第二十二話 遠い 誓い
しばらくして、二人は洞門から外に出た。
時間帯は夕暮れ時。
ククルトの洞門にレットが足を踏み入れて数時間しか経っていなかったが、彼にとってはそれがまるで何日もの出来事のように感じられた。
「あれ? 何だろう。前とオーメルドの雰囲気が違っているような……。静かになった――気がする……」
「ああ。“無益な戦争”がようやく終わったんだろう。ポルスカとオーメルドの通行も、今なら問題なく行えるはずだ」
なるほど――と、納得するレットを尻目にアインザームがアイテムのインベントリから何かを取り出す。
それは先程アインザームが拾っていた“折れた銀の剣”であった。
「さて、ここでレッド君とはお別れだが……最後に君に対して餞別を送ろう。といっても――これは奴が捨てた剣だがね。破棄された為に、折れただけでは無く質も落ちてしまってはいるが――。少し待っていてくれるかな?」
アインザームが折れた剣を地面に置いて両手を翳す。
剣が強く赤く発光し、鉄を打ち付けるような音が鳴った。
「うおっ!」
レットは驚きの声を上げる。
しばらくすると赤い光が消えて、アインザームはゆっくりと立ち上がる。
「合成のスキルで修復させてもらったよ。これで折れる前と同じように――いや、折れる前以上の質で運用することが出来るだろう。銀には“退魔”の効果がある。お守りのようなものだ。是非受け取ってくれ」
アインザームが片手で差し出す銀の剣を恐る恐るレットが両手で受け取り注視する。
その剣に装飾は一切されていない。
素朴な作りではあるが、傷一つ着いていない鏡のような刀身にレットは確かな上品さを感じた。
「あ……ありがとうございます!!」
「ああ。君のこれからの旅に――祝福がありますように」
アインザームはそう言ってからレットに背を向け、再び洞門の中に消えていった。
レットは地面に座り込み、剣を見つめる。
ソレは沈みゆく夕日を受けて再び赤く輝き、レットの顔を照らす。
「すっ……げ~なぁ……!」
(オレもあんな風に格好良くなりたいな。どうしようかなあ……ソードマスターの二刀流を諦めて――パラディンに転職しちゃおうかな……………………がああああ。迷う! 迷うッ!! そういえばパラディンって最初から選べる職業じゃなかったよな。どうやって転職できるんだろう?)
剣を見つめたまま、レットはアインザームの圧倒的な戦いっぷりを頭の中で何度も反芻する。
そこで、不意に持っていた剣の刀身に人影が映った。
こちらに何者かが近づいてくるのが分かり――
(またPKか!)
――反射的にレットは背後を振り返る。
レットに力強く抱きついてきたのはアリスであった。
「レット君。よかった――無事だったのね!」
「――――わったたたたたムググググ!!」
(あわわわうぇあ! 柔ら柔ら柔らッ!!)
その柔らかい感触と不思議と、香ってくる“いいにおい”に、レットはただただ困惑し手足をバタつかせた。
「あ――そうだったわ。レット君!」
拘束を解いて、アリスはレットの両肩に手を添える。
「――“光る輝花”は取れた?」
「あ――ああ。うん、ちゃんと持っているよ。ホラ、ここに」
レットが赤面しつつ、インベントリーから輝花を取り出す。
その白い花から淡い光が消えることは無かった。
手を離しても、レットの手に磁石のように戻ってしまう。
(このアイテムは他の人に渡したり捨てることができないってことか……)
「そう――持っていなかったら、これから二人で改めて取りに行こうと思っていたのだけれど……無事に取得できていてホッとしたわ」
「他の人達はどうなったんだろう? 多分、助けて貰えたと思うんだけど。アリスは会ったかな? 聖十字騎士団の――」
「――多分、全員蘇生されたんだと思う。いつの間にかパーティも解散されてしまっているし、早くここから離れましょ?」
アリスは割り込むようにそう言って、レットの手を握って立ち上がろうとする。
レットはその突然の行動に反応できず、手を離してしまい尻餅をついた。
「アリス。そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
「ご――ごめんなさいね。ここから離れたくて――えっと………………またPKに襲われたら嫌だなって思ったの」
「でも、聞いた話じゃ前哨基地の“戦争”は終わったみたいだよ。PKも全員いなくなったんじゃ無いかな?」
「そういえば――確かに、あの戦いの音がもう聞こえないわね」
(まあ、それでもこんな場所で浮かれて呑気に剣なんて見つめている場合じゃ無かったか……)
「あ――少しだけ待って頂戴」
アリスが目を瞑り側頭部に手を当てて動かなくなった。
どうやら、誰かと“囁きでの会話”を始めたようである。
(オレ以外にもフレンドがいるんだなあ……当たり前か……ハァ……チクショウ~~)
「――――――レット君。急かしておいてごめんね。今、チームの人に呼ばれてしまって……私、ポルスカに戻らないと行けないみたい。明日の夕方にはアロウルに戻ってこれると思うわ」
「そっか……わかったよ。オレも今日はもうログアウトしようと思ってた所だし。丁度良かった」
「アロウルに戻る時は気をつけてねレット君。とにかく、来たときと同じように海沿いを歩くこと。明日アナタがログインするのが何時かはわからないけれど、ゲームの夜間帯は危険なモンスターが出現するから、周囲を注意深く観察しながら帰るのよ?」
「だぁあ……もう、わかってるよ。だから心配いらないって。そのくらいのことは一人でできるってば~」
「そうね。それで、明日のことなんだけど――」
「うん。明日にはいよいよ、蒸気船に乗るんだよね。楽しみだなぁ。どこの大陸に繋がっているんだっけ? ハイゴウルの温泉――じゃなくて! フォルゲンスにはいつ頃戻ってこれるんだろう?」
「――レット君」
俯くアリスの言葉と共に、日が沈み始める。
「えっとアリス……どうかしたの?」
「…………………………」
レットの質問にアリスは答えない。
(何だ!? もしかして“告白イベント的”なアレなんじゃないかコレは!? この前だってフレンドに誘われたんだし。ひょっとしてひょっとするんじゃないか?)
山の影と沈黙が彼女だけを包み込んで行く。
「………………………………ううん――やっぱり、何でも無いわ。それじゃあ私。もう行くわね」
「あ……うん。それじゃあ、また明日!」
(――まぁ。そんなに上手く行くわけが無いか。“好感度不足”ってやつかなぁ……なんてね。エヘヘ……)
アリスはレットに背を向け歩き出す。
何故か、レットにはその背中がいつもよりも小さく見えた。
(思い返してみると、アリスには色々助けてもらってばっかりだなオレ……。信用してもらってないみたいだし……こんなこと……今言うべきじゃ無いかもしれないけど…………)
「ねえ! アリス!」
レットの声にアリスが振り返る。
「オレっ……さァ……その……オレ、もっと今より強くなるよ。えっと、強くなって今度は――アリスを助けられるように頑張る……からさ!」
話している途中恥ずかしくなってしまったからか――レットは勢いで誤魔化しつつなんとか最後まで言葉を紡ぐ。
「…………」
アリスはレットの突然の言葉に一瞬だけたじろいだようであったが、すぐに表情を和らげた。
「……無理しなくても良いのよ。でも……そうね。私がどうしようもなくなった時にだけ――お願いしようかしら?」
「えっと――うん! せめてもうちょっと頼りにされるように頑張るよ! それじゃあ、また明日――アロウルで!」
アリスは柔らかな微笑みを浮かべて――
「――ええ。レット君との船旅。私、とっても楽しみにしているわ」
その言葉を最後に――南に向かって歩いて行った。
レットはその場でログアウト処理を行う。
処理が終わる数十秒の間、レットは薄暗い空を見上げて、明日の船旅に思いを馳せた。
(船酔いとかはしないかな? 向こうの大陸のモンスターの情報とか集めておこう。それと――パラディンに転職する方法も、クリアさんに聞いておかなきゃな!)
やるべきことが一気に増えて、これからの冒険に対する期待が膨らむレット。
恐らくゲームを始めた初心者プレイヤーにとって、最も楽しい時期。
かくして、レットは“理想の中の理想”に出会った。
その男の名はアインザーム。
『強くなってアリスを助ける』
感化された彼は、助けてもらってばかりの少女に対して小さな誓いを打ち立てた。
しかし、後にこの日の出来事を思い返して少年は気づく。
この仮想世界の中で、この誓いを守るチャンスは――――――――“永遠に訪れなかった”のだと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夕暮れのオーメルドを馬が走る。
乗っているのはエルフの女。
彼女は兵陵の南西の、小さな砂浜で馬を止めた。
「お疲れ様。長旅だったね。丁度、料理ができたところだよ。どうだった? 何か――いいお仕事は見つかったかい?」
女の旦那だろうか――砂浜でキャンプをしていたエルフの男が彼女を暖かく迎え入れた。
「うふふ。見てよ、これ。振り込まれていた後金を受け取ってきたわ。送ってもらった武器の余りは、そのまま処分していいって話よ」
エルフの女はゴールドの袋を取り出して、木で出来た持ち運びのできるテーブルの上にどかりと乗せる。
その上に敷かれていた地図が破れそうになり、調度品の一種だろうか? 半透明の小瓶が揺れて中身が零れそうになった。
「おっとっと! 危ないなあ。零れたら大変だよ!」
女はそれまで着けていた装備品を外すと、動きやすい部屋着のような布装備に着替えた。
「そんな心配はもう要らないってば。これだけあれば大きなサイズの家だって、“外の土地”だって買えるんだから!」
「ああ、それもそうだね……よかったよかった。長い間苦労した甲斐があった……」
感極まったのか、エルフの夫婦は熱い抱擁を交わす。
しばらくして、抱きつかれていた女は夫に苦言を呈した。
「いやあね。重いわよ! 倒れ込むように抱きしめてくるなんてアンタ……」
そこで女は、目の前の夫の様子がおかしいことに気づいた。
その両手を離すと、抱きついていた男はそのまま滑り落ちるように地面に倒れ込む。
ゲホッ――と男から肺に残った空気が零れて動かなくなった。
そこでやっと、その背中から夥しい量の血が流れていることに女は気づいた。
女が視線を上げると、フードを被った人物がそこに立っている。
「何で――どうして!?」
女は酷く狼狽して、その場に力なく座り込んだ。
「――――――――ああ、もういいよ。何も喋らなくて。どうせ“何を聞いても何もわからないままで終わる”わけだしな」
フードの人物が実に退屈そうに呟いた。
「待って――待って――助けて……お願いよ……」
「さぁて……これから君は、血塗れになってそこにぶっ倒れるわけだが。なぁ~~~~~にを取らせても・ら・おう・かなッ? ゴールドの袋を出しっぱなしだしだけど。それでどうでしょうかネェーーーッ!?」
抑揚の付いた声で嘲るように女に語りかけるフードの“男”。
「お願い――これだけはやめて――やめてください――大切なお金なんです! 私と夫が長い時間かけて働いて……ようやく手にしたお金なんです!」
命乞いをしようと手を合わせる女。
「それは良かった――――――楽しい旅を!」
これから頭を下げようとした彼女に男は容赦なく曲剣を振り下ろす。
その動作は、まるでスイカ割りのようだった。
立派な防具を着けていなかったからか――たった一度の攻撃で、オーメルドの小さな砂浜に深く黒みかかった赤い染みが広がっていく。
一仕事を終えた男は、周囲を見渡し誰も居ないことを確認する。
男――クリアは、フードを脱いで楽しそうに口笛を吹きながら善き夫婦の死体を漁り始めた。




