遥かなる便り、心の波紋
読み終えた便箋を丁寧に折り畳み、封筒に戻す。
シミアはベッドサイドの引き出しを開け、それを宝物のように大切にしまった。
手紙は、遥か彼方の銀潮連邦から届いたものだった。
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『唯一の盟友、シミアへ』
『貴女からの手紙、無事に受け取りました。
短い挨拶と、授業内容についての淡々とした報告。いかにもシミアらしい文章ね。でも、私たちは盟友なのだから、正直に聞くわね。――貴女、何か無理をして隠していないかしら?
文字というのは不思議なもので、書き手の心を隠そうとしても、どうしても透けて見えてしまうものよ。貴女が書いた「万事順調」という言葉からは、いつもの貴女らしさが感じられないの。
もし何か困難に直面しているのなら、正直に教えて。あの時の約束通り、私は貴女と共にその重荷を背負うつもりだから。
私の近況だけれど、港湾同盟にある「銀行」――お金を預かったり貸したりする機関よ――で職を見つけたわ。先輩の汐莉さんの紹介で、彼女とアパートをシェア(ルームシェア)することになったの。
アパートというのは、大きな建物を区切って複数の部屋にした集合住宅のこと。私たち王国の人間には馴染みがないけれど、住んでみると意外と快適よ。広すぎず、狭すぎず。今となっては、見栄のためだけに巨大な屋敷を維持するのが、なんだか馬鹿らしく思えてくるくらい。
ここの生活はとても合理的だわ。最初は戸惑ったけれど、親切な同僚たちがたくさんの「節約術」を教えてくれたの。
例えば、決まった時間に魚市場に行けば、新鮮な魚や野菜が驚くほど安く買えるし、裏通りの市場に行けば、中心街よりずっとお得に日用品が手に入る。
この前なんて、すごく美味しいショートケーキを格安でゲットできたの! 本当に美味しかったから、いつか貴女にも食べさせてあげたいわ。
それから、貴女が気にしていたコルヴィーノという男について、少し調べてみたわ。
彼は銀行家の一族で、銀潮連邦におけるいわゆる「オールド・マネー(旧家)」の出身よ。今年の初め、議会での裏工作によって強引に「執政官」の座を手に入れたことで、ちょっとした騒ぎになっていたみたい。ここ数年は「工場派」の台頭が著しくて、彼のような旧勢力は何年もその地位から遠ざかっていたから。
くれぐれも気をつけて。彼は手段を選ばないタイプのようだから。
仕事の合間に、情報収集も続けているわ。
最近、気になる動きがあるの。港湾同盟の銀行が一斉に「預金金利」を引き上げたせいで、大量の資金が銀行に吸い上げられているわ。これは異常事態よ。
例えるなら、金貨十枚を預けて三ヶ月待つだけで、銀行が十一枚にして返してくれるようなもの。おかしいでしょう? 金貨が勝手に子供を産むわけでもないのに。銀行の収益が上がったという話もないのに、金利だけが狂ったように上がっている。先輩の汐莉さんも、こんなことは初めてだと言っていたわ。
引き続き調査を続けて、真相を探ってみるつもり。
最後に、文法のことだけど……シミア、貴女はもっと自分に自信を持っていいのよ。
貴女の文章は簡潔で論理的。確かに、先生たちが喜びそうな「模範解答」だわ。
でも私、そういうのは好きじゃないの。
せっかくの手紙なんだもの、もっと感情を解放して書いてもいいじゃない? 余計な気遣いは捨てて、思ったことをそのままぶつけてほしいわ。私にとっては、推敲を重ねた完璧な文章より、不器用でも貴女の「本音」が詰まった言葉の方が、ずっとずっと価値があるもの。
貴女だけの、「シミア」の手紙を待っているわ。
貴女の友
ミリエル・ルルト』
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……シミアはそっと引き出しを閉め、深く長い溜息を吐いた。
ミリエルの言う通りだ。自分は隠している。
ローレンス王国に迫る多重の危機。それらは頭上に吊るされた剣のように、シミアの心を圧迫し続けている。誰にも言えない恐怖。
一番近しい人たちを巻き込みたくない。それに、そんな暗い話をミリエルに聞かせたくなかった。
手紙からは、鮮やかな生活の息吹が立ち上ってくるようだった。
銀行での仕事、ルームシェア、安い野菜やケーキを探して街を歩く日々……。
文面から滲み出るミリエルの逞しさと活力、そして鋭い情報収集能力に、シミアは心からの喜びと――一抹の罪悪感を抱いた。
ミリエルは包み隠さず全てを話してくれているのに、自分はまだ、彼女に壁を作っている。
文字を追うだけで、あの繁華で、見知らぬ、けれど可能性に満ちた街で懸命に生きるミリエルの姿が目に浮かぶようだ。
シミアは窓の外に広がる星空を見上げた。
今この瞬間、ミリエルも同じ星を見ているのだろうか。
(本当なら……守られるべきは彼女の方なのに)
(銀行、アパート、節約のための生活……そんな暮らし、なんだか……)
シミアの胸の奥に、言葉にできない複雑な感情が湧き上がる。
(私にも……そんな生活が、送れるのかな?)
そのささやかな、けれど遥か遠い憧れを抱きしめ、シミアは蝋燭の火を吹き消した。
やがて、静かな眠りが彼女を包み込んでいった。




