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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第1章 紅蓮ヲ断ツ

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第6話 火花這う導火線

 火山帯の熱気が立ち込める中、温泉地の近くに設置された『祈りの碑』の周辺は、静寂に包まれていた。


 赤と緑の点滅を繰り返していた赫炎の水門(イグニ・ゲート)のシグナルは、いつの間にか待機状態を示す『赤』へと切り替わり、そのまま固定されている。


 事態の推移を見守っていた群衆の間に、不安と困惑のざわめきが広がり始めた。


 その喧騒を制するように、ゲンマ魔法国第三十四代国王グスタウス・ルビー・ゲンマが、祈りの碑の前に設けられた壇上へと進み出る。


 拡声の魔道具が起動し、王の声が広場全体へと響き渡った。


『皆の者、静まれ。現在、赫炎の水門(イグニ・ゲート)の制御システムに予期せぬ不具合が発生している。安全を期すため、本日の祈りの儀は一時中断とする』


 群衆の中から、落胆の入り交じったどよめきが起こる。


『システムの再開の目途は立っておらず、復旧には時間を要する見込みだ。よって、儀式の新たな日取りについては、後日改めて布告を出すものとする。遠方よりこの儀式を心待ちにして足を運んでくれた者たちには、余から深く詫びよう。どうか本日は各々の滞在先へと戻り、心身を休めてほしい』


 グスタウスが誠実さを滲ませた声で宣言し、壇上から降りる。


 残された群衆の間で、諦めの声が連鎖的に広がっていった。ここに集まった者の多くは、魔導スポーツ世界祭典『八英雄杯』の観戦ついでに観光として訪れていた他国の国民である。


 日程の都合上、これ以上の滞在を延ばすことは難しく、儀式の再開を待たずに帰国せざるを得ない者も多い。彼らは互いに残念そうに言葉を交わしながら、三々五々、祈りの碑の前から立ち去っていった。


 群衆が引き始めるのを横目に、グスタウスは待機していた大型マナビークルへと歩みを進める。


 純白の法衣を纏った聖女シルビア・スワン、濃赤と黒の軍服を着こなしたルビア、そして深い藍色の振袖を纏ったフルーナがそれに続いた。


 専属の運転士が魔導回路を起動させる。エーテルリアクターを用いた駆動系が僅かな疑似稼働音を鳴らし、ルビアたちが同乗した車体が滑らかに発進した。王の乗る車両を護衛するように、数台の近衛車両がすぐ後ろへと続く。


「王宮の警備隊や魔法師団をさらに動かすッスか?」


 グスタウスの脇に座るルビアが、王へ視線を向ける。


「いや、まずは我々と後続の近衛たちだけで水門の状況を確認する。不用意に大軍を動かせば、無用な民の不安と混乱を招くだけだ」


 グスタウスが腕を組んだまま、静かに応じる。


「了解っス」

「……とはいえ、レオ様が向かってなお通信が復旧しないとなると、少々厄介な事態かもしれんせんね」


 フルーナが火の点いていない煙管を指先でくるりと回し、冷静に状況を分析する。


「……ええ。もしお二人が無事に合流できているなら、一度はこちらへ連絡があるはずですわ。それが無いということは、通信すらままならない事態が起きているのかもしれません」


 シルビアが両手を胸の前で固く組み、前方の景色を見つめる。


 大型マナビークルと後続の近衛車両は、水門へと続く立ち入り禁止エリアの正門へと到達した。


 衛兵たちは王の車列を確認すると、即座に姿勢を正してゲートを開け放つ。


 車列は速度を上げ、カリドゥ川に沿って広がる火山岩の地帯を進んでいく。剥き出しの岩肌と清冽な川の水面が続く一本道だ。


 正門から水門までの中間地点。祈りの碑から中枢マナタンクへと至る、マナ供給パイプラインが岩肌に沿って敷設されている付近に差し掛かった時だった。


「陛下、前方に人影ッス」


 前方を注視していたルビアが声を上げる。剥き出しの岩肌に沿って伸びるパイプラインの付近に、三つの人影が立っているのが見えた。


 特製戦闘装束に身を包んだ、レオ・クロース。


 その横で、両腕をだらりと下げ、顔を歪めている無骨な作業着姿のライナー・クロース。


 そして、レオの足元には、見慣れない防護外套を羽織った男が転がっていた。男は完全に微動だにせず、キュートの糸によって幾重にも拘束されている。


 接近してくる車列に気付いたレオが、パイプの陰から身を乗り出すようにして、大きく腕を交差させ、明確な『バツ印』のジェスチャーを送ってきた。


 近くに危険物が存在することを示す、無言の停車と接近禁止の警告だ。


 その合図を受け、運転士は素早くブレーキを踏み込み、対象から距離を取って車両を停止させる。後続の近衛車両もそれに倣って停車した。


 周囲の安全を確認しながら、レオがライナーの肩を支え、沈黙した男をキュートの糸で引きずりながら、ゆっくりと停車した車両の方へと近づいてくる。


 レオたちが十分な安全圏まで到着したのを確認し、車両の扉が開かれた。シルビアたちが外へと降り立ち、近衛兵たちも素早く周囲の警戒に展開する。


 車の前まで来ると、レオはいつもと変わらぬ飄々とした態度で軽く片手を挙げる。


「シルビア。それに陛下も。ちょうどお見せしたいものがありまして。っと、その前にシルビア。ライナー叔父さんの腕を治してやってくれないか」


 レオの言葉にはっと視線を向けたシルビアは、痛みに顔を歪め、不自然に両腕を垂らしているライナーの痛々しい姿に息を呑んだ。


「ライナー様、両腕が……すぐに治癒を」


 シルビアはライナーの垂れ下がった両腕にそっと手をかざした。


 第三位階癒属性回復魔法≪リストア≫。


 淡い金色の光の粒子が患部へと浸透していく。破壊されていた筋繊維と骨組織が急速に再生し、本来の構造を取り戻していき、ライナーが安堵の息を吐く。


「すまない、聖女様……。助かります」


 車から降り立ったグスタウスが、微動だにしない男へ視線を向ける。


「レオ殿。その引きずってきた男は何者だ」

「水門の中枢制御室を占拠していた侵入者です。システムを強引に操作し、偽の開始シグナルを出していました」


 レオが淡々と事実を報告する。


「異常な出力の近接格闘を仕掛けてきた後、追いつめられて自壊術式を起動させたため、私の時空属性魔法で術式の進行ごと時間を止めて強制的に沈黙させています」

「……推測はついているのだろうな」

「大体は。おそらく、西の……ルーメン神教国の裏組織『エヴィス』の差し金かと」

「エヴィス……。アイゼン王国で暗躍したという、あの組織か」


 グスタウスの赤黒い瞳に、明確な敵意が混じる。


「ええ。ただ、この者はエヴィスの工作員ではないでしょう。エヴィスに操られているだけと推測します。顔をご覧ください」


 レオが拘束された男の防護外套のフードを静かに引き下ろす。露わになったのは、青ざめ、虚ろな表情のまま硬直している男の顔だった。


「こやつは……」


 グスタウスが赤黒い瞳を僅かに見開く。


「八英雄杯で見かけた、シルヴァーナ共和国代表チームのコーチですね。名前までは知りませんが、先日の試合で見ました」


 レオの言葉に、シルビアが微かに眉をひそめる。彼女の聖女としての鋭敏な感覚が、時が止まった男から放たれる微かな「濁り」を感知していた。


「操られている……。ええ、間違いありませんわ。この者には大罪紋マオンクレストによく似た、よこしまな意思に精神を縛られている気配を感じます」

「まさか他国の代表チームのコーチまで手駒にしているとはな」


 グスタウスが忌々しげに吐き捨てる。


「ええ。来る道中、辺りを索敵しましたが他に工作員の気配はありませんでした。実行犯はこいつの単独のようですが……」


 レオはそこで言葉を区切り、真剣な眼差しを王へと向ける。


「陛下。先日の試合で見せた、シルヴァーナの選手たちの異常な身体能力とマナ制御を覚えていますか?」

「うむ。ヒュマーノ族でありながら、ビスト族の質量と真っ向から打ち合い、マナ器官が焼き切れるほどのパスワークを見せていたな」


 グスタウスもまた、試合観戦時に感じていた違和感を口にする。


「ええ。あれも純粋な鍛錬の成果ではなく、エヴィスの『外法』が関わっている疑いがあります」

「外法、だと……。では、選手たちも……」

「はい。すでに何らかの干渉を受けているか、この男のように操られる危険があります」


 レオの冷徹な分析に、王の表情が一段と険しさを増した。


「念のため、この国に滞在しているシルヴァーナ選手団の身柄を拘束しておいた方がいいかもしれません」

「……よかろう」


 グスタウスは深く頷くと、傍らのルビアへと視線を向けた。


「ルジュ。近衛たちに命じてこの男を拘束し、王宮の地下牢へ連行せよ。レオ殿の魔法が解ける前に、自壊を完全に無効化する魔力封じの手枷と処置を急がせろ。同時に、この国に滞在しているシルヴァーナ選手団の身柄も直ちに押さえるのだ」

「了解ッス!」


 ルビアが敬礼し、即座に近衛兵たちへ指示を出して男の連行と選手団拘束の手配へと動く。


「迅速なご決断、感謝します」


 レオが短く礼を述べると、グスタウスは微かに眉間へ皺を寄せて首を振った。


「よい。むしろこちらの方が感謝だ。我々の防備の杜撰さがこのような結果を招いたのだ」

「いや。防衛結界に干渉し、中枢の計器を完全に欺くほどの技術を持った組織が相手です。通常の警備網だけで未然に防ぎ切るのは、どの国であっても至難の業ですよ」


 レオは軽く肩をすくめてフォローを入れた。


「……それと、グスタウス陛下」

「ん?」

「私たちがさっきまであそこにいたのは、こいつを連行してきたからだけじゃありません」


 レオが、視線を先ほどまで自分たちが立っていた岩肌のパイプラインへと向けた。


「ライナー叔父さん」

「ああ」


 痛みが引いたライナーが深く頷き、言葉を継ぐ。


「あそこに見えるパイプの裏側の死角に、黒い魔導回路が隠されるように張り付いているんです。制御室へ向かう直前、私が偶然見つけた寄生回路です。防衛結界の波長と同化して潜り込み、中枢の計器へ完璧なダミー信号を送り続ける悪辣な代物です」

「寄生回路、でありんすか」


 フルーナが目を細め、煙管を持つ手を止めた。


「私が制御室でこいつを処理した後、叔父からこれの存在を聞きましてね。無理に外せばパイプラインそのものを巻き込んで、なにかしらの不具合を起こす仕組みが組み込まれている可能性があったため、回路の構造を解析すべく一緒に戻ってきたのです」


 レオは懐から真鍮製の魔導演算端末【マナロジカ】を取り出し、専用の透視鏡を装着する。


 針が揺れ、空間の屈折率やマナの波長が客観的な数値として可視化されていく。


「……推測ですが、高度なリバースエンジニアリングの痕跡があります。我々が得意とする魔導物理のアプローチとは根底から異なりますね」


 レオが【マナロジカ】の数値を読み上げると、傍らで回路を調べていたライナーが言葉を継いだ。


「……レオの推測の通りです、陛下。先ほど改めて落ち着いて構造を確認し、ようやく思い当たりました。各国を回る中で偶然目にしましたが、この回路は西方のドワーフの国『モンサン』の技術に極めて近いです」

「モンサン……。あの山岳地帯に引きこもっていると噂のドワーフの国か」


 グスタウスが顎に手を当てて呟く。


「はい。人を寄せ付けず、極東のオリガタ以上に閉鎖的なお国柄。彼らの技術が流出することは、ほぼないと云っていい」

「それでありながら、その技術力は世界三大技術大国の一つと呼ばれるほどですからね」


 レオの補足に、ライナーは重々しく頷き、忌々しげに黒い回路を見据え、言葉を継ぐ。


「そして、そこ特有の『魔導化学』を、この寄生回路に強引に解析・転用した形跡が見られます」


 ライナーの技術的な見解を引き継ぎ、今度はレオが静かに推論をまとめた。


「……シルビアが感じ取った『大罪紋によく似た邪悪な気配』と、この『モンサンの技術を流用した回路』。流出するはずのない技術が使われているということは……」


 言葉を区切ったレオに、ライナーが険しい顔つきで頷きを返す。


「その〝エヴィス〟っていう組織の影にはモンサンの技術者がいる、ということです。モンサンの中からエヴィスに加担し、両者に深い繋がりがあると考えれば、この回路の存在も説明がつく」

「なるほど。洗脳と他国の技術の悪用。それらが結びついているとすれば、確かに合点がいくな」


 グスタウスが顎に手を当てて低く唸る。


「以前、エヴィスを離反したと名乗る者……おそらく実行部隊に所属する〝イゼラ〟という女性だと予想していますが、私宛に手紙が届きましてね。そこに連中の内部の組織図が記されていたんです」

「ほう。だが、敵の罠という可能性もある。その情報の信憑性は計ったのか?」


 グスタウスが鋭い視線を向ける。


「いえ。現在、この組織図はすでにエナドへ共有し、情報解析局で裏付けの分析を進めてもらっています。ただ、解析は現在進行形であり、現段階では手紙の完全な信憑性はまだ低いと言わざるを得ません」


 レオは手元の端末から視線を上げ、黒い寄生回路を見据える。


「……ですが、その手紙には、ルーメン神教国の枢機卿の第五席が裏で統括するエヴィスの技術班『声の裂けヴォイス』の存在が記されていました。モンサンの技術者がその部隊に加担しているとすれば、目の前の異常な痕跡も辻褄が合います」

「……となれば、あの極東の島国、オリガタ皇王国の内乱工作も、単なる国盗りが目的ではないかもしれんせんね」


 フルーナが煙管を持つ手を止め、妖艶な笑みを消して真剣な眼差しを向ける。


「ただでさえモンサンの技術者が加担しているエヴィスの技術班でありんす。そこにオリガタが誇る独自の高度な技術まで加わってしまえば……それこそ手の付けられない厄介な事態になりんすよ」

「そうだな。連中がオリガタの中枢システムを完全に掌握すれば、その技術ごとエヴィスの手に落ちる。しかも、八英雄の国を攻めるための拠点基地にもなる、というおまけ付きだ。なんとしても防がないといけないな」


 フルーナの危惧に対し、レオは極東の空の彼方を見据えるように静かに肯定した。


 重苦しい沈黙が落ちた後、グスタウスが静かに口を開いた。


「うむ。世界の危機は看過できんが、そのためにもまずは我が国の目の前にある装置をどうにかせねばならんな」


 王の重々しい声が現実に引き戻す。グスタウスが忌々しげに、寄生回路が隠されているというパイプラインの方向へ視線を向けると、ライナーが技術者としての見解を口にした。


「……ええ。魔導化学そのものの構造であれば、私たちクロースの人間もしっかり理解しています。だが、それを防衛結界の波長とこれほど複雑かつ悪辣に同化させて組み上げる手法は厄介すぎます。もし私がさきほどこれを無理やり物理的に解除しようとしていれば、パイプ内のマナが逆流して大惨事になっていたかもしれません」

「なるほど。システムを止めただけでは不十分だったということか」


 グスタウスが腕を組み、事態の深刻さを噛み締めた。


「レオさん。この回路は、取り外せるのでしょうか」


 シルビアが問いかけた。


「ええ。外すこと自体は、そう時間は掛かりません。私の第五位階時空属性魔法≪ヘキサガード≫で周囲の空間の位相を切り離しつつ、マナの波長を少しずつ同期させて物理的に切断します」


 レオは【マナロジカ】をしまい、静かに言葉を継ぐ。


「ただ、他にどんな罠が残されているか、点検してみなきゃわかりませんがね。叔父と一緒に、一度プラント全体を総点検する必要があります」

「それが終わるまでは、祈りの儀は行えんということだな」


 グスタウスの問いに、レオは頷く。


「ええ。残念ですが、他に異常がなければすぐに終わります。念のため、安全の確証を得るまでしばらくお待ちください」

「よかろう。国民への説明は余が引き受けた。お前たちは、水門の安全確保に全力を尽くしてくれ」


 王の決断に対し、レオとライナーは深く頷き、再び熱気を放つパイプラインへと向き直った。

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