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友人の推しアイドル握手会に強制連行された結果。そこにいたのはかつていじめから助けた同級生だった件  作者: 午前の緑茶


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7/14

動画撮影

 撮影の日、指定された店へ着くと、入口の札が準備中になっていた。


 窓の向こうで、片桐さんが手を上げる。扉を開けると、コーヒーの匂いがした。昼と夜の営業の間を借りている、と事前に聞いていた店だった。


「今日はありがとうございます。奥へどうぞ」


 窓際では、グレーのシャツを着た女性がカメラの高さを調整していた。


「撮影の高野です。相手役の瀬尾さんですね」

「はい。よろしくお願いします」

「分からないことがあったら、途中でも聞いてください」


 高野さんの隣で機材のケースを閉めていた男性も、顔を上げた。


「撮影補助の三浦です。今日は莉央さんの相手役もやります。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 俺が頭を下げると、三浦さんは、こちらも慣れていないので、と少し笑った。


 挨拶をしていると、奥の席から水瀬が立ち上がった。


 薄い青のワンピースに、白いカーディガンを合わせている。髪の片側を留めた小さな飾りが、窓の光を受けた。


「来てくれてありがとう」

「うん。遅くなかった?」

「大丈夫。まだ準備してるところ」


 彼女の横から、もう一人が立ち上がった。高い位置で結んだ髪を揺らし、テーブルを回ってこちらへ来る。


「瀬尾くん?」

「はい」

「朝倉莉央です。こはるから聞いた。こはるの相手役やるんだってね。ずいぶんやる気だって聞いたよ?」

「せっかくの勝負なら勝ちたいですから」

「ふっふっふー。負けないよー?」


 笑顔のまま言って、彼女は窓際の椅子を一脚引いた。


「荷物、ここに置けるよ。私の先に撮るから、よく見てて」

「見てていいんですか」

「もちろん。よかったら、ちゃんと褒めてね」

「莉央、瀬尾くんは私の相手役だよ」

「感想聞くくらい、いいじゃん。昨日、けっこう頑張って考えてきたんだし」


 最後だけ少し声が小さくなった。俺のほうを見る目には、さっきまでより期待がこもっていた。


「分かりました。楽しみにしてます」


 答えると、朝倉さんは満足そうに頷いた。


 水瀬が俺の隣へ来る間に、朝倉さんはテーブルから紙を取っていた。


「はい。今日、こんな順番。分からないところある?」


 会ってまだ一分も経っていない気がしたが、俺はもう、朝倉さんと一緒に撮影の順番を確認していた。


 紙には、送ってもらった企画書よりずっと多くの書き込みがあった。


「それ、全部台詞ですか?」

「ううん。相手が何て答えるか分からないから、何個か考えてきたの。あと、ここのプリン、数量限定だから先に頼むこともメモしてる」

「最後のは撮影と関係ある?」

「ある。私のやる気に、すごく」


 朝倉さんは真顔で答えてから、ちらりと店の奥を見た。


「……まだ残ってるかな。さっき聞けばよかった」


 紙を俺たちに預けると、店の人へ小走りに近づいていく。


「すみません。プリン、一個お願いしてもいいですか」


 ありますよ、と返されると、肩が目に見えて下がった。こちらを振り返り、口の動きだけで「あった」と教えてくれる。


 水瀬が笑って頷くと、朝倉さんも嬉しそうに笑った。


 高野さんが、まず店先で待ち合わせの場面を撮ると説明した。三浦さんがカメラのすぐ横に立ち、俺は水瀬と、その後ろへ回った。


 扉の脇に立った朝倉さんは、片手で小さく手を振った。


「お待たせ。待った?」


 レンズの横にいる三浦さんが、少し、と返す。


「少しって、どのくらい?」

「十分くらい」

「それ、けっこう待ってるじゃん」


 朝倉さんは眉を下げたあと、ガラス越しに店内を指した。


「じゃあ、ケーキは先に選んで。私は違うのにする」

「俺が選んだほうを、莉央さんも食べたくなったら?」


 朝倉さんは少し考える顔をしてから、カメラへ半歩近づいた。レンズに目を向けたまま、いたずらっぽく笑う。


「そのときは、一口ちょうだい?」


 さっきまでより声を落とし、くりりとした快活な瞳向けて首を傾けた。


 目線はレンズに向いている。それでも、そのすぐ後ろに立つ俺は、つい頷きかけた。


 高野さんがカメラを下ろした。


「いいですね。店に入るところだけ、もう一度お願いします」

「一口のところは?」

「使えます」

「よし。三浦くん、私もそっちを食べたくなったらって聞いてくれたの、助かった」

「違うのにするって言っても、食べたいほうを我慢することになるかもしれないと思ったので」

「そういうの、もっと言って。私が返せなくなったら、そのときは一緒に考えようね」


 三浦さんが笑うと、朝倉さんはすぐにこちらへ向き直った。


「瀬尾くん、今のどうだった?」

「俺まで、返事しそうになりました」

「いいね。じゃあ当日も、私に一票」

「まだ水瀬のを見てないので」


 ぱっと明るくなっていた顔が、そこで止まった。


「……そっか。今ならいけると思ったんだけどな」

「もう。最初から、私の手伝いに来てくれてるんだよ」


「分かってるよ。……でも、今のよかったっていうのは、覚えててね」


 念を押され、俺は頷いた。朝倉さんはそれを見て、ようやく少し笑った。


 水瀬は腕を組んでいた。ただ、口元は笑っている。


「あんなに考えてきたのに、三浦さんが返したら、違うこと言ってた」

「うん。昨日、あんなに悩んだのに。……よかったって言ってもらえたから、いいけど」


 朝倉さんは紙へ何か書き足してから、俺へペンの先を向けた。


「瀬尾くんも、こはるに遠慮して返事しなくていいからね。言われたこと、ちゃんと返したほうが、こはるもやりやすいから」

「分かりました」

「莉央、私の相手に何教えてるの」

「だって、今、三浦くんの返事で助かったから」

「うん。ありがとう。私も、いいの撮れそう」


 朝倉さんは嬉しそうに頷きかけて、途中で止まった。


「……待って。今、私、こはるが勝つための話してた?」

「してたね」

「参考になります」


 俺も礼を言うと、彼女は少し困ったように笑った。


「うん。それはよかった。……でも、私のほうが、ちょっとだけよく撮れててほしい」


 最後だけ小さな声で付け足して、扉の前へ戻っていった。


 俺は水瀬に声を落とした。


「俺も、けっこう喋っていいんだな」

「え?」

「さっき、三浦さんが聞き返したから、一口の話になっただろ。ああいうの、俺もやっていいんだよな」


 水瀬がこちらを見た。俺は少し声を弾ませた。


「水瀬が話しかけて、俺もそれっぽく返せば、ちゃんとデートになるわけだ」

「……うん。そう、なんだけど」

「分かった。何かセリフを考えるよ」


 カメラの横で相槌を打つだけだと思っていたが、これは思っていたより楽しそうだった。朝倉さんに勝つために、俺にもできることがありそうだ。


 水瀬は何か言いかけて、やめた。それから、小さく息を吸った。


 朝倉さんは店内でも手際よく撮影を進めた。三浦さんに好みを聞き、その返事から注文の話へつなげていく。必要なところを撮り終えると、カメラを止めたあとでプリンをおいしそうに食べた。


「こはるのも、最初だけ見ていっていい?」


 空の皿の横へスプーンを揃えながら、彼女が尋ねた。


 *


 三浦さんが機材のケースを壁際へ寄せ、俺に場所を空けてくれた。今度は俺が、高野さんのすぐ横に立つ。


 水瀬には、基本はレンズを見てもらう。俺が離れすぎると目線も外れるので、このくらい、と位置を教えられた。


「瀬尾さんも、撮っている間は一緒に出かけているつもりで。聞かれたことに答えるだけじゃなくて、自分から話しかけても大丈夫です」

「分かりました」


 水瀬は店の扉の前で、カーディガンの袖を直していた。


 高野さんが声をかける。


「では、お願いします」


 水瀬の顔が上がった。背筋が伸び、袖を触っていた手が自然に下りる。レンズを見つけた途端、口元に明るい笑みが浮かんだ。


「こんにちは、春野こはるです。今日は、前から気になっていたお店に来ました」


 声がよく通った。店名を紹介し、ガラス越しに見える席を示してから、こちらへ笑いかける。白いカーディガンの袖が、手の動きに合わせてふわりと揺れた。


 客席で見ていたときは、声と動きの大きさに目を引かれた。今は、話しかける直前に目元が和らぐところまで見える。返事をする場面ではないのに、俺はつい姿勢を正した。


「このあとも、いくつか撮っていきますね。いったん切ります」


 高野さんの声で、水瀬が息を吐いた。


「今のは大丈夫ですか?」

「はい。では、待ち合わせのほうも」


 同じ位置で、撮影が始まった。


 水瀬は一度、店の看板へ目をやってから、俺たちに気づいたように顔を向けた。


「お待たせ。……待った?」

「少し。今日、楽しみだったから早く来すぎた」


 せっかくなので、待っていたほうも楽しみにしていたことにした。笑って返すと、彼女の目が一瞬、レンズから俺へ動いた。


「……楽しみ?」

「うん。水瀬に会えるし」


 さっきまでまっすぐだった視線がそこで止まった。笑みを残したまま、唇だけが小さく開く。


「そ、っか」


 水瀬は一度頷いた。もう一度頷いてから、袖をつまむ。次の台詞を待っていると、その指がカーディガンの縫い目を行ったり来たりした。


「今日、その……」


 高野さんが、ゆっくりカメラを下ろした。


「一度、止めましょう。小春さん、続きは服の話でしたね」

「はい。すみません」


 水瀬が両手で頬の横の髪を直してから、俺を見た。


「瀬尾くん、そういう返事するんだ」

「せっかくデートなんだし。こっちも楽しそうなほうがいいだろ」

「……うん。撮影、だもんね」

「そうそう。今の、けっこうそれっぽくなかった?」


 水瀬は返事をせず、頬の横の髪をもう一度直した。左右とも、さっき直したばかりだった。


 高野さんが頷いた。


「返事はよかったです。次は服の話も、瀬尾さんから気づいてあげると、やり取りしやすいかもしれません」

「あ、それも言っていいんですね」

「はい。せっかく相手がいるので」


 水瀬が手を止めた。


「え、じゃあ、次は――」

「さっきの続きからやってみましょう。待ち合わせの返事のあとで」


 高野さんがカメラを構え、俺も隣へ戻った。


 水瀬が同じように呼びかける。返事をして、今度は次を待たずに口を開いた。


「その服、似合うな」


 袖をつまんでいた指が、ぴたりと止まった。


 水瀬の目が丸くなる。次に、自分のワンピースへ視線が落ちた。俺の言ったことを確かめるように青い生地を見てから、もう一度顔を上げる。


「……ほんと?」

「うん。その青、いいと思う。見つけたとき、かわいいなって思った」


 褒めるなら、もう一言くらいあったほうがよさそうだった。水瀬の顔を見て、笑って付け足す。


 水瀬の口元が、ゆっくりほころんだ。


 笑ったあとで、それに気づいたように唇を結ぶ。けれど頬は上がったままで、隠しきれなかった。目が合うと、今度は顔まで少し下を向く。髪からのぞいていた耳が赤くなっていた。


 上げかけた手が口元で止まり、そのままカーディガンの裾へ下りる。まっすぐだった裾を、指先で二度、伸ばした。


「あ、ありがとう。今日、これにしようかなって、思って」

「うん」


 水瀬がそっと目を上げた。俺がまだ見ていると分かると、困ったように眉を下げる。それでも、口元の笑みは消えなかった。


 あんなふうに嬉しそうにされると、こっちまで頬が緩む。似合っていると思ったことを、そのまま言ってよかった。


「……それで」


 高野さんが止めた。


「今の笑ったところ、いいですね。続き、もう一度撮れます?」

「あ、はい」


 水瀬は頷いてから、俺を見た。少し眉を寄せているが、頬にはまだ赤みが残っていた。


「瀬尾くん、急に言うから」

「服、褒めるんじゃなかったっけ」

「そうだけど。かわいい、とかまで言うと思ってなくて」

「そのほうが彼氏っぽいかなって。今の、どうだった?」


 水瀬は口を開き、閉じた。


「……今、感想まで聞くの?」


 後ろで朝倉さんが吹き出した。


「瀬尾くん、思ってたより乗り気じゃん」

「せっかくなら勝ちたいので」

「いいねえ。こはる、頼もしい味方だね」


「……うん。頼もしいんだけどね」


 水瀬は最後だけ小さな声で言って、手の甲を頬に当てた。


 高野さんが次の位置を示す。水瀬が扉の前へ戻るのを見て、俺は思いついたことを聞いてみた。


「高野さん、これ、褒めたあとに聞いたほうがいいですか。今日のために選んだの、とか」

「いいですね。それで相手の話を聞いてみてください」

「待って」


 水瀬が片手を上げた。勢いがつきすぎたのか、指先が小さく震えている。


 俺も高野さんも、彼女を見た。


「……どこまで話すのか、先に相談して」

「今、相談してたけど」

「私とも」


 水瀬はそこで言葉を切った。頬は赤いままなのに、目だけは必死だった。


「分かってるよ。演技なのは。……でも、急にそういうこと言われると、次の台詞が飛ぶの」

「ああ、ごめん。じゃあ、次は服を褒めて、今日のために選んだのか聞く。それでいい?」

「……うん。それなら」


 水瀬は袖を握り直し、一度頷いた。


「分かってれば、大丈夫だから」

「よし。じゃあ、今度こそ最後までいこう」


 俺が頷くと、水瀬も頷いた。なぜか、俺よりずっと深く息を吸っていた。


 後ろから、朝倉さんの声がした。


「こはる、頑張って」

「……誰のせいだと思ってるの」

「え、私? 今の、瀬尾くんの自主性だよ」


 水瀬は言い返せず、もう一度袖を直した。



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