第7話 劫火の回廊にて火の王は滾る
ベル歴995年、雷の月30日。
あの赫炎の水門での事件から、六日が経過していた。
現在、余たち一行は我がゲンマ魔法国の絶対防衛機構、五重輪の内部に敷設された『火の回廊』の第四層において、武の試練の終盤に差し掛かっていた。
事の経緯は、数日前に遡る。
水門での襲撃者を鎮圧した後、レオ殿とライナー殿は二日をかけてイグナリスの赫炎の水門、およびそれに続くマナ供給パイプラインや周辺施設を徹底的に調査した。
だが、最初に見つかった黒い寄生型回路以外の異常は、どこにも見当たらなかった。
中枢制御室で倒れていた作業員たちも無事である。
本当によかった。
癒の聖霊の加護を持つシルビア殿が治癒の魔法を施したおかげで、彼らは一命を取り留めたどころか、翌日には後遺症もなくすっかり全快して業務に復帰していたのである。
その驚異的な回復ぶりを目の当たりにした現場の技術者たちによってシルビア殿は、「聖女様万歳」と拝み倒されていたのは言うまでもない。
まあ、それについては分からなくもないが、今は置いておこう。
それで、だ。
回復した作業員たちの証言を照らし合わせ、侵入者の行動を推測するに、どうやら中枢制御室へ侵入した者は、まず五名の作業員に見つかり戦闘となった。
そして彼らを制圧した後、なにかしらの細工を施そうとした矢先にライナー殿に見つかり、争いになったのだろう。
水門の中枢システムへの致命的な干渉こそ未然に防がれたものの、奴はすでに外のマナ供給パイプラインへ厄介な置き土産を残していた。
パイプラインに仕掛けられていた寄生型装置については、レオ殿が時空属性魔法を応用し、空間の位相を切り離すことで周囲のシステムに干渉することなく安全に取り外した。
現在は彼が時空属性魔法≪クロノ・ボックス≫とやらの中に預かり、保管している。
空間を切り離して危険物を安全に持ち運ぶなど、何か規格外の技術を用いた魔道具かと思いきや、これが彼の操るただの時空属性魔法だというのだから恐れ入る。
我が国の優秀な魔導師たちが束になっても到底及ばぬほどの魔導の深淵を、彼は涼しい顔で振るっているのだ。
他に仕掛けがないことが確認できたため、赫炎の水門の修理と再調整はライナー殿たち技術班が引き継ぐこととなった。
システムの完全復旧までには八日を要するという。
余はその修繕日程をライナー殿に確認した後、十日後に聖女の水門巡礼を執り行うことを正式に布告した。
それならばと、レオ殿は水門の復旧を叔父たちに任せ、空いた期間を利用して本来の目的である火の大聖霊の試練へ挑むことにしたのだ。
水門で復旧作業にあたるライナー殿の護衛には、ルジュを残してきた。
そのため、今回のパーティーメンバーはレオ殿、シルビア殿、水の聖猫フロー殿、そして、自ら同行を決めた余を含めた四人となっていた。
ただ、余が同行すると伝えたときに、レオ殿が「やっぱり」と言っていたのはなぜだろう。
まあ、いい。
同行するメンバーが決まった際、レオ殿は火の試練の過酷な環境を想定し、事前に用意しておいた小さな四角いケースを我々全員に手渡した。
中には特殊な工程で作られた飴が入っており、口に含むだけで一粒につき六時間の酸素供給が可能となる代物である。
空間内の酸素が炎によって強制的に消費され尽くす可能性を論理的に弾き出した、技術者としての備えであった。
たった一粒の小さな飴にこれほど高度な生命維持の機能を持たせるなど、アイゼンの魔導科学、いや、クロース家の神髄には底知れぬ恐ろしさすら覚える。
過酷な熱気への対策も万全である。
レオ殿、シルビア殿、そしてフロー殿が纏う特製戦闘装束には、防火機能と温度調節を担う空調機能が組み込まれている。
余に至っては、そもそも火属性の最高峰に位置する存在であるため、外部の熱量による影響を一切受けることがない。
盤石の態勢を整えた我々は、正面からの強行突破を避け、第一門の右側に位置する隠し扉『第零門』の前に立った。
レオ殿が次元接続鍵【ベルコネクト】という鍵を用いて扉を解錠し、試練の回廊へと侵入する。
そこから先は、入念な事前準備と各人の能力が完璧に噛み合った、過酷な環境の着実な突破劇であった。
試練の回廊は、侵入者を拒絶する戦闘領域である『武の回廊』と、属性の法則への深い理解を問うパズル要素である『知の間』が交互に配置される構造となっている。
空間内の酸素を強制燃焼させる第一層の酸欠の武の回廊と、その先にある知の試練。
急激な温度変化に伴う熱膨張と圧力を利用した第二層の武の試練と、ギミックの解除。
そして、炎が生む不規則な熱対流と上昇気流がマナの制御を乱す第三層での戦闘と謎解き。
フロー殿の水属性による的確な鎮火の作用や、事前の酸素供給の備え、そして何よりシルビア殿の絶え間ない治癒のサポート。
さらには、各層の『知の間』をクリアした後に現れるセーフゾーンにおいて、レオ殿が【クロノ・ヴィラ】とやらを展開し、安全で快適な宿泊を挟むことで、我々は疲労を一切溜めることなく、驚くほど順調に武と知の試練を突破して階層を進めてきたのである。
過酷な大聖霊の試練の最中に、手のひらに収まるほどの小さな白い立方体へマナを流し込み、一辺三メートルほどの白い箱へと展開させたかと思えば、時空属性の空間拡張によって内部に豪奢な邸宅空間を創り出し、完璧な休息環境を提供するなど、もはや常軌を逸している。
彼の振るう魔導技術の数々には、魔導の頂を自負するこの国の王たる余でさえ、ただただ舌を巻くばかりであった。
余も一つ欲しいとレオ殿に打診してみたところ、「求められた時のために、各国の王の分はすでに用意してあります。後ほどお渡ししますよ」と、飄々とした笑顔であっさりと承諾されてしまった。
あれほどの規格外の魔道具を、あらかじめ各国の王のために複数用意しているというのだから、彼の深淵には到底計り知れないものがある。
そして現在到達している第四層。
最奥を目前に控え、大聖霊が配置した防衛機構が純粋な暴力となって際限なく殺到する、武の試練の最終防衛線であった。
空間の至る所から火柱が噴き上がり、大理石の床面は高熱で赤く変色している。
前方から、炎そのものを鎧として纏った数体の大型自律兵器――火の守護者が、地響きを立てて突進してきた。
深い藍色の振袖を模した戦闘服を纏うフロー殿が、静かに前に出る。
抜刀と同時に放たれた第六位階聖霊水流攻撃魔法≪セイクリア≫の超高圧の水刃が、先頭のガーディアンの胴体を薙ぎ払う。
炎の鎧に対し、圧倒的な水の質量をもって激突する。
炎を気化させる隙すら与えず、水蒸気爆発すら起こさせない。
物理的な重圧と急激な抜熱によって燃焼連鎖反応を強制停止させられた自律兵器は、一瞬にして脆い残骸と化して崩れ落ちた。
後続のガーディアンに対しては、余が歩み出る。
無造作に右腕を突き出すと、掌に極限まで収束した赤黒いマナが、周囲の炎すらも強制的に従えるほどの圧倒的な熱量を放った。
第七位階聖霊火炎攻撃魔法≪ヴィアフレ≫。
高温に熱せられた霊的な炎の奔流が直線状に噴射され、同属性の耐性を完全に無視し、純粋な出力の差だけで防衛機構を消し炭へと変える。
残る一体のガーディアンが、標的を最も小柄なシルビア殿へと変更し、巨大な炎の拳を振り下ろす。
純白の法衣を纏ったシルビア殿は、微かに微笑んだまま一歩も退かなかった。
放たれた第四位階癒属性身体強化魔法≪セイクスト≫によって筋繊維の限界を引き出された聖なる拳が、ガーディアンの炎の拳と真っ向から激突する。
熱量による破壊よりも早く、圧倒的な物理的衝撃が敵の装甲と内部構造を完全に粉砕した。
砕け散った残骸が床に散乱し、第四層の炎が完全に鎮まる。
すべての防衛機構の魔力反応が消失し、完全に機能が停止したことを確認してから、シルビア殿は涼しい顔で腕を下ろした。
「これで、最後ですわね」
……聖女とは、これほどまでに物理的な腕力に秀でているものだったか。
癒やしの力を持つか弱き存在という常識を容易く粉砕する彼女の戦いぶりには、歴戦の王たる余でさえ驚かされる思いであった。
視界の先には、重厚な黒鉄で造られた巨大な両開きの扉が静かに佇んでいる。
レオ殿は歩み寄り、重厚な黒鉄の扉に手をかけた。
魔力を帯びた扉が、重々しい轟音を立ててゆっくりと開かれていく。
その先に広がっていたのは、これまでの階層とは比較にならないほどの莫大な熱量が渦巻く、黒曜石で形成された広大な洞窟内の広場であった。
艶やかな黒い岩肌は、高熱によってガラスのように滑らかに磨き上げられており、空間の所々に点在するマグマだまりの赤い光を不気味に反射している。
煮えたぎるマグマの表面からは絶えず気泡が弾け、重苦しい破裂音と共に超高温のガスが噴き出していた。
極限まで熱せられた空気の膨張によって強烈な陽炎が生じ、視界の奥の景色を絶えず揺らめかせている。
その灼熱の洞窟の中央。
赤く熱を帯びた黒曜石の広間の上に、一つの巨大な影が鎮座していた。
燃え盛る炎そのもので形作られた、巨大な獅子。
我が国の守護大聖霊イグフォイアの眷属アードル様の情報を模倣した高密度マナ体である。
侵入者を認識したアードル様の模倣体が、ゆっくりと四肢に力を込め、立ち上がる。
咆哮を発することもなく、ただその巨体から放たれる圧倒的な熱波が、物理的な重圧となって我々の全身を打ち据えた。
……素晴らしい。
余が王位に就いてから、これほどまでの苛烈な戦闘に自ら身を投じる機会はなかった。
長きにわたり、ただ国を統べる王であるという責務のみに生き、玉座から防衛の要を指揮する日々が続いていた。
此度の試練に赴くにあたり、王妃であるジュリアにはすでに伝えてある。
万が一、余が戻らぬ時は、王太子ルーカスに玉座を託すとな。
だが、この極限の死地にあって、闘士としての余の血がどうしようもなく滾っている。
ただ情報を模倣されただけのマナ体でありながら、これほどの莫大な熱量と威厳を誇るとは。
さすがは我がゲンマが誇る大聖霊の試練である。
火を統べる王として、これほど胸が躍る相手はいない。
余は口元に浮かぶ笑みを抑えきれないまま、灼熱の巨体を真っ向から見据えた。




