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第36話:秋の味覚。焼き芋と手作りバターの背徳的なおやつタイム。男たちが千尋の囲炉裏端に集結する。

常闇の森の空は、吸い込まれそうなほど高く、どこまでも澄み渡るセルリアンブルーに染まっていた。

木々の梢を揺らす風はひんやりと冷たく、頬を撫でる大気には、冬の訪れを予感させるピリリとした清涼感が混ざり始めている。ブナやナラ、白樺の葉は日ごとにその色彩を深め、赤、黄金、赤褐色、深い琥珀色のモザイク模様となって、木漏れ日を浴びながらキラキラと輝いていた。

そして、風が吹き抜けるたびに――サワサワサワと葉擦れの音が鳴り響き、庭の敷石の上へと、色とりどりの落ち葉がまるで紙吹雪のように舞い落ちてくる。


「……うーん! 見事な落ち葉の絨毯(じゅうたん)ね!」


千尋は素足にルゥの抜け毛から仕立てたフェルトシューズを履き、エプロンの袖をまくり上げて前庭に立っていた。

足元を踏みしめると、カサッ、サクッと乾いた落ち葉が心地よい音を立てて砕ける。

手にした竹箒(たけぼうき)で、敷石の上の落ち葉を一箇所へと掃き集めていく。シャッ、シャッ、とリズミカルな音。

庭の端には、ここ数日風で吹き溜まっていた無数の枯葉が集められ、大人の腰の高さほどもある巨大な「落ち葉の山」が築き上げられていた。


「千尋、何をしているのだ? 枯れ葉を集めて、また何か新しい敷物でも編むのか?」


トコトコと足音を響かせて駆け寄ってきたのは、白銀の毛玉――ルゥだった。

落ち葉の山に興味津々で、鼻先を突っ込んではクンクンと匂いを嗅ぎ、カサカサと前足で掻き回して遊んでいる。


「ふふ、敷物じゃないわよ。これだけ乾いた落ち葉がたくさんあるなら、やることは一つしかないでしょ?」

千尋は腰に手を当ててニヤリと笑った。

「秋の風物詩――落ち葉焚きよ!」


「おちばたき?」

「そう。焚き火をして、お庭を綺麗にしながら……世界で一番美味しい『おやつ』を作るのよ」


千尋が縁側の木箱から取り出したのは、先週、家庭菜園の畝の奥深くから掘り起こし、冷暗所でじっくり一週間追熟させておいた「蜜芋(みついも)」だった。

森の豊かな黒土と千尋の調律スキルを浴びて育ったその芋は、大人の二の腕ほども太く、丸々と肥え太り、表面の皮は艶やかな赤紫色を湛えている。天日干しして余分な水分を抜き、内部のデンプンを糖化させたことで、端の切り口からはすでに蜜のような甘いヤニがじわりと滲み出していた。


「さあ、下ごしらえからよ!」


千尋は台所から持ってきた古紙(前の住人が残していった羊皮紙の反故紙)を井戸水に浸し、しっかりと濡らした。

その濡れ紙で、泥を洗い落とした蜜芋を隙間なくぴったりと包み込む。

さらにその外側を、前の世界のアルミホイル代わりに、森の奥に自生する「銀蝋葉(ぎんろうよう)」――分厚く油分を含み、熱を通しても破れない巨大な耐熱性の葉で、何重にもぐるぐると頑丈に巻き上げ、麻紐で縛った。


「濡れた紙で蒸気を閉じ込めて、外側の葉っぱで直火の焦げを防ぐ。これで中までじっくり、蒸し焼きにするのよ」


準備が整ったところで、千尋は落ち葉の山の中央を少し窪ませ、細い枯れ枝を組んで火打ち石を打ち合わせた。

カチッ、ボッ。

小さな火花が乾いた葉に燃え移り、パチパチと心地よい音を立てながら、赤い火が落ち葉の山全体へと広がっていく。


普通なら、落ち葉焚きといえば目を開けていられないほどの白い煙が立ち上り、喉を痛め、風下に煙が流れて大騒ぎになるところだ。

だが、千尋はすかさず固有スキル【住空間の調律】を意識の底から呼び覚ました。


(煙の粒子を微細化して、気流を真上へ一本の煙突のように引き上げなさい。目に染みる刺激成分は熱分解して、木と葉の香ばしい薫香だけを残して……!)


千尋が手のひらをかざすと、大気の魔力粒子が優しく渦を巻き、モクモクと広がりかけていた白い煙が、まるでガラスの筒に導かれるかのように、すーっと天高く真っ直ぐに吸い上げられていった。

煙たくない。目に染みない。

ただ、秋の冷たい大気の中に、乾いた落ち葉と薪がパチパチとはぜる、香ばしくどこか懐かしい「焚き火の匂い」だけがふわりと漂っている。


千尋は火が落ち着き、真っ赤な熾火(おきび)と温かな灰の層ができたのを見計らい、葉で包んだ大きな蜜芋たちを、灰の底の奥深くへと丁寧に埋め込んだ。


「よし。あとは遠火の灰の中で、じっくり一時間。……待っているあいだに、最大の主役を作りましょう!」


◇


「最大の主役?」

ルゥが首を傾げながら千尋の足元をついてくる。

千尋が向かったのは、居間の囲炉裏(いろり)端だった。

大工のベルントが縁側を増築した際、「冬に備えて、部屋の真ん中で火を囲める場所が要るだろう」と、パイン材の床の一部を丁寧に切り欠き、耐火レンガと鉄板を組み込んで設えてくれた、四角い素朴な囲炉裏スペースだ。

炉の中には、アルヴィスが割ってくれた炭が赤々と熾り、鉄瓶から細い湯気がシュンシュンと心地よい音を立てていた。


千尋が戸棚から取り出したのは、ガラスの小瓶と、麓の村の酪農家から分けてもらったばかりの、乳脂肪分が極限まで濃厚な「搾りたての山羊生クリーム」だった。


「これよ。これで、『自家製有塩バター』を作るの」


「ばたー? あの、パンに塗ると美味いやつか?」


「そう! 市販のバターも美味しいけれど、出来立ての、水分を絞りきったばかりのフレッシュバターはね……別格なのよ!」


千尋は清潔に煮沸消毒したガラス瓶の中に、冷たい生クリームをとぽとぽと八分目まで注ぎ入れた。

そこへ、大粒の岩塩をすり鉢で細かくパウダー状にすり潰したものを、小さじ半分ほど投入する。

しっかりと蓋を締めると、千尋は小瓶を両手で包み込んだ。


「いくわよ、ルゥ。ここからは根気と腕力の勝負よ!」


千尋は瓶を胸の前で構え、上下に激しく振り始めた。

シャカシャカシャカシャカッ!

静かな山小屋に、リズミカルな液体が跳ねる音が響き渡る。


「最初はね、泡立ってホイップクリームみたいに重くなるの。だけど、そこであきらめずに振り続けると……急に音が変わるのよ!」


シャカ、シャカ、シャカ……。

千尋の言う通り、数分激しく振り続けると、中の液体が空気を含んでモッタリと重くなり、シャバシャバという音が消えて重たい鈍痛のような手応えへと変わった。

腕が疲れてくる。前世のデスクワークで衰えた上腕二頭筋が悲鳴を上げかける。


「くっ……さすがに一人で振り続けるのはキツいわね……」

「千尋、ぼくが代わろうか?」

「ルゥ、その小さな前足じゃ瓶が掴めないでしょ」


そこへ――納屋から母屋へと戻ってきたギルバートが、眼鏡の位置を直しながらひょっこりと顔を出した。

「……何をしているのですか、千尋様。激しい単振動を繰り返して……何かの物理実験ですか?」


「いいところに! ギルバートさん、ちょっとこれを受け取って、親の仇(かたき)みたいに全力で上下に振りなさい!」

「は!? な、なぜ私がそのような筋力運動を――」

「草むしりでほぐれた肩のインナーマッスルを鍛えるためよ! ほら、早く!」

「ぐっ……不条理だ……! だが、千尋様の命令ならば……ぬおおおおっ!!」


ギルバートが眼鏡をガタガタと揺らしながら、必死の形相で瓶を振り始めた。

シャカシャカシャカシャカッ!

最高峰の魔導頭脳が、バター作りのシェイカーとして全力稼働する。

そして――振り続けることさらに五分。


ピチャッ、ポコッ。


突如として、瓶の中から響く音が、劇的に変化した。


「……あ、あれ!? 千尋様、急に手応えが軽くなりました! 内部の流動性が……相転移を起こしています!!」


「来たわ! 乳脂肪が固まって、水分と分離したのよ!」


千尋が瓶を受け取って中を透かして見ると、そこには奇跡のような光景が広がっていた。

白濁したサラサラの液体(低脂肪乳/バターミルク)の海の中に、鮮やかな淡いクリーム色をした、ゴロンとした固形の塊が、ぽっかりと浮かび上がっていたのだ。


千尋は瓶の蓋を開け、清潔な麻布を敷いたざるの上へと中身をあけた。

水分がツーッと滴り落ちる。

残った黄色い塊を、冷たい井戸水で余分なミルク分を洗い流しながら、木ベラでギュッ、ギュッと練り込むようにして水分を限界まで絞り出していく。

塩の粒が均一に馴染み、ツヤツヤとした滑らかなペースト状になっていく。


「……できた! 搾りたて生クリームの、自家製有塩バターの完成よ!」


小皿に移されたそのバターは、市販の黄色いブロックとはまるで違っていた。

淡く透き通るようなクリームホワイト。表面には練りたて特有の瑞々しい水分がうっすらと光り、濃厚なミルクの甘い香りと、ツンと引き締まった塩気が、たまらない芳香を放っていた。


「……信じられん。ただ振るだけで、乳化状態が破壊され、脂肪球が結合してこれほど純度の高い個体へと変質するとは……」

ギルバートが息を呑んで見つめる。


その時だった。


クンクン、と鼻を鳴らしたルゥが、ピョンと跳ね起きた。

「千尋! 外から……すっごく、すっごく甘くて香ばしい匂いがしてきたぞ!!」


◇


庭へ飛び出すと、落ち葉焚きの灰の山から、暴力的なまでの甘い香りが、秋の冷涼な空気の中へと立ち上っていた。

焦げた落ち葉の煙の匂いではない。

蜜をじっくりと煮詰めたような、濃厚で、香ばしく、どこかキャラメルを思わせるような、脳髄を直撃する焼き芋の甘美なアロマ。


「ちょうど一時間……焼き加減はどうかしら」


千尋は火バサミを手に取り、灰の中から黒く煤けた銀蝋葉の包みを一つ、慎重に掘り起こした。

持参した竹串を、包みの上から中心へ向けてそっと刺してみる。


すっ……。


何の抵抗もなかった。

まるで、柔らかい絹豆腐か、熟れきった桃に針を通したかのように、竹串が抵抗ゼロでスルスルと真下へと吸い込まれていった。


「……完璧。完璧すぎるわ!」


千尋が歓声を上げた、その瞬間だった。


パカラン、パカラン、パカランッ!


森の境界から、二騎の馬が風を巻き起こして駆け込んできた。

馬を繋ぎ、泥落としのスノコの上で一秒の迷いもなくブーツを脱ぎ捨て、目にも留まらぬ早業でスリッパを履いて縁側へと駆け上がってきたのは――。


「……すまない、遅くなった!」

息を切らせたアルヴィスだった。

定時退勤の鐘とともに公務を放り出し、馬を飛ばしてきた主君。その背後には、書類鞄を抱えた副官ユーグが、いつものように穏やかな、けれど鼻をピクピクと激しく動かしながら続いていた。


「閣下、言った通りでしょう! 風に乗って、常闇の森の入り口までとんでもなく甘い香りが漂ってきていたのです! 千尋殿が、また何か奇跡のご馳走を錬成しておられます!」

「ああ……森に入った瞬間、胃袋が激しく脈打ったぞ。千尋、これは一体何の匂いだ……?」


アルヴィスがサファイアの瞳を期待に輝かせて千尋を見つめる。

その姿に、千尋は思わず吹き出しそうになった。帝国全軍の頂点に立つ最高指揮官と、その優秀な副官が、焼き芋の匂いに釣られて飛んできたのだ。


「ふふ、ちょうどいいところにお帰りなさい! みんな、中に入って! 囲炉裏端でおやつにしましょう!」


◇


山小屋の居間、囲炉裏の周りに、男たちが車座になって腰を下ろした。

火照った顔のアルヴィス、公務帰りのユーグ、白衣の袖をまくったギルバート。

そして――「わふっ!」と光を放ち、一瞬で銀髪碧眼の美少年へと変身したルゥが、千尋の隣の特等席へと滑り込み、正座して身を乗り出していた。


薄暗くなり始めた部屋の中、囲炉裏の炭火の赤い光が、全員の顔を温かく照らし出している。


「さあ、いくわよ……!」


千尋は厚手の布巾で、灰から取り出した熱々の包みを掴み、煤けた銀蝋葉と濡れ紙をペリペリと剥がし取った。

現れたのは、炭の粉を薄く纏い、ところどころ皮が破れて黒褐色の蜜がプツプツと沸騰している、極太の蜜芋だった。皮が風船のようにふわりと浮き上がり、内部が限界まで膨らんでいる。


千尋は両手に力を込め、熱々の芋を、全員の目の前で――真っ二つに割った。


パキッ……ジュワァァァァァァッッ!!


「「「…………っっっっ!?」」」


男たちの喉から、息を呑む音が同時に漏れた。


割れた断面から、まるで白い雲のような濃密な湯気が、爆発的に立ち上った。

そして、その湯気の向こうから現れた断面の輝きに、全員が言葉を失った。


黄金色。

いや、黄金という言葉すら生温い。

まるで、透き通るような純度の高い琥珀(こはく)を煮詰め、太陽の光をそのまま閉じ込めたかのような、濃密な山吹色。

パサパサとした粉っぽさなど微塵もない。中心部から端に至るまで、完全にデンプンが糖化して蜜と化し、トロットロに透き通って、フルフルと震えている。

立ち上る湯気とともに居間を満たしたのは、焼き栗の香ばしさと、黒糖の深いコクを何倍にも凝縮したような、暴力的極まりない甘いアロマだった。


だが――千尋の仕事は、これだけでは終わらなかった。


「そして……仕上げは、これ!」


千尋は小皿から木スプーンですくい上げた、出来立ての「自家製有塩バター」を。

割られたばかりの、湯気を噴き上げる黄金色の断面の中央へと――惜しげもなく、たっぷりと、ぽとりと落とした。


ジュワァァァァァァァァ……ッ!!


熱々の蜜芋の上で、冷たいクリームホワイトのバターが、歓喜の悲鳴を上げるように溶け始めた。

熱で崩れ、透明な黄金の油膜となって、トロトロの芋の繊維の隙間へと吸い込まれていく。

白いバターが溶けていくたびに立ち上る、濃厚なミルクの甘いコクと、ツンと鼻腔をくすぐる岩塩の香気。

芋の暴力的な糖分と、出来立てバターの芳醇な乳脂肪の塩気。

背徳という名の悪魔が、湯気の中で優雅に微笑んでいた。


「はい! 熱いから気をつけて食べてね!」


千尋の声が合図だった。

男たちの理性の防壁は、一瞬で木っ端微塵に吹き飛んだ。


「いただきまーす! 千尋、あつい、でも食べるーっ!」

人型ルゥが真っ先に、手づかみで割れた芋にかぶりついた。

続いて、ギルバートが、ユーグが、そしてアルヴィスが、まるで獲物に飛びかかる獣のように、熱々の蜜芋を両手で包み込み、大口を開けてかぶりついた。


ハフッ……ハフッ、ハフゥッ……!


「…………っっっっっっっっっっ!!!!」


その瞬間、囲炉裏端に、雷鳴のような衝撃が走った。


噛む必要など、どこにもなかった。

唇を触れさせた瞬間、パリッと薄氷のように香ばしく焼けた皮が弾け、次の瞬間には、トロットロに溶けた熱い芋の果肉が、まるで極上のカスタードクリームのように舌の上へと流れ込んできたのだ。


甘い。

言葉を失うほどの圧倒的な糖度。

砂糖の甘さではない。大地の滋養と太陽の光が、遠火の灰の中で一時間かけて極限まで凝縮された、深く、奥深く、喉の奥を焼くような天然の蜜の甘み。


そして――その甘みの頂点へと襲いかかってきたのが、溶け落ちた有塩バターの暴力だった。


ジュワッと染み出す、濃厚なミルクの脂のコク。

そこへ、岩塩のキリッとした塩気が鋭利な刃物のように差し込むことで、芋の甘みがさらに何倍にも引き立てられ、背筋がゾクゾクとするような背徳の快楽へと昇華していく。

甘い、しょっぱい、熱い、まろやか、香ばしい。

五味のすべてが、口の中で完璧な嵐となって吹き荒れていた。


「……っ!? な、何だこの甘さは……! 溶けた乳脂肪の塩気が、芋の蜜をさらに引き立てて……熱力学の限界を超えて私の脳の快楽中枢を直接殴打してくる……!!」

ギルバートが眼鏡を曇らせ、涙目で叫びながら、ハフハフと芋を貪り食う。


「胃に……胃に優しいはずなのに、なんて罪深い味なんだ……! このバターのコク、塩気の波、そして喉を通る瞬間のこの滑らかさ……! 私の胃袋が、歓喜のあまり痙攣しそうです……!!」

ユーグは感動のあまり両手で芋を握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。


「あつい、あつい! でもうまい! 千尋、ぼくのにもっとバター乗せて! 追いがけしてくれぇぇぇっ!」

ルゥは口の周りを黄金色の蜜と白いバターでベタベタにしながら、リスのように頬袋を膨らませて必死に咀嚼していた。


そして――アルヴィスは。


「…………」


無言だった。

一切の言葉を発することなく、眉間に凄まじい集中力の皺を刻みながら、夢中になって芋にかぶりついていた。

サファイアの瞳は獲物を屠る獣のようにギラギラと輝き、ハフッ、ハフッと荒い息を吐きながら、熱々の蜜芋を喉へと流し込んでいく。

あっという間に半身を平らげると、彼は誰にも取られまいとするかのように、指先についた溶けかけのバターと甘い蜜の雫まで、チュッと音を立てて惜しそうに舐めとっていた。

帝国最強の「氷の死神」の威厳など、蜜芋とバターの前にはチリ芥(あくた)に等しかった。


「ふふ、アルヴィスさん、口の横に蜜がついてるわよ」

千尋が笑いながら麻布のナプキンを差し出すと、アルヴィスはハッと我に返ったように硬直した。

尖った耳の先が、カッと林檎のように真っ赤に染まる。


「あ、いや……これは……その……」

「美味しかった?」

「……美味い。……言葉にならんほど、美味い。……こんな美味い芋を食ったのは、生まれて初めてだ」


アルヴィスは観念したように小さく息を吐き、恥ずかしそうに視線を逸らしながら、けれど心底からの実感を込めて呟いた。

千尋は満面の笑みを浮かべ、自分も熱々の芋を小さくちぎって口に運んだ。

甘い。

香ばしい。

そして、手作りバターの塩気がたまらない。

前世の社畜時代、夜中のコンビニのレジ横で買った冷え切った焼き芋を、一人暮らしの狭い部屋で虚しく齧っていたあの凍えるような夜の記憶が――。

この温かな囲炉裏の火と、仲間たちの笑顔の前に、遠い幻のように溶け去っていった。


パチッ……と囲炉裏の炭がはぜる。

鉄瓶から立ち上る白い湯気。

外の常闇の森は、すっかり夜の帳が下り、冷たい秋風が梢を揺らしていた。

けれど、この山小屋の中は――囲炉裏の炭火と、熱々の蜜芋と、甘いバターの香りに包まれて、世界で一番温かく、誰もが肩書きを忘れて幸せになれる、絶対の聖域となっていた。


千尋の「安眠スローライフ」は、深まりゆく秋の味覚とともに、またひとつ、甘く温かな幸福の記憶を刻みつけていたのだった。

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