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さくらの花嫁  作者: あた
番外編
32/32

おまけの花嫁

「あら玉葉、その髪紐素敵ね」

 母にそう声をかけられ、玉葉は弁当の包みを解く手を止めた。ここは玉葉の実家。現在、弁当を届けにきたところだ。玉葉は頭に結った組紐にそっと触れ、

「そ、そうかな」

「あ、照れてる。誰か男の方にもらったのね」

「え、そうなのか玉葉!」

 父まで食いついてきたので、玉葉は慌ててごまかす。


「ううん、同僚の子にもらったの!」

「えー、そうなの? つまらないわー」

 母はそんなことを言っている。反対に父はなんだそうか、と安堵していた。ああ、嘘をついてしまった……。紫苑にも両親にも申し訳なくて、良心がずきずき痛む。親にも内緒にせねばならないのが、仮の花嫁の辛いところである。


 じゃあまた明日ね、と告げ、そそくさと靴を履いていたら、弟の小狼しゃおろんがじっとこちらを見上げているのに気づいた。

「どうしたの、小狼」

「ねーちゃん、嘘ついてるでしょ」

 玉葉は内心ぎくりとした。な、何を言いだすのよこの子は。


 子供の直感というのは馬鹿にできない。小さい子は悪人を見分けるって言うしな……。

 でもその勘はいま発動しなくてもいいのに。

「あはは、何言ってるのよ」

「なんで嘘つくの? わるい人と付き合ってるの?」

「違うってば」


 玄関の扉を開けたら、小狼がくい、と服の袖を引っ張ってきた。

「わ、なに」

「僕も宮中にいきたい」

「だめよ、関係ない人は入れないの」

「関係あるよ、ねーちゃんが働いてるし」

 この子、いつのまにこんなへ理屈言うようになったのかしら……。こないだまでうーだのあーだの言ってたのに。子供の成長というのは、早いものだ。


 玉葉はため息をつき、小狼の前にしゃがんだ。

「おとなしくするって約束できる?」

「うん、僕は元々おとなしいよ」

 自分で言うことではないが、まあ確かに、小狼は年の割には落ち着いた子だ。厨房の周りで遊ばせておけば問題ないか……。

「仕方ないわね、そのかわり母さんたちに嘘のことバラしたら駄目よ」

「うん! やったー、兵士もいるよね? 剣とかで闘うんだよね」

 小狼はきらきら目を輝かせている。


 なるほど、それが目当てか。そういえば近所の子供と兵士ごっこをして遊んでいたっけ……。この年頃なら王宮の兵士に憧れるのも無理はない。小狼を王宮に連れて行く旨を両親に告げ、玉葉は家を出た。


 ★


 汪紫苑は窓の外を眺めながら、はあ、とため息をついていた。筆を走らせていた蓮宿はそれをちら、と見て、

「どうなさいました、陛下」

「桜が散ってしまったな」

 残念だ、と付け加えた紫苑を、蓮宿が意外そうに見る。

「ああ……もう皐月ですからね。しかし陛下は桜があまりお好きではないのでは?」

「そうだが、なんとなく寂しい」

「あなたが寂しいのには、別の理由があるようですが」


 紫苑はしばらく黙り込み、ぽつりと言った。

「玉葉が部屋に入れてくれない」

「なんだ、そんなことですか」

「なんだとはなんだ。こないだも一緒に寝ようと言ったら断られた」

「下心を見透かされたのでしょう。陛下はわかりやすいですからね」

「下心なんかない」

「嘘でしょう」

 すっぱり返され、紫苑は小さな声で呟く。

「……うん、まあ嘘だが」

 だって玉葉は可愛いのだ。一緒にいて、触りたくなるのは仕方ないだろうと思う。


「私からしてみればあなたのやりようは非常に生温い。後宮に入れて一月経つのに関係が進まないとは」

 カンッ、と筆を置き、彼はこちらを見据える。

「世に言う脈なしです」

「えっ……そうなのか」

 しょんぼりした紫苑に、蓮宿は追い討ちをかける。

「大体ただの料理人を側室ではなく正室にするのは、非常に困難で利もまっったくない。諦めた方が世のためあなたのため私の胃のためです」

「うう」


「そもそもあんなうどん嬢よりいい物件はたくさんあるんですよ。白姫ならずとも、才色兼備で家柄もいい姫君からの書状はこんなに」

 蓮宿は書状が入った箱を、紫苑の卓にどん、と置いた。紫苑はそれを眺めながら、

「物件って、不動産の査定じゃないんだぞ」

「王の婚姻とはそういうものです。玉を手に入れられるのに、わざわざ河原で石ころを拾う精神が解せませんね」

「玉葉は石ころか……」

 紫苑が苦笑する。河原で拾ったわけではないのだが、と思いながら。


「おまえ、この中に気に入った子とかいないのか」

「私に押し付けようとしないでください」

「いや、聞いただけだろう……そんなにキリキリするとまた胃を悪くするぞ」

「御心配いただきありがとうございます。私の胃が痛いのは大方陛下のせいですがね」

 蓮宿はそう言いつつ、手紙をひとつ取る。

「これなんかいいんじゃないですか。紙も上質で筆致もしとやか。染州せんしゅう豪族の娘、依姫よりひめさまです」

 手紙にはなんと姿絵までついていた。完全に見合いの体だ。


「へえ、蓮宿の好みはこういう子か。中々美人だな。会ってみたらどうだ」

「ですから私に押し付けないでください。あまりぐずぐずしていると本当にこの中の誰かと見合いするはめになりますよ。世継ぎをはやく、と騒ぐ官僚も多いですから」

「うん……そうなってもこの子以外と見合いするから」

「なんなんです? その妙な気の使い方は」

「いやあ、おまえの婚期が遅れたら悪いなあと思って」

「はは、余計なお世話です」

 蓮宿の額に浮かんだ青筋から目をそらし、紫苑は手紙を元に戻した。


 ☆


 玉葉は小狼を連れ、城の門を潜っていた。子供だからなのか、弟と説明せずともすんなり通れる。

「へえー、ここが王宮かー」

 小狼はキョロキョロしながら宮中を見渡す。玉葉はよそ見しないで歩きなさい、と言いながら厨房へ向かっていた。


「ねえ、兵士の訓練はどこでしてるの?」

「訓練場だと思うけど……行ったことないからよく知らないわ」

「見に行きたいなあ。ねーちゃんが働いてる間に行ってもいい?」

「だめ」

 小狼は唇を尖らせ、ケチだなー、あの嘘バラしちゃおうかなー、などと言っている。


「あのね、訓練場では矢なんかも使うの。危ないのよ」

「大丈夫だよ、避けるし」

 避けられるわけないでしょうが。玉葉は内心そう思いつつ、

「後で連れてってあげるから。姉さんが仕事終わるまで待ってなさい」

「ほんと? やった!」


 小狼を伴い厨房に向かうと、同僚たちがわあっと集まってきた。

「きゃー、かわいい。玉葉の弟?」

「いくつ?」

 寄ってこなかったのは興味なさげにせんべいをかじる春麗と、煮付けを作っている飛雄だけだ。春麗は飛雄に向かい、声をかける。

「行かなくていいんですかー、料理長。愛しの玉葉の弟ですよ」

「可愛くても男だからなあ」

「料理長らしー」


 と、料理人たちに揉みくちゃにされていた小狼が、じっと飛雄を見た。頭を撫でようと伸びてくる腕をかわし、たたた、と駆け寄る。飛雄は小狼を見下ろし、

「ん? なにかな」

「ねーちゃん、この人がねーちゃんの恋人? かっこいいねー」

 一瞬、厨房が凍りついた。一部から飛んできた厳しい視線に、玉葉の背が震える。玉葉からしたら寒い言動の飛雄だが、彼に憧れている同僚も結構いるのだ。


「ちょっ、なに言ってるのよ小狼!」

 慌てて駆け寄ると、飛雄が笑顔で小狼を抱き上げた。

「いい子だね。余ったおかずをあげよう」

「料理長、ゲンキンすぎます」

 春麗がぼそりと言い、せんべいをかじると、小狼が目を瞬いた。

「この人仕事中におかし食べてる。いけないんだー」

「今は休憩中だからいいんですー」

 まるで子供同士のやり取りである。


 相変わらず冷たい視線がくるのに肝を冷やし、玉葉は飛雄から小狼を奪い取る。

「料理長、小狼を甘やかさないでください!」

「おっと、教育方針の違いだね。安心してくれ、玉葉。結婚して子供ができたら、僕は君に従うよ」

「なんの話ですか、あり得ないし」

 小狼は不思議そうに玉葉を見ている。

「この人じゃないの?」

「違うわよ、ぜんっぜん違う! 大陸が割れてもあり得ない!」

「……そんな風に全力で否定されると傷つくんだけど」

「まあまあ、気を落とさないで。おせんべい食べます?」

 飛雄にせんべいを差し出す春麗を、嵐晶が呆れた目で見る。

「あんたはいつまでおせんべい食べてんのよ、春麗」


 玉葉は小狼を抱え上げ、厨房の外にある椅子に座らせた。

「ここで待ってて、仕事終わったら連れてってあげるから!」

 そうして厨房に戻る。青菜を洗っていたら、嵐晶に声をかけられた。

「珍しいね、玉葉が身内連れてくるなんて」

「うん、ちょっと、色々あって」

 青菜を刻み、塩茹でする。味付けし、飛雄のところへ持っていく。


「料理長、味見をお願いします」

「僕の心を抉っておいて、平然と味見を頼んでくるなんて玉葉は本当にいけない子だ」

「は?」

 玉葉は怪訝な顔をした。いったいなんの話だ。飛雄が物憂げに呟く。

「どうして玉葉は僕にあんなに冷たいのかな、春麗」

 春麗は大根を刻みながら、

「さあー、興味がないからじゃないですか」

「君も結構言うね……」


 それから、玉葉は夕餉と王の夜食の支度に忙殺され、小狼のことはすっかり頭から抜け落ちてしまった。気がついた時には外が暗くなり始めていて、弟を放置していたことに気づき、慌てて表に向かう。

「ごめん、小狼、お待たせ……あ、れ?」

 椅子に座っていたはずの小狼の姿がない。

「小狼!?」


 あの子一体どこに!? 玉葉は慌てて辺りを見回した。食料庫や厨房が管理するニワトリ小屋も見たが、弟の姿はなかった。まさか、ひとりで王兵の訓練を見に行ったんじゃ……。

 訓練場に向かおうとした玉葉の背に、声がかけられた。

「どうしたがや、花嫁さま」

「あ、朱里さま」


 振り向くと、占星術師の朱里が立っていた。顔まで覆う頭巾をかぶり、移民故なのか、やたらと訛り言葉を使う。

「弟が見当たらなくて……これくらいの男の子見ませんでしたか」

 玉葉が膝あたりに手をやると、朱里は首を傾げた。

「見てにゃーが」

「そっか……ありがとうございます」

 通りすがろうとしたら、朱里が玉葉を留めた。

「待ちーや、一応私は王宮の占星術師。占いはお手の物だがや。弟くんの行方、占って進ぜよう」

「え、本当ですか」


 朱里は厳かに足を踏み出し──棒切れを拾い上げた。それを地面に立てる。

「行くで、うりゃ!」

 叫ぶと同時に、棒切れをぱっ、と倒した。そうして、そちらを指差す。

「あっちだがや」

「えーっ!」

 玉葉は思わず声をあげる。なにそれ。今のは占いじゃないだろう。──そんなの私でもできるし!


「あっちって、なにがあるんですか……?」

「離宮があるがや。陛下が数年前まで住んでたとこだに」

「陛下が……?」

 紫苑は先王が亡くなるまでの数年間、一人で離宮に住んでいたのだ。少し気になる──が、今は小狼が先だ。やっぱり訓練場に行こう。

「すいません、私急ぐので!」

「あ」

 何かを言いかけた朱里を背に、玉葉は早足で歩き出した。


 ★


 紫苑は離宮の階段に腰掛けて、剣を磨いていた。政務ばかりでは肩がこるので、たまにここに来て剣技の練習をするのだ。自分の顔が写り込むくらいになった剣を翳し、立ち上がる。振り方と足さばきの練習をする。ふと、誰かの気配を感じ、そちらに剣を突きつける。わあっ、と声がした。


「……子供?」

 七つか八つくらいの男の子が目を丸くしてこちらを見ていた。急に剣を向けられ驚いたのか、腰を抜かしている。

「すまない、驚かせたな」

 紫苑が手を差し出すと、男の子がその手を掴んだ。

 ──小さいな。その小ささに、玉葉の手を思い出す。生活の染み込んだ、暖かい手。


「お兄さん、兵士なの? なんでこんなところで訓練してるの?」

「ああ……ええとだな」

「仲間外れにされてるの?」

「えっ?」

 男の子は可哀想、とでも言いたげにこちらを見つめている。紫苑は困惑気味に顎を引いた。

「いや、仲間外れには、されてないが」

「いいよ、無理しなくて」


 まさかこんな子供に憐憫の情を抱かれるとは……。自分はそんなに孤独に見えるのだろうか。紫苑は少し落ち込みつつ、

「君はどこの子だ?」

「僕? 桜小狼」

「小狼……」


 ──私の弟も、小狼っていうのよ。

「もしや、玉葉の弟か」

「そうだよ。姉ちゃんのこと知ってるの?」

「ああ」

 小狼があっ、と声をあげた。


「お兄さんが姉ちゃんの恋人?」

「こ」

 紫苑は顔を赤らめ、

「ま、まあ、それに似た間柄かもしれん」

 小狼はさっきのお兄さんよりかっこいい、とつぶやいている。

 嘘は言っていない。だって一応夫婦なわけだし──。


 紫苑は小狼と並んで階段に座った。そわそわしながら尋ねる。

「それで、玉葉は私のことを……何か言ってたか?」

「ううん、なんにも!」

 元気よく即答され、がくりと肩を落とす。

「そ、そうか」

「あ、でも、髪紐をよく嬉しそうにいじってるよ」

「髪紐を?」

「うん。あれ、お兄さんがあげたの?」

「ああ……」


 そうか、気に入ってくれたのか。紫苑が幸せな気分に浸っていると、

「ねえ、かくれんぼしない?」

「かくれんぼ?」

「うん。お兄さんが鬼。僕が隠れるから」

 ずいぶん突拍子もないが、子供とはみなこういうものなのだろうか。自分の幼いころを思い出してみるが、よく覚えていない。


「じゃあ、三十秒数えてね!」

 小狼はそう言って、離宮の中に入る。紫苑がぽかんとしていると再び顔を出し、

「早く数えて」

「あ、ああ」

 いーち、にーい、と数えだすと、小狼が再び姿を消す。紫苑は言われた通り、律儀に数えていく。

「30」

 数え終えた紫苑は、階段から立ち上がり、離宮の中を覗き込んだ。小狼の姿はない。

「小狼?」

 紫苑は小狼の名前を呼びつつ、離宮へ入っていった。


 ☆


 訓練場へ向かった玉葉は、王兵に弟を見なかったか尋ねた。王兵は矢を放ち、

「弟? 知らないけど」

「7歳の男の子なの」

 そう問うものの、やはり王兵は首を振る。訓練場は見通しがよく、子供がいたら見逃すはずもなさそうだ。玉葉はため息をついて踵を返した。ふと、先ほど朱里が棒を倒して示した方角を思い出す。


 紫苑が過ごしたという離宮。あんな方角に、弟が行ったとは思えないけれど。

「一応行ってみるか……」

 玉葉は離宮へと足を進めた。


 離宮は朱色に塗られた柱と青緑がかった瓦の屋根で作られており、落ち着いた雰囲気の建物だった。ここに、紫苑は一人で住んでいたのだ。玉葉は離宮の階段を登り、中を覗き込む。暗くてよく見えない。

「小狼?」


 弟の名前を呼びながら、そっと中へ足を進める。かたん、と物音がした気がしてそちらへ足を向けた。

「小……」

「見つけた」

 この、声。身体を引き寄せられて、玉葉は息を飲んだ。腕が回り、ふわ、と身体を包まれる。

「ん?」

 緑がかった黒の瞳がこちらを見ていた。


「……玉葉?」

「へ、陛下、なんで」

「いや……君の弟を探しているのだが」

「小狼を?」

「うん、かくれんぼしよう、と言われて……」

「あの子ったら……」

 玉葉はため息をついた。はた、と抱きしめられたままなのに気づく。

「陛下、離してください。小狼を見つけなきゃ」


 もがいたら、紫苑はなぜか、ぎゅ、と力を込めてきた。玉葉はびくりとする。

「最近、君は冷たい」

「冷たいって、そんなこと」

「ある。夜、部屋にもいれてくれないし、夜食を届ける時もそっけない」

 背中に紫苑の体温を感じて、じわじわと顔が熱くなる。


「だって、私は料理人だし」

「でも私の花嫁だ」

 紫苑の手が、玉葉の頰を撫でた。玉葉はびくりとして、ぎゅっと目を瞑る。だめなのだ。触られるとドキドキして、心臓が張り裂けそうになる。

「玉葉……」

 唇に吐息が触れた。


「あれ、ねーちゃん?」

 その声に、玉葉はハッとして紫苑を突き飛ばす。王が右肩を強打して呻いた。

「うぐう」

「あ、す、すいません」

慌てて謝った玉葉を見て、紫苑はふ、と寂しそうに微笑んだ。小狼に笑みを向け、優しく言う。

「まだ見つけてないぞ、小狼。出てきてはだめじゃないか」

 小狼は唇を尖らせた。

「だって、おにーさん全然探しに来ないんだもん」

「も、もう小狼! うろうろしてたらダメでしょ!」


 玉葉は小狼の腕を引き、紫苑の横をすり抜けて足早に歩き出す。紫苑は小さく小狼に手を振っていた。

「ねーちゃん、あの人いいの? 恋人なんでしょ」

「あんたね、あの人は」

 小狼はキョトンとした目でこちらを見ていた。無垢な眼差しに、嘘をついている罪悪感が増し、玉葉はたじろぐ。


「……その、ああ見えて高貴な方なの」

「こーき?」

「そうよ。偉い方なの」

「ふーん。だからなのかな」

「え?」

「仲間外れにされてるみたいだったよ、一人で剣の練習してたもん」

 玉葉はぴた、と立ち止まった。


「僕知ってる。偉いと、みんなにけむたい顔されるんでしょ?」

「……そんなこと、ないわよ」

「ほんと? ねーちゃんは? あの人のこと、けむたがるの?」

「私だって、そんな」


 ──そうだろうか。先ほどの、悲しげな紫苑の顔を思い出す。玉葉が紫苑を遠ざけることで、彼を傷つけているのはわかる。だけど、どうしたらいいのかわからないのだ。

「帰るわよ」

 玉葉は、小狼の手を引いて歩き出した。



 自宅に小狼を連れて帰った玉葉は、再び王宮へ戻った。下ごしらえしていた食材を使って夜食の用意をし、紫苑の執務室へと向かう。戸を叩こうとすると、中から蓮宿の声が聞こえてきた。


「……陛下、王兵をつけずにうろつくのはおやめくださいと言っているでしょう」

「すまん。ちょっと身体を動かしたくなってな」

「それなら訓練場で兵士に相手をさせればいいのです。なぜ人気のない離宮へ?」

「あそこが好きなんだ。ほら、私は少し前まで離宮で暮らしていただろう? 静かで落ち着く」

 蓮宿が少し言葉を途切らせた。

「なにか、ご不満でも?」

「不満などない」

「……私が縁談を勧めたのがお気に触ったのでは?」


 玉葉は息を飲んだ。縁談。思わず、持っていたお盆をぎゅっ、と握りしめる。

「いや、それは関係ない。気を使われるのが、時々疲れるだけだ」

「あなたは王ですから、当たり前です」

「そうだな。──おまえももう下がれ、蓮宿。胃の具合が良くないだろう?」

「そんなこと、申していませんが」

「薬の匂いがする」

蓮宿はため息をつき、

「まったく……私の心配などなさらなくてよろしい。自己管理ぐらいできますから」

「ああ、わかってる。おやすみ」


 部屋から出てきた蓮宿が、玉葉とかち合って一瞬足を止めた。

「あの、夜食を届けに参りました」

「見ればわかります」

 では私はこれで。そう言って歩き出す。かと思えば立ち止まり、

「胃にいい食べものはなんですか」

「え? お粥とかでしょうか……あ、よかったらお作りしましょうか?」

「結構。あなたは陛下の夜食だけ作っていればいい」


 そう言ってさっさと歩いて行った。玉葉は首を傾げ、扉を叩く。

「陛下?」

 扉を開けたら、紫苑が卓に肘をつき、ぼんやり手紙を眺めていた。玉葉を目にし、慌てて手紙をしまいこむ。それをちら、と見て、

「お夜食、お持ちしました」

「ああ、ありがとう」

 紫苑は盆を卓に乗せ、蒸籠の蓋を取る。

「ちまきか」

「はい。今お茶をおいれします」

 玉葉が茶器を用意していたら、紫苑が

「一緒に食べよう」

 と言ってきた。

「いえ、私は」

「そうめんは一緒に食べたじゃないか」


 早く早く、と言われて腰を下ろす。紫苑はちまきを食べながら、美味い、と頰を綻ばせている。口元に、米つぶがついていた。玉葉はくすりと笑う。紫苑は口をむぐむぐ動かしながら、

「なんだ?」

「口についてます。小狼みたい」

「む」

 紫苑は見当違いのところを拭っている。玉葉は手を伸ばし、

「ここ……」

 唇に触れたら、緑がかった黒の瞳と目が合う。

「っ」

 慌てて手を引くと、紫苑がその手を掴んだ。思わずびくりとしたら、緑がかった黒の瞳が揺れる。


「君は私が、嫌いか?」

「まさか、そんなわけないです」

「私が王だから、遠慮しているのか」

「そんな、こと」

 紫苑は何か言いたげに口を開き、閉じた。

「……わるい。こんな言い方をしたら、困るだろうな」

 玉葉の手を離し、茶をひとくち飲む。茶器を卓の上に置き、微笑んだ。

「ごちそうさま。美味しかった」

「っあの」

「君も遅くまで疲れただろう。帰って寝るといい」

 立ち上がりかけた紫苑の腕を、玉葉はぐい、と引いた。緑がかった黒の瞳が、こちらを見る。


「玉葉?」

「き、今日、部屋にいらしてくださいませんか」

「え?」

「少し、お話が」

 やけに低い声で告げた玉葉に、紫苑は目を瞬き、ああ、わかった、と答えた。


 ★


 ──話とは、なんだろう。

 紫苑は玉葉の部屋へ向かっていた。執務時間は終わり、あとは寝るだけなので軽装だ。女官の後に続き、後宮を進む。北の棟は空、南の棟には玉葉がいる。


 陛下の花嫁なんかもう嫌です! 実家に帰らせていただきます!

 とか言われたらどうしよう……不安にかられている間に、玉葉の部屋の前についてしまった。女官がふすまを開け、玉葉を呼ぶ。はい、と返事が聞こえ、紫苑は部屋に足を踏み入れる。優雅に頭を下げ、襖を閉めて、女官は去っていった。


 玉葉は寝巻き姿で布団に正座していた。いつもはお団子に言っている髪は降ろされ、なにやら目を瞑り、ぶつぶつ言っている。

「玉、葉?」

「私はうどん、私はうどん……」

 かと思えばカッ、と目を開き、紫苑にどうぞ、陛下、と座るよう促した。一体どうしたのだろう……紫苑は疑問符を飛ばしながら、玉葉の前に座る。沈黙。紫苑が口を開こうとしたとき、玉葉が口を開いた。


「私を、好きにしてください」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

「玉……」

「ただし! その、口付けとか、それ以上とかはダメですから。それ以外なら、なんでもします」

 玉葉は顔を赤らめ、ぎゅっと着物を握りしめていた。この状況でそんなことを言われても……。しかも、そんな顔で。しかし、玉葉がそんなことを言い出すなんて。こんなこと、二度とないかもしれない。


「じゃあ、抱きしめるのは?」

「い……いですよ」

「いやがるのは、なしだぞ」

「わ、わかってます、ばっちこいです!」

 紫苑は玉葉に近づいて、そっと頰を撫でた。白い頰は熱く火照り、黒目がちの瞳は恥ずかしそうに伏せられている。なんともいえない気持ちが込み上げたが、ただ身体を引き寄せ、抱きしめる。


 玉葉はしばらく身体を強張らせていたが、紫苑がそれ以上何もしないと悟ったらしく、身体の力を緩ませる。暖かくて、柔らかい。

 紫苑は玉葉の髪を撫でながら、

「小狼は、確かに可愛かったな。君の言う通りだった」

 玉葉が身じろぎした。

「う、昼間は、すいませんでした」

「いいんだ。かくれんぼなんて久しぶりにしたから、楽しかった」

「かくれんぼ……今度しますか? 私、なんなら陛下を探しますが」

 その言葉に苦笑する。やっぱり、何か気遣われている。だから急にあんなことを言いだしたのだろうか?


「きっとすぐ見つけられてしまうな」

「どうしてです?」

「私は君が好きだから、姿を見るとすぐ出て行きたくなる」

「……またそう言うこというんだから、天然すけこまし」

 玉葉の首筋が赤く染まっていた。紫苑はくす、と笑う。

「一緒に寝ていいか?」

「は、はい、ばっちこいです」


 紫苑は玉葉の身体を抱きしめたまま、布団に倒れこんだ。間近に硬直した、玉葉の顔がある。赤く染まった首筋を指先で撫でたら、ぎゅっと目を瞑った。ゆっくり顔を近づける。

 へいか、だめ。


 玉葉が小さく訴えたことに気づかないふりをして、その唇に自分の唇を重ねる。

「ん」

 押し返そうとした細い手首を緩やかに拘束し、口付けを深くする。びくりと震えた細い身体に覆い被さり、何度か口付けを繰り返していたら、ちいさく震えていた身体が急にへたり、と力を失った。

「……玉葉?」


 見下ろすと、玉葉は真っ赤な顔で失神していた。紫苑は目を瞬き、苦笑する。

「明日、多分こっぴどく怒られるな」

 黒髪を撫で、細い身体を抱き抱えて目を閉じる。

「おやすみ、私の花嫁」


 ☆


 翌朝目覚めた玉葉は起きるなり、真っ赤になって部屋の隅に移動し、紫苑に指を突きつける。

「陛下のすけこまし! 約束やぶるなんて最低です! 当分私の部屋には立ち入り禁止ですからっ!」

 紫苑は枕を抱きしめながら玉葉を上目遣いで伺う。

「でも、夫婦が口付けするのは自然の道理ではないか?」

「一年経ったら離婚でしょう!」

「私はその気はない。私の花嫁は君だけだ」

 緩んだ瞳を向けられ、顔がひどく熱くなる。朝から恥ずか死ぬ。


「〜っ、は、早く部屋にお戻りください!」

 玉葉は目をそらしながら、ふすまを指差した。紫苑はおずおずと、

「怒っているのか?」

「怒ってます!」

「そうか……」

 紫苑はしゅん、として、ふすまの方へとぼとぼ歩く。ちら、とこちらを見たので、しっし、と手で払う。騙されはしない。子犬っぽくしておいて、いきなり口付けしてきたりするのだから……


 部屋を出て行った紫苑を見送り、玉葉はハー、と息を吐いた。あんなこと、言わなきゃよかった。身支度を整え、鏡の前に座ると、顔が真っ赤だった。うう、情けない。自分はうどんだ、だから何をされても平気で受け入れられる──そう思ったのに、抱きしめられただけでもうダメだった。心臓が痛いくらいに鳴って、死にそうになってしまう。


 しっかりしろ、桜玉葉。自分は本来、ただの王宮料理人だ。パンパン頰をたたき、髪を結う。


 そうしてしゅる、と組紐を巻いた。

 ──そういえば。陛下が昨日見てたのは、縁談相手からの手紙、なのかな。

 卓の上には玲紀桜の枝がある。玲紀桜自体は花が散ってしまったのに、枝の方はなぜか一年枯れない不思議な桜──。これが、今は玉葉が花嫁である証。だけどいつかは他の人が受け取るのだ。


 部屋の外に出ると、紫苑が庭先をうろついていた。玉葉が出てきたのを見て、ぱっ、と顔を明るくする。まるで、飼い主の帰りを待ちきれない子犬だ。


「陛下、私を待ってたんですか?」

「うん。途中まで一緒に行こう」

 紫苑はにこにこ笑い、玉葉に手を差し出した。

「ダメですよ、秘密なんですから」

「大丈夫だ、誰か来たら離せばいい」

 私たちは比翼連理、だろう? 玲紀桜の。

 そんな風に、伝説を持ち出してくるところがずるい。

「それに、君はなんでもすると言った」

 じっとこちらを見る子犬の瞳にぐ、と詰まる。歳上のくせに……そんな目をするのはずるい。


「〜もう、わかりましたよ!」

 玉葉はそう言って、紫苑の手を握った。紫苑はご機嫌だ。

「へへ」

「ついたら離しますからね」

「うん」

 玉葉が歩き出すと、紫苑はやけにゆっくり進む。

「陛下?」

「ゆっくり行けば、長く手を繋いでいられる」

「……えーと、私、早く行かなきゃいけないんですけど」

「そうか」


 とぼとぼ歩く紫苑にため息をつき、

「手ぐらい、いつでも繋げるじゃないですか」

「でも玉葉は部屋に入れてくれないんだろう?」

「そ、それは陛下が……もう、早く行きましょう!」

 玉葉は紫苑の手を引いて足早に歩く。

「なあ、玉葉」

「はい?」

「今日の夜食はうどんがいい」

「いいですよ。陛下、好きですね」

「ああ、私はうどんが大好きだ」

 玉葉はきゅ、と紫苑の手を握った。声が震えないよう気をつけながら言う。


「わ、私も、好きです」

 それが、今言える精いっぱいだった。玉葉の意図に気づいたのか気づいていないのか、紫苑がはしゃいだ声を出す。

「そうか、私たちは気が合うな」


 こうして桜の花嫁は、今日も夫の夜食をつくる。




end

誤字報告ありがとうございます(*´Д`*)

何十年ぶり→久しぶり に修正しました

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