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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第1章 紅蓮ヲ断ツ

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第4話 着火の兆し

 ベル歴995年、雷の月24日、昼過ぎ。


 ゲンマ魔法国にそびえ立つ、ボルク山とケラーノ山と呼ばれる双子火山。


 ガルズ湖から流れ出たカリドゥ川が、その二つの火山の間の麓を勢いよく割るようにして流れている。


 水門が位置する一帯は過酷な火山帯であり、絶えず厳しい熱気が立ち込める環境だ。


 剥き出しの荒々しい岩肌と、力強く流れる清冽な川の水面が織りなす対比は、美しくも過酷な景観美を形作っていた。


 しかし、そこから少し離れた王家直轄領イグナリスの一帯は地熱の恩恵を豊かに受けており、有数の温泉地として栄える観光名所となっている。


 今日この日、その温泉街の近くに設置された祈りの碑の周辺には、押し寄せるような群衆の姿があった。


 人々が安心安全のもとで暮らすための生命線である、清浄な〝水〟。


 それを維持するための聖女による『癒』のマナ充填の儀は、世界を護るための厳粛な義務の祭事である。


 群衆の視線の先、立ち入り制限区域の奥には、過酷な環境の中に巨大な赤レンガの施設が鎮座している。


 それが、世界へ清浄な水を供給し続ける巨大な浄化プラント『赫炎の水門(イグニ・ゲート)』だ。


 内部の巨大ボイラーが火属性マナを用いて汚染水を気化・蒸留しており、施設からは常に濛々たる白煙が空へと吸い込まれていく。


 だが、儀式はまだ始まっていなかった。


 水門に設定されている状態表示のシグナルが赤から緑へ変わり、癒のマナ受け入れ準備完了が知らされて初めて開始されるからだ。


 現在の状態は『赤』である。






 祈りの碑からほど近い場所にあるエナド管理施設『セリティア・テラス』の一室。


 空調の魔導回路が作動する快適な室内で、レオ・クロースは窓越しに外の光景を見下ろしていた。


「外はすごい人の数だな」


 レオは分厚い窓ガラスに片手を添え、眼下の群衆を眺めながら静かに呟いた。前回のマリノンにおいて、彼は水門の修繕を行っていた父オスヴァルトの陣中見舞いで『蒼瀑の大水門(カタラク・ゲート)』の内部にいたため、水門巡礼に押し寄せる人々の熱気を外から見るのは初めての経験だった。


「ええ。マリノンで経験済みとはいえ、新たな土地と風土、国民性などを見ると、どこも新鮮ですわね」


 その対面では、純白の法衣を纏ったシルビア・スワンが静かに目を閉じ、心を整えながら穏やかな声で応じた。


「ああ。国王がこの儀式に立ち会うのは通例だが……今は八英雄杯の熱気が重なっているからな。これほど多くの民を呼び寄せることになったのだろう」


 ソファに腰掛けるグスタウス・ルビー・ゲンマが、腕を組んだまま頷く。


「それにしても、今回公式な護衛として付いているのはそなたただ一人だ。にもかかわらず、聖女殿は歴代の聖女のようにヴェールで隠すこともせず、素顔を晒すとは、大したものよ」


 彼女の指先からは、微かな治癒のマナが淡い光の粒子となって揺らめいている。


「護衛がレオさんただ一人だからこそ、ですわ。……それに実際には、彼だけでなく頼もしい彼女たちも側にいてくださいます。ヴェールに隠れて怯える必要などありませんもの」


 シルビアがゆっくりと目を開ける。碧い瞳にレオへの絶対的な信頼を宿し、そして傍らに控える二人を見やって微笑んだ。


「へへっ。聖女様、緊張しているッスか?」


 濃赤と黒の軍服を着こなしたルビアが、壁際から得意げな笑みを浮かべて声をかけた。


「いいえ。準備は完璧に整っておりますわ」


 シルビアが静かな決意を宿して答える。


「無理は禁物でありんすよ」


 深い藍色の振袖を纏ったフルーナが、煙管を手に妖艶な笑みを浮かべた。


 




 一方、エナド管理施設から別行動をとったライナー・クロースは、関係者以外立ち入り禁止の門から専用車で登り、すでにプラント内部の分厚い防護扉を抜けていた。


 浄化プラントの内部は、強力な空調の魔導回路が効いており、外の苛烈な火山帯の熱気が嘘のように快適な温度に保たれていた。


 分厚い隔離壁の向こう側では、巨大なボイラーが火属性マナを激しく燃やし、汚染水を瞬時に気化させる轟音が絶え間なく鳴り響いている。


 ライナーは無骨な作業着の腰に提げた魔導工具に手を伸ばした。


 今回の彼の任務は、膨大な熱量を処理する魔導回路の過酷な負荷に耐えうるよう、祈りの碑から中枢マナタンクへと至るマナ供給パイプラインの最終最適化を行うことである。


 熱気を帯びて複雑に絡み合う魔導回路の基板へと、測定用の魔導工具を接続する。


 計器の針が示す伝導率や負荷の数値に、異常は一切見られない。


 だが、熟練の技術者としての彼の眼差しが、不意に鋭く細められた。


 長年、魔導回路やマナの理と向き合ってきたクロースの人間特有の直感。計器には表れない、ほんの僅かなマナの揺らぎに対する違和感が、どうしても拭えなかった。


 ライナーは即座にその違和感の正体を突き止めるべく、無言のままプラントの外へ飛び出し、パイプラインの主要経路に沿って急行した。


 そして、群衆の集まる祈りの碑とイグニ・ゲートとのちょうど中間地点まで辿り着き、岩肌を這うように伸びる細いパイプの裏側に回り込んだ時、彼の足がピタリと止まる。


 決して大きいとは言えないその細いパイプを外部干渉から保護するための強固な防衛結界は無傷であり、管そのものにも一切の傷は見当たらなかった。


 だが、ライナーはパイプの死角に隠れるようにして取り付けられている異物を見て、額に冷たい汗を滲ませた。


 パイプの裏側に沿うようにして、見たこともない異質な構造をした黒い寄生型の魔導回路が張り付いていたのだ。


 前日の最終点検の時点では、結界にも管にもこのような異物は一切存在していなかった。

 何者かが昨晩から今日の僅かな時間の間に、厳重な警備網をすり抜けてこの細工を仕掛けたということになる。


 ライナーは震える手で魔導工具の測定針を、その黒い回路の表面へそっと這わせる。


 そして、計器に表示された異常な回路構造を読み解いた瞬間、彼は血の気が引くのを感じた。


 「……嘘だろ。防衛結界の波長と同化して潜り込んでいる上に、中枢の計器へ完璧なダミー信号を送り続けてやがるのか……」


 物理的な破壊などではない。それはパイプを流れるはずの癒やしのマナに直接干渉するための、極めて高度で悪辣な寄生回路。


 誰の仕業かは分からない。アイゼンの魔導科学とは根底から異なる未知の理論で組まれており、この得体の知れない回路がマナに干渉して何を引き起こすつもりなのか、今の段階では全く見当もつかない。


 未知の技術すぎるがゆえに、実際に儀式が始まりマナが流れてこの回路が起動してみなければ、どのような現象が起こるのか全く予測できないのだ。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 このまま儀式が始まってしまえば、こんな異常な装置が仕掛けられている時点で、何か取り返しのつかない最悪の事態が引き起こされる。それだけは、熟練の技術者としての経験と直感が明確に告げていた。


 即座に事態の深刻さを弾き出したライナーは、素早く立ち上がり、腰に提げていた現場作業用の携帯型通信機へと手を伸ばした。


 遠隔地と即座にやり取りができる通信の魔道具は、情報統制などの理由から世界的に使用が厳しく制限されている。現在、それを所持し使用することを許されているのは、各国の王族や防衛省の各幹部クラスのみであった。


 「……しまった、届かないか」


 一介の技術者であるライナーが現場で持っている携帯型通信機は、水門施設内にある親機を中心とした周波数でしか繋がらない短距離用のものである。


 そのため、この中間地点からエナド管理施設『セリティア・テラス』にいるレオたちへ直接電波を届かせるには、どうしても一度、親機を経由させる必要があった。


 ならば、いっそ今すぐこの得体の知れない寄生回路を物理的に破壊してしまえばいいのではないか。


 ライナーは腰の打撃用工具へと手を伸ばしかけ――ギリリと奥歯を噛み締めてその手を止めた。


 アイゼンの魔導科学から完全に逸脱した、未知の理論で組まれた回路だ。不用意に破壊しようとすれば防衛結界の反発を招くか、最悪の場合はパイプラインそのものを巻き込んで大爆発を起こす危険性すらある。


 技術者としての理性が、その無謀な行いを強く戒めていた。


 となれば、走って異常を知らせるしかない。


 このまま群衆の集まる祈りの碑を越えて、レオたちのいる『セリティア・テラス』へ直接向かうべきか。それとも、水門へ駆け戻るべきか。


 ライナーの思考が激しく交錯する。


 ここから両者への距離は等しい。だが、『セリティア・テラス』へ戻り、施設内にいるレオに事情を説明して儀式を止めてもらう手順を踏むよりは、水門の制御室へ駆け戻り、自らの権限で直接システムを緊急停止させる方が遥かに確実で早い。


 一瞬の葛藤の末、ライナーは親機のある水門へと急いで踵を返した。


 その時、視線の先にある水門に設置されている状態表示のシグナルが目に入った。


 シグナルは現在、赤色に点灯している。それが示すのは待機状態。 


 現場の最高責任者であるライナー自身が最終最適化の完了を報告していない以上、水門側から合図が出されることはない。


 まだ猶予はある。そう判断し、水門へ向けて駆け出そうとした――その時だった。


 無情な電子音と共に、イグニ・ゲートの癒のマナ受け入れ準備完了を知らせるシグナルが、鮮やかな緑色へと変わった。


 「……おいおいおいおいっ、俺はまだ完了の合図を出してないぞ!」


 自分が報告をしていないにもかかわらず、水門の中枢システムから強制的に儀式開始のシグナルが発信されたのだ。


 完全に血の気を失ったライナーは、チャクラを脚部の筋繊維へと集中的に作用させると、岩肌を蹴り飛ばし、水門を目指して全速力で駆け出した。


 荒々しい火山帯の斜面を駆け上っている最中、背後の祈りの碑方面から、儀式の開始を告げるファンファーレの音が風に乗って微かに聞こえてきた。


「くそっ!」


 得体の知れない寄生回路が何を引き起こすのかは分からない。


 だが、技術者としての直感が告げる極めて嫌な予感だけが、彼の背中を急かしていた。


 極限の焦燥感に駆られながら、ライナーは死に物狂いで脚を回転させた。


 巨大な赤レンガの建造物――赫炎の水門に着く。


 ライナーは最高責任者としての権限が記録された認識票をかざし、本来ならば厳重な手続きを要する防護扉を強制的に開け放った。


 轟音を立てて火属性マナを燃やす巨大ボイラーの熱気を肌で感じながら、鉄張りの階段を蹴り立て、施設の上層に位置する中枢の制御室へと一気に駆け上がる。


「おい!誰が勝手にシグナルを――」


 分厚い防音扉を乱暴に押し開け、空調の効いた室内へ飛び込みざまに怒声を張り上げたライナーは、続く言葉を途中で飲み込んだ。


 盤の前の床に、数名の技術班の作業員たちが倒れ伏していることに気付いたのだ。


 ピクリとも動かない彼らの周囲には、微かに焦げたような異臭が漂っている。


 そして、その惨状の中心――主制御盤の前に、一人の人影が立っていた。


 ゲンマ魔法国の指定作業着ではない、見慣れない防護外套を羽織った男だ。


 男は、中枢の計器に外のパイプラインで見つけたものと同じ、未知の理論で構成された黒い寄生型の魔導端末を接続し、何らかの操作を行っていた。


「誰だ、お前……」


 直感的な危機感から、ライナーの口から鋭い問いが漏れる。


「俺の部下に何しやがった!!」


 だが、男は問いには一切答えない。フードの奥の暗がりをライナーへ向けたまま、無言で片手を上げ、極限まで高密度に圧縮したマナを自身の右腕そのものへ無音で収束させる。


 殺気や威嚇といった予備動作すらない、極めて事務的な近接格闘による排除の挙動。


 男が床を蹴る。常軌を逸した身体強化により、その姿が視界からブレて消失した。


 直感的に死の危険を悟ったライナーは、腰に提げた打撃用の大型魔導工具を引き抜き、本能的に盾として構える。


 直後、人間のマナ器官の限界を完全に無視した異様な出力の打撃が、工具の柄に激突した。


 鋼鉄の工具が大きく軋み、両腕の骨が砕けそうなほどの重い衝撃がライナーの全身を貫く。生身の人間から放たれたとは到底思えない、理の枠組みを完全に逸脱したおかしな力だった。


 ライナーは衝撃を殺すように後方へ身体を滑らせ、紙一重でその致命の近接打撃を逸らす。そして、交錯のどさくさに紛れて主制御盤へと肉薄した。


 空いた手でシグナルボタンを強打し、強制的に状態表示を赤色へと戻す。


 だが、男は体勢を崩しながらも、常識外れの異常な反射速度でライナーの腹部を蹴り退け、すぐさま黒い端末を操作してシグナルを鮮やかな緑色へと戻してしまった。


 床を滑りながら即座に体勢を立て直したライナーは、無言のまま再び男の懐へ踏み込む。


 放たれた手刀を工具の質量で強引に弾き返し、その反動を利用して制御盤へ腕を伸ばし、二度目のボタンを叩き込んで赤へ戻す。


 男は声一つ発することなく、マナを圧縮した肘打ちをライナーの首筋へ突き入れる。


 ライナーが首を捻ってその一撃を回避した一瞬の隙を突き、男の指先が正確に端末を弾き、無情な電子音と共に再びシグナルが緑に変わる。


 ライナーは奥歯を噛み締め、男の追撃の蹴りを掻い潜るようにして極端に姿勢を低く沈める。そのまま下から主制御盤へ腕を伸ばし、三度目のボタンを強打して赤へと強制的に切り替える。


 だが次の瞬間、男の腕から人間の限界を遥かに超えた物理的な重い拳が、至近距離で叩き込まれた。


 直撃を工具の腹で防いだものの、その凄まじい物理的衝撃にライナーの身体は大きく吹き飛ばされ、床を激しく転がる。


 痛みを堪えて顔を上げた彼の視線の先で、男は何事もなかったかのように端末を操作し、シグナルを再び鮮やかな緑色へと固定してしまった。


 主制御盤のシグナルは鮮やかな緑色に点灯したままだ。


 この異常な男を完全に排除しなければ、システムを停止させることはできない。


 ライナー自身、クロース家の血を引くだけの戦闘技術と身体能力を有している。だからこそ、この理外の攻撃をここまで紙一重で凌ぎ続けることができたのだ。


 だが、あくまで水門のメンテナンスを目的とした現在の魔導工具のみで、命を燃やすような敵の異常な出力を正面からねじ伏せることは、物理的に不可能だった。


「頼むぜ、レオ」


 ライナーが、相手に聞こえないくらいの声でつぶやいた。


 極限の状況下でライナーは、手に持つ大型魔導工具を力強く構え直した。


 いかなる戦力差があろうとも、生き抜いて敵をこの場に釘付けにする。


 アイゼンの技術者としての意地が、彼を極限の耐久戦へと向かわせた。

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