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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第1章 紅蓮ヲ断ツ

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第2話 硝子の向こうの疑惑

 ベル歴九九五年、雷の月二十二日。


 魔法の最先端を行く国家ゲンマの王都マグノラにそびえ立つ、マグノラ・ドーム・アリーナ。


 その最上層に位置する特別貴賓室には、レオ・クロースたち一行の姿があった。


 窓際に立つレオが身に纏うのは、濃紺の上質な生地に銀糸の刺繍が施されたクロース侯爵家の正装である。首元にはタイを締め、胸元には家紋である「歯車と槌」のバッジが鈍い光を放っている。


 眼下では、魔導球技『エレメント・サル』の八英雄杯決勝戦――ティアゾン・マムーツとシルヴァーナ・ゼファーによる死闘が、王者の純粋な暴力とマナの奔流によって逆転勝利という形で幕を閉じたばかりである。


 コートを覆っていた絶対防御結界≪マナ・ケージ≫が解除され、数万人の観衆が放つ熱気と歓声が、防御魔法が付与された分厚い窓ガラスを微かに震わせている。


「個の劣勢を完璧な連携で覆したシルヴァーナの戦術も見事でしたが……やはり、最後は純粋な身体能力とマナの総量が勝負を決めましたわね」


 レオの隣に並び立つ聖女シルビア・スワンが、眼下で舞い散る紙吹雪を眺めながら静かに分析を口にした。


 彼女もまた、純白の法衣に金の刺繍が入った聖職者の正装を纏い、聖女としての格式を保っていた。


「ええ。ですが、あそこまで王者を追い詰めたシルヴァーナの組織力は本物でした。あれだけの精度でマナの属性変化を連続させれば、通常なら中盤でマナ器官が焼き切れます」


 レオは、客観的な事実を述べる。彼自身もまた、時空属性のマナを駆使して戦う身として、選手たちが見せた極限の制御技術には大いに興味を惹かれていた。


「ま、どちらが勝とうと、アチキたちには関係のない話でありんすがね」


 窓際に立つ二人の背後――革張りのソファから、艶やかな声が響いた。


 深く腰掛けているのは、深い藍色の振袖を一切の乱れなく着こなした女性。水の大聖霊の加護を持つ聖猫フローのヒト化姿、フルーナである。


 普段のだらしなく着崩した姿は封印し、完璧な正装用の振袖を纏っている。彼女は右手に持った煙管から紫色の煙を細く吐き出しながら、妖艶な笑みを浮かべた。


「いつも出しゃばるあの黒猫がいない今こそ、この〝筆頭〟従者のアチキにお任せでありんす。……お茶のおかわりは、いかがでござりんすか?旦那様」

「はは。いや、大丈夫。試合も終わったし、そろそろ来る頃だろ」


 扉の前に立っていた少女が、ピンと背筋を伸ばして振り返る。


 赤髪をツインテールに結い上げ、深紅の瞳を輝かせている少女――火の大聖霊の加護を持つ聖猫ルジュのヒト化姿、ルビアである。


 彼女は濃赤と黒を基調としたゲンマ魔法国の軍服を隙なく着こなし、この国での案内役として一行に同行していた。


「マスター!王専用の席で観戦されていた陛下が、こちらへお見えになったッス!」


 ルビアの快活な報告と同時、貴賓室の重厚な木製の扉が、音もなく開かれた。


「――待たせたな、レオ殿」


 厳かで通りの良い声が、室内に響き渡る。


 入室してきたのは、少し長めの紅い髪を後ろに撫で付けた、精悍な顔立ちの偉丈夫だった。


 赤黒い瞳には、王としての威厳と、魔導を極めた者特有の知的な光が宿っている。


 ゲンマ魔法国、第三十四代国王、グスタウス・ルビー・ゲンマ。


 彼は背後に従えていた近衛兵たちを廊下に留め置き、自ら扉を閉ざした。


 カチリという硬質な錠の音と共に、室内に微かなマナの波動が走る。


 この特別貴賓室は、他国の要人との密談に用いられる「外交の場」でもある。扉が閉ざされた瞬間、部屋全体に高度な防音結界が展開され、外部との情報は完全に遮断された。


 レオは即座に姿勢を正し、アイゼン王国の貴族として完璧な礼をとった。


 シルビアもまた、優雅なカーテシーでそれに続く。


 フルーナはソファから立ち上がり、煙管を帯に差して静かに一礼し、ルビアも軍人として隙のない敬礼を見せた。


「お忙しいところ、お時間をいただき感謝いたします、グスタウス陛下。そして、素晴らしい試合でした」


 レオが顔を上げ、礼節を弁えた声で告げる。


「なに、余は席に座って観ていただけだ。選手たちの働きを称えてやってくれ」


 グスタウスは豪快に口端を吊り上げ、レオの対面にあるソファへと歩み寄り、深く腰を下ろした。


 彼は案内役のルビアから聞いていた青年を値踏みするように一瞥した後、眼下のグラウンドへと赤黒い瞳を向けた。


「……ところで、レオ殿は今の試合どう見た?」

「ええ。シルヴァーナの選手たちの身体能力とマナの充実に違和感がありましたね」


 レオが淡々と事実を指摘すると、グスタウスは口元から笑みを消し、深く頷いた。


「やはりそう感じたか」


 グスタウスは腕を組み、低く通る声で続ける。


「ヒュマーノ族の選手が、ビスト族の純粋な質量と真っ向から打ち合えるほど、急激にマナの総量を引き上げられるものかとな。……戦術の練度とは別に、何か外法のような手段で強引に引き出しているように見えた」

「ええ。最後はティアゾンの地力に押し切られましたが、あのマナの使い方は異常です。下手をすれば、選手の命やマナ器官を不可逆的に削りかねない」

「同感だ。そもそも八英雄の国の選手には、大聖霊のマナの恩恵という大きなアドバンテージがある。それに対し、大聖霊を持たない中央同盟諸国が、あれほどの出力を出せるのは解せん」

「そうですね」

「……シルヴァーナ共和国は、中央同盟諸国の中でも西の端に位置する国だ。何か裏があるのか、早急に我が国の諜報網を使って調べさせる必要があるな」


 グスタウスが短く鼻を鳴らす。魔導の頂点に立つ国の王として、魔法を不正な手段で歪める行為は到底看過できるものではなかった。


「ええ。何事もなければよいのですが」

「まったくだ」


 確証がない以上、推論はここまでだと感じ、レオは今は本来の目的に意識を向ける。


「それでですね、グスタウス陛下。本日はもう一つ、私からお願いの儀がございまして」


 レオは居住まいを正して続ける。


「火の大聖霊イグフォイア様が座す聖域、『イグフォイアクレーター』。そこへ至る絶対防衛機構、五重輪オクト・クインタの試練の回廊へ挑むための許可をいただきたく、参りました」


 レオの言葉に、グスタウスは腕を組んだまま、口角を少し上げる。


「言わずとも分かっておる。エナドを通じて、お前が各地の大聖霊の試練を巡っているという話は耳に入っておるからな」

「話が早くて助かります」

「無論、許可しよう。お前がこれから聖霊王の加護を得ようとする者であるならば、余に止める権限はない。……だが、その前にそちらの聖女殿の公務が先であろう?」


 グスタウスが視線を向けると、シルビアが静かに頷く。


「はい。まずは『赫炎の水門イグニ・ゲート』へ向かい、浄化の儀式を済ませてからとなりますわ」

「うむ。水門巡礼は、八英雄の国にとって重要な国のイベントの一つだからな。しかも今は八英雄杯の熱気で、街は相当盛り上がっておる。余自らが先導を務めさせてもらおう」

「ええ、よろしくお願いいたします。日程は?」


 レオが当然のこととして受け入れ、実務的に問うと、グスタウスは豪快に頷いた。


「明日にでも布告を出し、明後日には水門へ赴くこととする。ルジュ殿も、引き続き案内役として同行せよ」

「了解ッス、陛下!マスターたちのご案内、お任せくださいッス!」


 ルビアがピンと背筋を伸ばし、軍人として隙のない敬礼を見せる。グスタウスは満足げに頷き、再びレオへと赤黒い瞳を向けた。


「シルヴァーナの件はそれとなく調べさせておこう。お前たちは存分に役目を果たすがいい」

「感謝いたします、陛下」


 レオがアイゼン王国の貴族として非の打ち所のない礼をとると、グスタウスは鷹揚に頷いた。


 マグノラの熱気を孕んだ風が、窓ガラスの向こうで渦を巻いていた。  明後日には、王の先導による『赫炎の水門イグニ・ゲート』への巡礼が始まる。

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