものなんですよねー。クリアさんはレットさんをそこに案内されたんで――すよねー……?]
ワサビの不安げなそうな言葉を聴いてレットは自分の記憶を思い返すも、クリアにそのような場所に連れて行ってもらった記憶が全く無い。
[すまんレット――“案内するの忘れてた”]
[だよね!? だよね!? ―――――――――――――――――――――― く、Clear・All……こ、この――悪党めがああああああああ!]
[Σ]
パーティ会話で絶叫し、思わず膝をついて地に伏したレットの頭上から突然声が聞こえてくる。
再び上を見上げると、柵には見知らぬプレイヤーが集まりはじめていたのであった。
[ちょちょちょ。クリアさん! なんかめっちゃ人が集まってきたんですけど!]
[しまった……騒ぎすぎたのと陸にいたワサビさんとやり取りしていたからか他のプレイヤーにバレてしまったんだ。不味いな……]
[えっとー。……このままだとー、私がそこに戻る前にGMさんが来ちゃうかもですねー……]
危機的状況からさらなる窮地に追いやられて焦り始めるレット。
しかしその時、レットとは比べ物にならないほど取り乱していた人物がいた。
[野次馬が集まってきただと! これを狙ったか、Clear・All! ……よりによってこんな遠方では……クッ、ダメだ、この場からはそこに戻れん!!!!!!]
――リュクスである。
[お、落ち着けよ。……俺は別に狙ってない。お前だって散々騒いでいたじゃないか――おい、走り出してどうするつもりだ!?]
普段の冷静なイメージが崩れるほどに鬼気迫る話し方に、クリアが気圧されているのが声だけでわかった。
[せめて、その場所が衆目に晒される前に天啓を得なければ。吾輩の楽園が聖域でなくなってしまう前に……!]
[いや、もう手遅れだろ……何れにせよ、あの場所がバレて修正されるのはもう確定だ。完全に中に入れないようにされるか、普通に水が張られて遊泳可能になるかのどっちかなんじゃないか?]
[修正だと! 馬鹿な、これが吾輩の楽園の最後と言うか! 認めん、認められるか、こんなこと!]
[お前――諦めろって、こんなに人が集まっているんだ。絶対GMに連絡いってるだろ……]
[駄目だ……吾輩の気持ちが深く沈んでいく……こんなものが吾輩の楽園の最後か……]
[え……えっと、よくわからないのですけどー。落ち込まないでくださいー!]
死に瀕しているかと勘違いするほどに落ち込んでいるリュクスの声に対して事情をよくわかっていないなりのワサビの慰めの声が聞こえてくる。
収拾がつかなくなりつつあるパーティの会話と自分の陥っている状況下で、レットにはもはや、考えている余裕など無かった。
(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー……結局こうなるのかよォ……)
かくして、駆け出し冒険者レット。
リスポーン目的で、グラスウォーターを一口飲んで、ハイダニアの水底で非業の服毒死を遂げる。
それは道半ば、まさに人生これからという青春真っ盛りに降り注いだ突然の悲劇であった。
その死は惜しまれることは無かったが、死後友人に(特に“考えが足りていなかった”とクリアに)手厚く謝られたという。
【王城の堀の池】
この王城の堀の池はプレイヤーのクエストの進行状況次第によっては毒が投げ込まれることがある為、ハイダニアのクエストを進めると釣り竿を垂らすことは厳禁と登場人物に言われるようになる。
こうなると仕様の上でも釣りをすることができなくなる。
ただしプレイヤーのクエストの進行具合によって割といい加減なシチュエーションが発生することもある――
「俺のクエストの進め具合だと、今その池には王国の裏切り者の手によって猛毒が入れられているみたいなんですけど、なんでネコニャンさんは平然と釣りしているんですか? お腹壊しちゃいますよ?」
「自分はそのクエクリアしましたから、それはそっちの都合ですにゃ……。というか、毒入りの魚食わせる人にそんなん言われたくないですけどにゃ……」
――このような矛盾はゲームにはつきものである。
【堀の深いナミダ】
ハイダニアに出没する女の幽霊のクエスト。
その亡霊の特性上、雨天限定で進行する。
とにかくクリア条件が厳しく報酬もいまいちなのだが、クリアしたプレイヤー曰く「クリアする価値は十二分にある」とのこと。
堀の水上で、女が泣いているから雨が降っているのか――雨が降っているから女が泣いているのか――それは定かではない。
しかも結局、このクエストをクリアしただけではその正体は明らかにならない。
ハイダニア王城に飾られている一番古い肖像画に描かれている王女にそっくりである、とだけはこのクエスト内で言及されているが、ただそれだけである。
「もしかすると、もしかすると――ハイダニアの民は、何か……致命的な勘違いをしているのではないだろうか?」
【レットのメモ】
『自分で参考にするために、チームメンバーの設定している称号をメモに残しておこうと思う』
・テツヲさん『みんなのオバサン』
自作称号らしい。うーん、不気味だなあ。
・ネコニャンさん『いぶしぎんしゃり』
詳しいことは不明だった。ひらがななのがなんかシュール……。
・リュクスさん『夜の狩人』
黙っていれば格好いいんだけど……違う意味にしか見えないや……。
・ワサビさん『おうえんするひと』
死にかかっている無関係なプレイヤーを助けたり励ましたり応援したりすることで得られる称号らしい。
万単位の善行で手に入る最上位の『傍らの大天使』という称号を持っているのにあえて一番最初に手に入るの称号にしているんだって。なんでこんな人がこんなチームにいるんだろう……。
・ケッコさん『かわいい物好き!』
可愛いものが好きなのか……それとも可愛い見た目の“物好き”なのか。ダブルミーニングなのかも……。
・レット『駆け出し冒険者』
今の自分の称号。後で格好いい称号に変えようかと思ったけど。……もうちょっと強くなってからでいいかなと思うようになった。
・タナカさん『無し』
理由を聞いてみたら「未熟な自分自身に対して称号など大それた物をつける必要は無いと考えているためです」だって。真面目なタナカさんらしいや。
・ベルシー『ブラッシュアップ・アウトソーシング』
意味不明だった。直訳すると『突き詰める・外注』。晒しスレでは『極められた害虫』と馬鹿にされていたらしい。意識高いのはいいんだけどやっていることもあいまって印象悪い……。
・クリアさん『善意の第三者』
嘘つけ。




