49 真相
最終話になります。
優里がこれで終わりかと思っているところへ、堤が真面目な顔をして話を続けた。
「君は、ニュースで殺人事件と聞いて驚いただろう。そうなると話は変わってくるからね。犯人が逃げた時点では、三千代さんはまだ生きていた。もっと言うと、犯人に刺されたことが原因で亡くなったかどうかさえ分からない。重要な手がかりだったかもしれないのに、君がその証拠を消したことになる。報道を見てさぞかし悩んだだろう」
(そう。それも正解。もっと言うと、庭の木を捜査しているのを見た時から不安がよぎっていた)
「でも君は、佐藤が殺人犯として、疑念の余地なく裁かれ、収監されることを強く望んだ。だから君は、自分がしたことを黙っていることにした」
「随分じゃないですか。それに、私、やったなんて言っていません」
「ん? ああ、『触っちゃったかも』だったね。とにかく――君は佐藤がどうしても許せなかった。三千代さんを殺したからじゃない。家族に暴力を振るっていたからだ。佐藤の暴力によって、傷を抱えてしまっただろう子供のことを思うと、やるせない気持ちでいっぱいだったろう。子供を虐待した大人として、佐藤が許せなかったんだね」
優里は愕然とした。なぜ、その話を聞かされるのか。どうして――。
「吉岡君から聞いたんだよね。佐藤のDVのこと」
(ああ、ヤバい。また頭が割れそう――)
「どうもね。君の態度が気になっていてね。生まれた時から不自由のない暮らしをしているお嬢さんにしては、どこかしっくりこない部分があってね。どうしてなんだろうって。悪いね。やっぱり調べずにはいられないんだ。陽一郎さんは母親の再婚相手で、義理のお父さんになるんだね」
立川が済まなさそうに小さくなっている。堤といつも一緒にいるので、おおかた優里の子供時代について、一緒に調べて回ったのだろう。
「君も実の父親から虐待されていたんだね。お母さんも暴力を振るわれていたそうだね。生活費もろくに家に入れてもらえず、君たちは相当苦労したと聞いたよ」
(ああどうしてこの人は、嫌な記憶を呼び起こすのだろう)
優里はフラッシュバックに襲われた。
食器の割れる音。母が叩かれる音。「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝る母の声。声を押し殺して泣く母。鼻を啜る音。あの男の怒鳴り声。壁を蹴る音。物を投げる音。
優里は頭がおかしくなりそうだった。もう忘れていたはずなのに。どうして思い出させるの――。
あの男に蹴られた時のお腹の痛み。口の中の血の味。手首が千切れるんじゃないかと思うほど、強く握られて引きずられたこと。覆い被さった母の体を通して感じた、あの衝撃。母はうめき声を上げながら耐えていた。
あの恐ろしい日々――。殴られ、怒鳴られる毎日――。
ご飯を食べるのが遅いと言っては頬を叩かれるものだから、いつも噛まずに飲み込むように食べてはよく吐いていた。
近所の人も学校の先生も、大きな大人から話しかけられるのが怖かった。いつも同じ服を着ていたから、同じクラスの子からは笑われて虐められた。
小学生の頃の、あの惨めな気持ちも一緒に蘇った。優里の服装や持ち物、参観日に来た母親を見る同級生たちの目、目、目……。
五年生の時に、母親の再婚によって生活が一変するまでは、優里も、佐藤の家族同様に地獄の日々を送っていたのだ。
「嫌なことを思い出させてしまったね。悪かった。君は死ぬまで秘密を抱えていくつもりだったかもしれないけれど、今日、ここで解決しておこう。三千代さんの死因は、佐藤に刺されたことによるものだ。彼女自身が119番通報をしていても間に合わなかった。これはほぼ間違いない。佐藤に刺されたことによって出血し、死亡したんだ。だから佐藤は殺人の容疑で裁かれる」
堤は慰めてくれているのか。
優里は歯を食いしばって絶えた。涙を見せずに過去の記憶を追い払った。それから、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの、結局、密室の謎はどうなったんですか?」
「ああ、それなら――」
堤が何度目かになる推論を発表した。
「それじゃあ、三千代さんは正子さんを困らせるつもりで、命懸けの工作をされたんですか?」
「いやあ、多分、たいした傷じゃないと思っていたんじゃないかな。だから全ての舞台を整えてから、119番通報をしようとしたんだ。救急隊員に運ばれている時に、うわ言のように「姉さんが」、なんて言おうものなら、正子さんは参考人として、警察に任意同行を求められて聴取されていただろう。正子さんにとっては、とんでもない辱めだろうね」
吉岡もほぼ同じ結論に達していたのだろう。驚く様子はなかった。
あの日――。今、堤の目の前にいる青年が去り際に言った、あの言葉が真実だったのだ。
「密室のトリックって、ドラマや小説じゃあよく聞きますけど。でも実際には、トリックなんて考えたりしないですよね。内側から鍵がかかっていたっていうことは、内側にいた獣人が鍵をかけたってことですよね」
全ての説明を聞いた優里が心配そうに尋ねた。
「でも、それって何の証拠もないですよね?」
立川が身を乗り出した。
「主任――」
「ああ」
何事だろう。立川の様子だと、ここからが本番だとでも言いたげに見える。
「実は、あなたと同じように、後から供述を変えた人がいるんですよ。正子さんなんですけどね。あの日、三千代さんを発見した後で、つい窓枠の汚れを拭いてから窓を閉め、その後ナイフを抜こうとしてスカートの裾でナイフの柄をつかんでしまい、つい指紋を拭いてしまったというんです」
「え? 何ですか、それ――。だって――」
「畑野さん。例の動画は証拠として採用していません。今のところは。その代わりと言ってはなんですが、一つ約束してもらえませんか。高木家の四人は、あなたが子機に触ったところを見ていない。あなたも、正子さんの動きは何も見ていない。もしも、万が一ですが、証言を求められることがあれば、あなたはあの部屋で、三千代さんの遺体とダイイングメッセージ、子機くらいしか、よく思い出せないと」
優里もバカではない。堤の言わんとするところは理解できた。
「正子さんが証言されることはあるんですか? その場合は、正子さんの証言について、他の目撃者の証言を求められることがあるんじゃないですか?」
「確かに。絶対に無いとは言えません。ただ本件のように、犯人が自供し、恐らく国選弁護人がついた場合、無罪を主張して争うようなことにはならないでしょう。せいぜい佐藤の不遇な人生を持ち出して、情状酌量を求める程度だと思われます。それに、あの正子さんですからね。証言台などという舞台を用意されたなら、まるで玉座にでも座っているかのように振る舞うことでしょう。法廷にいる全員が不快になって終わるか、余計な話まで始めて裁判官に注意されて終わるか――。まあとにかく、虚偽の証言などということは微塵も感じさせないはずですよ」
「確かに」
声に出したのは優里だったが立川も頷いていた。
「それに、その可能性も極めて低いと思います」
「そうですか。でもどうして、正子さんは急にそんなことを――?」
「まあ、これは私の推測に過ぎませんがね。三千代さんにやり返したいんじゃないですか。三千代さんの目論見は失敗して、あろうことか死んでしまったというのに――それも殺されるという最悪の死に方ですよ――、それでも自分に刃向かったことへの罰を与えたいんじゃないですかね。多分、『ほら見ろ、全部やり損なったじゃないか』と、笑ってやりたいんでしょう」
三人が思いっきり引いているのを見て、堤は少しだけフォローすることにした。
「いやあ、ちょっと言い過ぎか。馬鹿な妹が警察に迷惑をかけてしまい、一家の長として尻拭いをする、という意味もあるかもしれないですね。あははは」
なんと正子らしい動機だろうか。いかにも自ら進んで証言する様が優里の目に浮かぶ。
『あの屋敷は重要文化財なんです。お分かりですか! 特別な屋敷なんです。窓枠に汚ない足跡なんて付いていようものなら、すぐに拭かないでどうするんです! あなた方は重要文化財の価値がお分かりにならないんですか!』
あの正子なら、警察と手を組んで偽証することになんの迷いも抱かないだろう。
こと家族や屋敷に関しては、良心の呵責などと言う文字は、彼女の辞書にはないのだろう。
恐れ入りましたとしか言えない。そんな相手に喧嘩を売るような真似をするつもりもない。
「堤さん。私、やっぱりショックを受けていたんだと思います。お見合い相手の家族にお会いしただけでも緊張していたというのに、あんな事件に巻き込まれて死体を見てしまって。思い出せることといえば、横たわった遺体と、あの血で書かれた文字、そんなものでしょうか」
「分かりました。それでは仕方ありませんね。ご協力、ありがとうございました」
「ありがとうございましたっ」
堤がお辞儀をすると、その横で立川がものすごい早さで頭を下げた。勢い余ってテーブルに額がつきそうだった。
「ここは私が」と言って、堤が伝票を持って席をたった。立川は最後までペコペコとお辞儀をしていた。
個室に吉岡と優里だけが残された。ずっと話さなかった吉岡がようやく口を開いた。
「君の気持ちを正確には理解できないけどさ。このまま秘密を抱え続けるのは辛いんじゃないかと思って。刑事さんから相談された時、僕もちゃんと話をするべきだって思ったんだ」
優里を見ずに付け足した。
「――悪かった」
「そ。他には?」
優里の催促に、二人は少しの間、顔を見合わせて、それから同時に言葉を発した。
「つまり、秘密を共有する間柄として――」
「さっさと告白しなさいよっ!」
「え?」
「はあ?」
「えっと――じゃあ、僕はこれで」
優里を置いて立ち去ろうとする吉岡の背中に、彼女の声が響く。
「待ちなさいよっ!」
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