真実
「帰る前に、少し話せる?」
「……うん?」
「二人で。ちょっとだけ」
俺は、真帆の隣へ目を向けた。
いつものように助けを求めかけた目が、ちょうどこちらを見ていた尾崎と合う。そのすぐ横で、真帆の視線が俺から尾崎へ動いた。
「……何で尾崎くんを見るの?」
尾崎の手が、カップの手前で止まった。
「いや」
「瀬尾に聞いてるんだけど」
「分かってる」
俺は真帆へ向き直った。
尾崎もいてくれたほうが、と言いかけて止まる。二人でと言った相手に、それでは答えになっていない。
「……二人だと、真帆も気まずいかなと思って」
「気まずいからこそ話したかったんだよ」
真帆はすぐに答えた。
「前も、昔のことになると二人で困ってたでしょ。このまま毎回ああなるのも、嫌だなって」
「ああ……」
「それで、どうして尾崎くんの方を見るわけ?」
俺はテーブルの上へ目を落とした。尾崎のコーヒーには、まだほとんど手がついていない。
「この前、頼んだんだよ。真帆と二人になりそうだったら、ちょっと話に入ってほしいって」
真帆が動かなくなった。
「……二人にならないように?」
「うん。真帆も、そのほうが楽だろうと思って」
言ってから、本人には一度も確かめていなかったと気づいた。
真帆が、ゆっくり尾崎へ顔を向けた。
「私、逆のこと頼んだよね」
今度は俺が尾崎を見た。
「逆?」
「二人で話す時間を作れないかなって。小春の相手をしててもらえたら、その間に瀬尾と話せると思って」
尾崎はカップへ伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「……そう。それなんだよ」
背もたれへ深く倒れ込み、両手で顔を覆った。指の間から、長いため息が漏れる。
「俺、ずっとそれで困ってたんだよ。瀬尾には二人になるなって頼まれて、真帆ちゃんには二人にしてほしいって言われて」
「……だから、考えてもいいかって」
「考えたよ。考えたけどさあ……」
両手が顔から滑り落ちた。尾崎はそのまま天井を仰ぐ。
「どっちに返事しても、もう片方と逆になるんだよ。どうしたらいいの、これ」
真帆が口を閉じた。尾崎は体を起こし、今度は俺へ顔を向ける。
「今だって、お前、俺を見たろ」
「……うん」
「だから話に入ろうとするだろ。でも、真帆ちゃんはお前と話したいんだろ」
こちらへ差し出しかけた手が、真帆を見たところで止まった。
「じゃあ黙ってようと思ったら、またお前がこっちを見てさ……
引っ込めかけた手が、俺の前へ戻ってくる。尾崎はその手を宙に浮かせたまま、眉を思いきり下げた。
「……俺、どうすればいいんだよ」
とうとう肘をつき、浮かせていた手で額を支えた。指が前髪を押し上げ、その下から俺たちを見ている。
「もう、ほんとに分かんなかったんだからな」
「……悪い」
「ごめん。知らなかった」
「だから、俺を見る前に、二人で相談してくれよ」
尾崎は顔を上げ、両手を俺たちへ差し出した。手のひらが上を向いていた。
「二人になりたいのか、なりたくないのか。俺に決めさせないで――」
「……二人って、瀬尾くんと真帆?」
隣から声がした。
水瀬がポーチを持って立っていた。引きかけた椅子に手を置いたまま、俺たちを見ている。
尾崎の両手が、ゆっくり膝へ戻った。
「何の話? 二人になると、何か困るの?」
水瀬が俺を見た。真帆へも顔を向ける。
真帆は一度俺と目を合わせてから、カップの取っ手へ指をかけた。
「この前、話しそびれたことがあって。帰る前に少し話せたらって、言ってたの」
「話しそびれたこと?」
「うん。せっかくまた会えたんだし、これからも気楽に話せるように、ちょっとね」
水瀬は椅子へ腰を下ろし、今度は尾崎のほうを見た。
「でも、その話で、どうして尾崎くんが困ってるの?」
「瀬尾と話す間、小春と一緒にいてもらえたらって、私が頼んでたの」
真帆が答えると、水瀬は小さく頷いた。
俺は尾崎を見てから、口を開いた。
「……俺は逆に、真帆と二人になりそうだったら、話に入ってほしいって頼んでた」
「逆のことを?」
「うん。お互い、何を頼んだか知らなくて。さっき分かったんだよ」
水瀬の視線が俺と真帆の間を往復し、尾崎のところで止まった。
「じゃあ、尾崎くんは、その両方を頼まれてたの?」
「はい。どっちに動けばいいか、ずっと考えてました」
「私も、二人がもっと話しやすくなったらいいなと思って……」
そこまで言って、水瀬の手がポーチの上で止まった。
「待って。じゃあ、私も困らせてた?」
「はい。ものすごく……」
尾崎は大きく頷き、そのままがくりとうなだれた。
水瀬の目が丸くなる。それを見て慌てて顔を上げたが、何か言おうとして、また額を押さえる。
「すみません。でも、本当に、どうしたらいいか分からなくて」
「私、昨日、二人がもっと気楽に話せるように、尾崎くんも手伝ってってお願いしたんだけど」
俺はもう一度、尾崎へ顔を向けた。
「……それも?」
「それも」
尾崎が指を一本立てた。
「二人にするな、だろ。二人にして、だろ。そのうえ、仲よく話せるようにして、だろ」
三本になった指を、俺たちへ見せる。尾崎は自分でもそれを見て、口を開きかけた。
何も言わずに指を畳み、両手で頭を抱えた。
「……無理だって。何をしたら全員に頷いてもらえるのか、全然分かんないんだって」
肩が縮まり、額がテーブルへ近づいていく。真帆が思わずカップを脇へよけた。
「話に入る前に三人の顔見て、入ったあとも見て。誰かが黙ると、今の駄目だったかなって、ずっと考えてたんだからな」
頭を抱えたまま、尾崎がこちらを向いた。片頬が手に押され、口元まで歪んでいる。
「それで、お前の『助かるよ』だろ」
俺は口を閉じた。
「お前にそう言われて、二人も笑っててさ。俺、どういう顔で返せばよかったんだよ……」
尾崎が口の両端を持ち上げた。眉は下がったままで、すぐに顔全体がくしゃっと崩れる。
さっき、カレーを待っていたときの顔だった。
「誰か一人でいいから、俺のほうも助けてくれよって。ほんと、そればっかり考えてた」
「……そんなことになってたの」
真帆が身を縮めた。水瀬もポーチを握ったまま、何度も頷いている。
「ごめんね。尾崎くんがいてくれたら大丈夫だって、思ってた」
「俺だって、誰かに『大丈夫だよ』って言ってほしかったです……」
尾崎は両手を下ろした。背もたれへ沈み、足を少し前へ投げ出す。水瀬の前できちんと伸ばしていた背筋が、すっかり丸まっていた。
「昨日、藤崎と相談してたのって」
俺が尋ねると、尾崎は顔だけをこちらへ向けた。
「お前の話。どうすればいいか分かんなくて、藤崎さんにまで聞いてたんだよ」
「……そうだったのか」
「そうだったんだよ。ほんと、大変だったんだからな……」
尾崎は大きく息を吐いてから、体を起こした。カップを両手で包むと、しばらくその中を見つめていた。
水瀬は、テーブルの中央を見つめていた。
何か言いかけて俺を見る。それから真帆へ顔を向け、少し首を傾けた。
「でも、さっきの話。どうして、二人になるのがそんなに……」
途中で言葉が止まった。
俺の顔と、真帆の顔を見比べる。
さっきよりゆっくりと、もう一度。
「……二人って」
真帆の指が、カップの取っ手から離れた。
「もしかして、高校のとき、付き合ってた?」
俺は、真帆を見た。
彼女もこちらを見ていた。少しだけ唇を結んでから、今度は水瀬へ向き直る。
「……うん」
水瀬の口が、わずかに開いた。
俺も頷いた。
「そうなんだ。言ってなくて、ごめん」
水瀬は何度か口を開け、ようやく頷いた。
「そ、そっか。うん。そうだったんだね」
膝の上で手を揃え、背筋を伸ばす。真帆へ笑いかけようとして、途中で口元が止まった。
目が、俺たちの座っている席を順に追う。
「……待って。ちょっと待って」
水瀬がテーブルへ両手をついた。
「じゃあ、この前の席も」
「席?」
「私、昔と同じところに座ってって、言ったよね」
俺は頷いた。
「二人の高校時代にお邪魔してるみたいって」
「……言ってたな」
水瀬は口元を押さえかけ、今度は真帆へ手を伸ばした。
「それで、文化祭のあと、何を話したのかも聞いて。どっちが誘ったのって。二人で思い出してって……」
指が宙で止まった。その手で自分の頬を押さえ、もう片方の手も重ねる。
「私、何でそんなに聞いたの……」
真帆がカップを置いた。
「小春は、私たちが付き合ってたことを知らなかったんだから、気にしなくていいよ」
「今、分かったから困ってるの!」
水瀬は言ってから、ぱっと店内を見回した。おばさんが入口から戻ってくるところだったが、こちらへは来ず、カウンターの中へ入っていく。
水瀬は両手で口元を覆い、声を小さくした。
「ごめん。私、知らなくて。ほんとに知らなかったの」
「うん。分かってるよ」
「知ってて聞いたんじゃないからね」
「それも分かってる」
真帆に何度も頷き返していた水瀬が、ふと動きを止めた。
「……私、同じことばっかり言ってる?」
「ちょっとね」
水瀬はまた両手で顔を覆った。
「ちょっと待って。私、ほかに何を聞いたっけ」
「今、全部思い出さなくていいよ」
「そっか。そうだね。じゃあ、言わないで。変なこと聞いたかもしれないけど、今は言わないで……」
顔から手を離し、今度はグラスを取った。
「お水、飲む。ちょっと落ち着くから」
口元まで持ち上げ、傾ける。
「小春、それ空だよ」
「……え?」
水瀬がグラスを目の前へ戻した。底を覗き込み、ゆっくり真帆を見る。
「ほんとだ……」
俺も、自分がこの前、空のグラスを持ち上げたことを思い出した。あのときの俺も、こんな顔をしていたんだろうか。
「水瀬のせいじゃないよ。俺たちが言ってなかったんだから」
「うん。でも、知らないで、あんなに……」
グラスを戻しかけた手が止まった。
「……動画」
俺の背中が、少し固くなった。
真帆も、次に何を言われるか分かったようだった。
「私、瀬尾くんに彼氏役をお願いして」
「うん」
「その動画を、真帆にも見てもらって」
「見たね」
「瀬尾くんの元カノに、撮影の話を聞いてもらったの?」
真帆は、ほんの少し口元を緩めた。
「うん。進行、頼まれたから」
水瀬がグラスを置いた。すぐに身を乗り出し、テーブル越しに真帆の袖をつまむ。
「真帆、どうしよう。私、あのとき、あんなに……」
真帆の顔を見て、ぴたりと止まった。
「……あ。真帆に相談してどうするの、私」
「聞くのは聞くよ?」
「うう……」
袖を離した手が、ゆっくり自分の顔へ戻った。水瀬は両手で頬を挟み、そのままテーブルへ突っ伏しかける。
俺も、今度ばかりは助ける言葉が出なかった。
水瀬は真帆のほうへ、目だけを向けた。
「……私が楽しそうに話してるの、全部聞いてたんだ」
「小春、すごく楽しそうだったよ」
「もう、恥ずかしいから言わないで……」
真帆がとうとう笑った。
水瀬は顔を上げ、隣の俺へ向き直る。
「瀬尾くんも、その場にいたよね」
「客席に」
俺が顔を向けると、水瀬はさっと両手で目を隠した。
「待って。今、こっち見ないで」
「今、俺に聞いたよな?」
「聞いたけど……目が合うと、もっと恥ずかしいの」
そのまま指を少しだけ開き、こちらを窺う。
「……どういう顔で聞いてたの」
「俺も、どういう顔をすればいいか考えてた」
指の隙間から見えていた目が、何度か瞬いた。
「……それは、そうだよね」
水瀬の両手が膝へ落ちた。ようやく背もたれへ身を預けたが、真帆の顔を見ると、また片手で目元を隠してしまった。
尾崎が、小さく息を漏らした。
見れば、カップを持ち上げる途中で、口元を隠していた。
「尾崎くん、知ってたの?」
「前の食事の帰りに、瀬尾から聞きました」
「じゃあ、昨日のお願いも」
「知ってました」
水瀬は、一度目を閉じた。
「……二人を、もっと仲よくさせてって」
尾崎が頷く。
「任せてくださいって、言ってくれたよね」
「言いました」
「何で?」
「……喜んでもらいたくて」
水瀬はすぐには答えず、尾崎を見つめた。
それから、申し訳なさそうに肩を落とす。
「ごめんね。私、すごく頼りにしてた」
「はい。そこは、伝わってました」
俺は、自分のカップを少し脇へ寄せた。
「悪かった。お前がいれば大丈夫だって、勝手に思ってた」
「こっちは、話に入っていいのか黙ってたほうがいいのか、ずっと迷ってたんだからな」
頼んだあとのことを、何も考えていなかった。
真帆も尾崎へ向き直った。
「ごめん。私も、自分が話せるかどうかばっかり考えてた」
「いや。話したほうがいいとは、俺も思ってたから」
「うん。でも、私から聞けばよかったね」
真帆が俺を見る。
「少し話したい。それでよかったんだよね」
「……うん。俺も、真帆まで困るって決めつけてた」
「困ってはいたよ」
真帆は、少しだけ目を細めた。
「話したくても、尾崎くんとの3人の会話になっちゃうんだもん」
「それは、本当に悪かった」
水瀬が、俺たちを見比べていた。
尾崎もこちらへ顔を向ける。
「あと、俺に助けを求める前に、真帆ちゃんにはちゃんと聞いてくれよ。二人で話すのが嫌かどうか、俺より本人のほうが分かるんだから」
真帆まで頷きかけたところで、尾崎がそちらを向く。
「真帆ちゃんも。俺に頼む前に、本人に聞いて」
「……はい」
珍しく、真帆の返事が小さかった。
水瀬がそれを見て、少し笑った。俺もつられて笑うと、彼女は慌ててこちらへ向き直る。
「瀬尾くんもだよ」
「分かってる。俺も」
今度は、四人とも笑った。
尾崎がようやく肩の力を抜き、カップを持ち上げた。ひと口飲んで、ゆっくり息を吐く。
そこへ、トレーを持ったじいちゃんが来た。
「空いたの、下げるぞ」
俺たちはテーブルに残っていたプリンの器を、手前へ寄せた。尾崎も二つ並べて差し出す。
「ごちそうさまでした。カラメルが苦いほう、また食べに来ます」
器を受け取ったじいちゃんの口元が、たちまち緩んだ。
「そうか。次は大きいので作っとく」
「あ、普通の大きさでお願いします」
尾崎の返事は早かった。
真帆が吹き出した。水瀬も、さっきじいちゃんが両手で作ってみせた丸を思い出したのか、口元を押さえている。
「分かっとる。ちゃんと食える大きさにする」
じいちゃんはそう言いながら、機嫌よく器をトレーへ並べた。
その背中を見送って、尾崎も笑った。
*
水瀬が夫婦の写真をもう一度開いた。
「これ、本当にいい顔だよね」
真帆が向かいから覗き込む。尾崎はゆっくりコーヒーを飲み、瀬尾もカップへ手を伸ばした。
そのとき、ポケットでスマホが震えた。
妹からだった。
『お兄ちゃん、今度そっち行くかもしれない。時間つくってね』
父親が同じで、母親が違う妹とは、最近はたまに連絡をするくらいだった。モデルの仕事をしているらしいとは聞いていたが、詳しいことまでは知らない。会うのも久しぶりになる。
返事を打ち始める前に、続けて届いた。
『ごはんも行きたいし、買い物も付き合ってもらうから』
すぐに、もう一件続いた。
『あと、お兄ちゃんに変な女が寄りついてないか、ちゃんと確認しないと。お兄ちゃん、自分じゃ気づかなさそうだし』
こうして瀬尾を独り占めしたがっている妹が、水瀬と真帆の憧れるモデル、白石紗月だった。
水瀬も、真帆も、その画面は見ていない。
一言でも話せたら。一緒に写真を撮れたら。
二人がそう話していた相手に、瀬尾は返事を打った。
『分かった。来る日が決まったら教えて。ゆっくり話そう』
すぐに、両手で大きな丸を作る猫のスタンプが届いた。
瀬尾は少し笑い、スマホをポケットへ戻した。
「何かいいこと?」
写真から顔を上げた水瀬が、隣の瀬尾を見ていた。真帆も向かいから顔を上げる。
瀬尾は、二人へ何気なく答えた。
「うん。久しぶりに、妹に会えそうで」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
瀬尾とその周りの人間のすれ違い勘違い楽しんでいただけたでしょうか?
修羅場っぽい状況は好きですが、実際にギスギスする関係性は苦手なので、今回はコミカルに話を終えられてちょっと安心してます。
さて、話もひと段落しましたので、一旦ここで一区切りとさせていただきます。
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それでは、続きか、また別な話でお会いできる日を楽しみにしてます(≧∀≦)




