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ゼロから始める軍神少女  作者:
第二巻 嵐からの手紙
89/130

枕の下の秘密と少女たちの決意

ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、収穫期の麦の穂にも似た、鮮やかな黄金色だった。

小さな影が、その胸へと勢いよく飛び込んでくる。

「わっ……!」

不意の衝撃に、シミアは思わず半歩後ずさった。けれど、その小さな体を、確かに、しかし、優しく受け止める。

「シミア、会いたかったよぉ」

トリンドルはシミアの胸に顔を埋める。その懐かしい、心の底から安心できる匂いで、脳が一瞬にして満たされていくのを感じた。

「もう、たった二日会わなかっただけじゃないか」

シミアはトリンドルの柔らかな金髪をそっと撫でながら、少し掠れた声で彼女を宥める。

トリンドルが顔を上げる。

喜びと、そして隠しきれない憂いの入り混じったシミアの表情が、その瞳に映った。

「シミア。あたしがいない間、誰かにいじめられたりしなかった?」

「えっ!?」

どきり、と心臓が跳ねる。トリンドルスの鋭い勘に、背筋を冷たい汗が伝った。シミアは慌てて首を横に振る。

「ない……そんなこと、もうずっとないよ。トリンドルが守ってくれてるから。ありがとう」

トリンドルはそっと体を離した。シミアの全身が露わになる。

血の気の引いた顔色。少し乱れた制服。そして、明らかに不自然で、ぎこちない仕草。

トリンドルは彼女のことをよく知っていた。シミアが何かを無理しようとする時、隠し事が下手なその体は、いつだって先に悲鳴を上げてしまうのだ。

「それはシミア自身の努力だよ。あたしは何もしてないって」

トリンドルは努めて明るく言った。その視線は、しかし、気づかれぬよう、素早く部屋全体を検分している。

「さあ、入って。二日間、疲れただろう」

陽光が作り出した金色の帯を踏みしめ、トリンドルはシミアの部屋へと足を踏み入れた。そして、子猫のように軽やかに、シミアのベッドへと飛び乗る。

ぽかぽかと暖かい。シミアが少し前までここに寝転んでいたのだと、その温もりが教えてくれた。彼女だけの匂いと温度が、すぐそこにある。

(――ああ、この温もり、独り占めしたい)

そう思った、まさにその時だった。

奇妙な違和感が、脳裏に満ちていた幸福感を、無理やり横から押し退けた。

(あれ……?いつものシミアなら、こんな風にあたしの好きにベッドを使わせるかな?)

「うん、王都にあるあたしの家の領地って、すごく離れてるから、ずっと馬車に揺られてて疲れちゃった。田舎に帰る時みたいに、急かされて面倒でさ。シミアも一緒に行けたらよかったのに」

トリンドルは冷静さを取り戻し、くるりと身を翻す。

自分が「田舎に帰る」と言った瞬間、シミアの顔色が、さらに不自然になったのを、彼女は見逃さなかった。その視線が、制御を失ったように、何度も、何度もベッドの右側へと向けられている。

その視線の先を追う。

そこには、シミアがいつも使っている枕が一つ、あるだけだ。

(枕?どうして……?)

まるで注意を逸らすかのように、シミアが早足で歩み寄り、トリンドルと枕の間に割り込むように腰を下ろした。ちょうど、彼女の視線を遮る位置だ。

「エグモント家の御用向きに、私のような部外者が関わるのは、あまりよくないだろう?」

視線が、絡み合う。

シミアの顔に浮かんだ無理矢理な笑顔は、その瞳までは届いていなかった。いつも穏やかなはずの瞳の奥で、得体の知れない、深い憂慮が渦巻いている。

辺境へ向かう道中で、シミアが時折見せていた表情。

それと、同じだ。

(この子、また、何か一人で抱え込んでる)

トリンドルの胸の内で、確信が生まれた。

「シミアは部外者なんかじゃない!シミアはあたしの騎士様なんだから!最高のだーい好きな騎士様!」

不意打ちのド直球に、シミアの頬がカッと赤く染まった。

「そうだ、シミア……」

トリンドルがさらに何かを問い詰めようとした、その時。

シミアの体が、びくりと跳ねた。危険を察知した兎のように、無意識の反応だった。

「な……なんでしょうか、王女殿下?」

その僅かな動きが、トリンドルの推測を、確信へと変えた。

「馬車を降りて、すぐに走ってきたから、喉が渇いちゃった」

トリンドルはくるりと話を変える。有無を言わせぬ、それでいて甘えるような口調で言った。

「寮のメイドさんに、お茶を淹れてもらえないかな?……紅茶以外でお願い」

シミアは一瞬躊躇ったが、最終的には頷いた。

「もし眠いようでしたら、少し休んでいてください。すぐに戻りますから」

トリンドルは目を閉じ、ベッドに身を横たえる。暖かい温度と、シミアの匂いが、優しく彼女を包み込む。

シミアの足音が遠ざかっていくのを、彼女は静かに聞いていた。

やがて、ドアがそっと閉まる音がする。

その瞬間、トリンドルは、カッと目を見開いた。

その視線は、一本の鋭い矢となって、かの枕へと突き刺さる。

(シミアの秘密は、きっと、あそこに……)

彼女は手を伸ばし、枕の上へと置いた。

ふわりとした、いつもと変わらない感触。

だが、指先が沈み込んだその先に、紙の硬さを持つ、薄い何かの存在を感じ取った。

指先に触れたものを、そっと引き抜く。

封のされていない、一通の手紙だった。

(……シミアに無断で手紙を読むなんて、ダメだよね……)

手紙を元に戻そうとした、その時。

封筒の裏側に書かれた、ある名前が目に飛び込んできた。

見慣れた、そして、心の底から憎んでいる名前――カシウス。

二日間の旅の疲れも、他人の手紙を開けることへの抵抗も、その瞬間、守るという名の、より強大な怒りの炎によって、跡形もなく焼き尽くされた。

トリンドルは、躊躇わなかった。

封筒から、便箋を引き抜く。

そして、一言一句、その文字を追っていった。


……


トリンドルがシャルとシメールを見つけた時、二人は寮の談話室で、夕食のメニューについて和やかに話し合っていた。

トリンドルは無言だった。

ただ、シミアの枕の下から見つけ出した手紙を、テーブルの中央へと滑らせた。

シャルとシメールは、不思議そうに顔を見合わせ、テーブルを覗き込む。

洗練された、非の打ち所のない筆跡。カシウスのものだとすぐに分かった。

そして、そこに綴られた、身も凍るような冷たい内容を読んだ瞬間、二人の顔から、さっと血の気が引いた。

薄い一枚の紙。

だが、それは今、千鈞の重さとなって、部屋の空気を軋ませ、凍てつかせている。

シャルの脳裏に、辺境での、あの唐突な吹雪が蘇る。

シミアの華奢な体が、自分の前に立ちはだかっていた。

神の如き絶対的な力の前に、彼女が発した、あの、懇願にも似た、弱々しい言葉。

そして自分は、無力な人形のように、その背中の後ろに隠れ、何もできなかった。

シメールは、無意識のうちに拳を握りしめていた。関節が白くなるほど、強く。

拳に刻まれた硬いタコが、主の弛まぬ努力を物語っている。しかし、その努力は、すべてを凍てつかせるあの吹雪の前では、あまりにも滑稽だった。剣を抜くことさえ間に合わず、彼女の戦いは終わってしまったのだ。

結局、誰一人として、守れなかった。

自己嫌悪に陥る二人を見て、トリンドルの胸の内で、怒りの炎がごうっと燃え上がった。

バンッ!

小さな拳が、テーブルに叩きつけられる。皿の上のクッキーが、小気味よい音を立てて飛び跳ねた。

「あんたたち二人、いつまでそこで勝手に落ち込んでるつもり!」

トリンドルは、怒りに声を震わせながら、二人を睨みつけた。

「トリンドルお嬢様……」

「このままでいいわけ!?シミアが一人で無理してるのに、あんたたちはここで縮こまって、あの子が一人で苦しんでるのを見てるだけなの!?」

シャルの唇が、震えた。だが、言葉にならない。

自分のせいで、シミアはカシウスに攫われ、あんな絶体絶命の窮地に陥ったのだから……。

シメールの瞳から、光が消えた。自分の力など、取るに足らない。度重なる失敗で、その誇りはとっくに砕け散っていた。

トリンドルの脳裏に、薬の効果に苛まれるシミアの姿が浮かぶ。

苦しむ彼女の姿。自分の心に過ぎった、邪な想い。

そして……その後に、心に立てた、決して揺るがない誓い。

「あんたたちがどう思おうと、シミアはきっと、また昔みたいに、全部一人で背負い込む!でも、あたしはあたしの騎士様を信じてる!」

トリンドルは胸を張る。有無を言わせぬ力強さで、宣言した。

「だから、あたしが彼女を守る。二度と、よこしまな考えを持つ奴らに、あの子の指一本、触れさせない!」

その言葉は、まるで炎のように、部屋の冷たい空気を追い払った。

「トリンドルお嬢様……」

シメールが顔を上げる。いつも自信に満ちていたその瞳に、初めて迷いの色が浮かんでいた。

「そうは言っても……私たちに何ができる?剣術が一夜にして極められないように、私たちの力だって、すぐには上がらない。どうやって、シミアを守れって言うんだ?」

その問いは、冷水となって、トリンドルの気勢を、一瞬にして削いだ。

「そ、それは……そのために、あんたたちに会いに来たんじゃない!一緒に考えるの!」

その時だった。

ずっと沈黙していたシャルが、ゆっくりと顔を上げた。

「トリンドル様、シメール様」

その声はか細い。だが、不思議と、人を安心させる力を持っていた。

「我想、シミア様が今一番心配なさっているのは、私たちの身の安全です。手紙には、カシウス先生の狙いはシミア様の周りの人間だと、そう書かれていました。ですから……まずは私たちが自分自身の身を守って、シミア様にご心配をおかけしないようにすれば、それでよいのではないでしょうか?」

トリンドルの目が、ぱっと輝いた。

「そうよ!」

力強く頷く。その顔に、再び闘志の炎が灯った。

「これからは絶対に一人で行動しないこと!カシウスに、シミアを脅す隙を与えないようにするの!」

「それは難しくないだろう」

シメールも冷静さを取り戻していた。

「私はシャルとルームメイトだし、普段は剣の鍛錬以外にすることもない。だが、私たちだけで、本当に神出鬼没の敵を防げるのか?」

「大丈夫!」

トリンドルの顔に、エグモント家の一人娘らしい、少しわがままで、自信に満ちた笑みが浮かんだ。

「シミアのことは、あたしたちエグモント家の力を使う。バセス爺やにお願いすれば、きっと何か方法があるはずよ!」

「トリンドル様。シミア様は……昔から、ご自分の胸の内を、お話しするのがあまりお上手ではありません」

シャルは、感謝の念に満ちた瞳で、トリンドルを見つめた。

「もし、私にお手伝いできることがありましたら、どうか、何なりとお申し付けください。私にできることでしたら、何でもいたします」

「拙者も、武芸の心得は多少なりとも。ルームメイトの……」

シメールの視線が、決意を固めたシャルへと向けられ、そして、真剣な表情のトリンドルへと移る。

「……その家族を、全力で守らせてもらう」

二人の仲間からの言葉に、トリンドルの瞳に、希望の火が灯った。

「うん!善は急げだね。あたし、一度屋敷に戻る。何か進展があったら、また連絡するから!」

こうして、雨上がりの午後、三人の少女たちによる、守るための戦いが、静かに、その幕を開けたのだった。

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