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今日は、鶯の部屋まで遊びに来ていた。
相変わらず、服が脱ぎ捨てられていたりして、女の子の部屋だとは思えない汚さではあるけど。
ラナンさんがいないから、こっちだと安心できる。
僕としては毎回鶯の部屋で会いたいと思っているのだけど、交互がいいとお願いされたので仕方なく言われたとおりにしている。
鶯に歯向かうのは、やっぱり怖いし。
鶯とは両想いになれた。恋人同士だ。
……そのはずなのに、鶯は以前と大して変わらないまま。ふたりきりでも、もっぱら虫の話に花を咲かせるのがほとんどだった。
部屋に遊びに来れば、僕よりもカブやんやクワっちのほうに意識が向きがち。
以前考えていたように、人間の僕はカブトムシやクワガタよりも興味レベルで下回っているのかもしれない。
ま、いいけどね。それが鶯らしいとも言えるわけだし。
今もカブやんをつかんで自分の頭の上に乗せ、鏡を見ながら、髪を留めているカブトムシの飾りがついたヘアピンを左右に動かして遊んでいる。
そんな鶯の様子を、僕はじっと見つめる。
ただ見ているだけでも、幸せだ。
そばにいれば鶯の匂いもするし。
鶯から漂ってくる、ちょっと鼻にツンと来るような独特なこの匂いは、やっぱり紫輝にはほとんど感じられないらしい。
前に紫輝が言っていたように、鶯は本当に、僕だけを惹きつける匂いを放っているのかもしれない。
真相はわからないけど、そう思っていたほうがなんだか嬉しい。
僕だけが感じられる、僕だけが好きな匂いなのだから。……とても変わった匂いではあるけど。
ふと、机の上に視線を向ける。
そこには一冊のノートがあった。
いつだったかこの部屋に来たときにも見た、鶯が物語を書いているというノートだ。
変わった感覚を持っている鶯が思い描く物語。果たしてどんなものなのか。
……絶対、虫だらけな気がするけど。
気になった僕は、ダメもとで尋ねてみた。
「物語ノート、見たらダメだよね?」
「ん~……。いいよ、見ても」
意外にも、お許しが出た。僕はそっとノートを手に取る。
「それね、物語は物語なんだけど、未来の物語なの」
「へ~、そうなんだ」
未来を舞台とした物語。そういう意味で、僕は受け取ったのだけど。
鶯は恥ずかしそうに、こんな言葉を続けた。
「あたしと染衣の、未来の物語……」
「え?」
「物語っていうより、日記かな? 未来の人生日記、って感じ」
言われてパラパラとノートをめくってみると、確かに日記形式で、未来の日付が記入されていた。
しかも、ノートは手に取ったこの一冊だけじゃなく、何冊もあった。
机の上に出ているだけではなく、本棚に立てて並べられている中にも、同じ色のノートがたくさん見える。
とすると、これが全部……。
「ずっと先の未来まで、何冊にもわたって書き綴ってあるの」
僕の視線から言いたいことを悟ったのだろう、鶯は解説を加えてくれた。
「おじいさんとおばあさんになって、天に召されるまで、ずっと……」
……それって……。
分量的にすごい、という思いもあったけどそれよりも、鶯が僕をそこまで想ってくれていたということに驚く。
おじいさんとおばあさんになって死ぬまでの、僕と鶯のふたりの物語。
つまりは、直接そう言ってくれたわけじゃないけど、結婚してずっと一緒に生活していくという未来を描いた物語ということになるはずだから。
手に取っていたノートの、とあるページを読んでみる。
日付は三年後くらい。
内容は、ちょっとしたケンカをするけど、すぐに仲直りする、といったものだった。
「こんな物語を、ずっと書いてたんだね」
「うん……。幼い頃から、ずっと……」
「そうなんだ……」
幼い頃からずっと……。
鶯は僕のことを思い描いて、未来の日記を書き続けていたんだ……。
彼女はカブやんと遊び続けているけど、その頬は真っ赤だった。僕の頬も熱い。
「……あっ、今日の日付の日記とかないのかな?」
「あるよ~、これかな」
本棚に並べられていた一冊を取り出す鶯。どうやら日記の書いてある期間を、表紙に明記してあるらしい。
僕は手渡されたノートをめくり、今日の日付を探す。
発見。
日記の本文を読もうとすると、
「染衣」
突然、鶯が僕の名前を呼んだ。
反射的に顔を上げる。
「ん……」
目の前には鶯の顔があって、すぐに唇に柔らかい感触が押しつけられた。
それほど長い時間ではなかったはずだけど、永遠とも思えるような、だけど終わってみるとやっぱり一瞬だったように思える、そんなひととき。
「……日記、読んでみて」
唇が離れたあと、鶯はそれだけ言うと、すぐに顔を逸らしてカブやんやクワっちのいるプラスチック製の虫カゴのほうを向いてしまった。
「あたしの部屋で、二回目のキスをする……」
音読した日記には、そんなことが書かれてあった。
「二回目……」
確かに今日のは鶯との二回目のキス。
とすると一回目もあるはずで、実際に僕は、先日その一回目のキスをしていて……。
日記の少し前のページを確認してみると、案の定、そこには初めてのキスの記載もあった。
「……でも、事実とはちょっと違うけどね」
その鶯の言葉どおり、日記には、『染衣の部屋にて、初めてのキスをする。お互いのファーストキス。きゃ~、嬉しい~♪』と書かれてあった。
鶯の言う事実との違いは、「僕の部屋で」という部分なのだろう。あのときキスをした場所は、僕の家の廊下ってことになるわけだし。
だけど……。
……お互いのファーストキス、か……。
現実だったのか夢だったのかわからないし、妖精相手ではあるけど、ラナンさんとのキスを数えるなら、僕のほうはファーストキスじゃないのかもしれない。
というのは黙っておくことにしよう。
「とにかくね、これからもあたしは、日記のとおりになるように行動するつもり」
カブやんを頭に乗せ、クワっちも手のひらの上に乗せていじくりながら、背中を向けたままの鶯はそう宣言する。
僕のほうを向いていないのは、恥ずかしいからなのだろう。
「にへへ、染衣は日記の呪縛から逃れられるか、みたいな感じかな? いわばゲームね! だから染衣、勝負よ!」
「勝負って、なんか違わない?」
「いいの! あっ、でも、ちょっと見せちゃったけど、これからはこのノート、見せないからね! どれくらい実現できるかな~♪」
鶯はそう言いながら、にへへへと笑い声を響かせ続ける。未来の日記に書かれたことでも想像しているのだろうか。
……袖で口もと辺りをさりげなく拭いたみたいだったから、おそらくよだれも垂らしていたに違いない。
やっぱり鶯は変わっている。
でもそれは、構ってほしいから。それを僕はよく知っている。
忙しいお母さんに構ってほしかった幼い頃の鶯は、そんな思いから突拍子もないことをして気を引こうと考えていたのだと思う。
部屋が極端に散らかっているのも、きっとそのため。
「こら、鶯! ちゃんと片付けなさい!」「はぁ~い!」
そんな会話を思い描いてのことなのだ。
お母さんに対する願いは今のところ叶っていないわけだけど。
そうやって構ってほしいという思いは、きっと僕に対しても同じだ。
僕はしっかり、鶯を構ってあげよう。どんなにおかしなことを言い出したとしても。
そう心に誓うのだった。
「よし、染衣! これ着て!」
と、唐突に鶯が取り出してきたのは、カブトムシの着ぐるみだった。
立派なツノの根もとに、顔を出すための大きな穴が空いている、本格的な造形の着ぐるみ……。
「ええっ!? なぜ!? っていうか、なんでそんなの持ってるの!?」
「問答無用! あたしの命令は絶対! コスプレしてほしいの!」
「やだよ!」
「どうして!? 好野ちゃんから聞いたよ? フリルのついたドレスだとか、可愛いワンピースだとか、そういったのを喜んで着てるって話じゃない!」
「よ……喜んで着たりなんてしてないよ! あれは罰ゲームで……」
「それでも着たのは確かなんでしょ!? だったら、こんな着ぐるみくらい、なんの問題もないじゃないの!」
「問題ありだよ!」
「あたしの夢を叶えてくれないの!? カブトムシの彼と結婚するっていう夢を!」
「そんなバカな夢があるか~~!」
などと反論を叫びながらも、『結婚』という言葉に一瞬ドキッとしてしまった自分が、なんだかちょっと嫌だ。
「はっ! もしかしてこれも日記に書かれてるの!?」
僕は今日の日付の日記が書かれていたノートを素早く引っつかみ、乱暴にページをめくっていく。
「ちょっと、もう見せないって言ったでしょ~!?」
文句を言いながらノートを奪おうとする鶯の手をかわしつつ確認すると、しっかりとそれは目に飛び込んできた。
『染衣がカブトムシの着ぐるみを着てくれた。きゃ~、カッコいい~♪ 普段の百倍カッコいいわ! 普段の染衣なんて、ゴミみたいなもんだし!』
……普段の僕って、ゴミ扱いなんだ……。
「あう、見られた! 責任取って!」
「なんか、言い方おかしい! 日記を見ただけで、責任って……。そりゃあ、結婚はするつもりだけど……」
僕のほうも少々テンパっていたのだろう。
さっきの言葉が頭に残っていたせいか、ほとんど無意識にそんなセリフが口から飛び出していた。
「わっ……」
鶯は、ぽっ、と頬を真っ赤に染める。
「嬉しい~~♪」
そして頬を染ながら、問答無用で着ぐるみを着せようとしてくる。
「ちょ……っ!?」
陶酔しきっている鶯の腕の力は、思った以上に強力で。
僕は抗うこともできず、するするとカブトムシの着ぐるみを着せられる結果となってしまった。
カブトムシの着ぐるみを身にまとった僕の顔を、鶯がキラキラした瞳で見つめる。
そのまま彼女はキスしてきた。
そりゃあ、べつに嫌じゃないけど、どうして着ぐるみ姿でキスしなきゃならないのだろう。
「もしかして、この着ぐるみを着たままの三回目のキスも、日記に書いてあるの?」
「…………あとで追記しておこ~っと♪」
「それは反則だ!」
怒鳴りつけられ身をすくませる鶯に、僕はそっと、四回目のキスをした。
以上で終了です。お疲れ様でした。
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