明鈴と龍華
「私と一緒に、母屋の平和を守りなさい。」
ざあっと吹いた春風は、たんぽぽの綿毛を空に送り出す。
どうしてこんなことになったのか。
数十分前。私は厨房で野菜を切っていた。
「ねえ、この屋敷ってかっこいい人いないよねえ。」
「えー、龍華様がいるじゃない。顔が整ってて優しくて!」
「あの人宦官じゃない。子供作れないし、第一正妻付きじゃ……。」
「こら、あんたたち!くっちゃべってないで働きな!」
「ひー怒られた!」
「はい!」
私はこの辺りの宝石商、宗家で奉公をしていた。
旦那様は女好きで有名で、奥方が四人もいるのだけど、部屋付きじゃない私にはあまり関係がなかった。
仕事があるし、美味しい賄いが食べられるし、死ぬまでここで働きたいと思っていた。
あの人が来るまでは。
数日後。
「こんにちは、厨房の皆さん。」
「わー!龍華様!」
「楊おばさんは今いませんけど?」
趙龍華。長髪の宦官。穏やかな垂れ目に、涼しげな肌。母屋の憧れの的だ。
厨房の子達は頬を染めて龍華さんを囲んでいる。
「いや、これ、厨房に差し入れと思ってね。」
「えー!綺麗な花!」
「菜の花かしら?おばさんに渡します。」
「あの、それ、食べられないです。」
花が舞うような明るい雰囲気は固まり、視線が私に集まった。
「あ、いえ、飾るぐらいなら、いいかと……。」
「……では、厨房のお嬢様方に、私からの贈り物です。」
「わー!ありがとうございます!」
「私この大きいやつ!」
龍華さんの一言で空気が変わって、ほっと息をついたその時。
(あとで母屋の裏。)
龍華様が私に見えるように小声で話す。
春なのに背筋が寒くなった。
そして厨房の休憩中。
「あなたはあの花が食べられないと、なぜ分かったのです?」
「あ、あれはフキノトウで、龍華さんのは花が咲いてました。フキノトウはつぼみのうちしか食べられないんです。」
「なるほど。そうなると妙だな。あの辺のフキノトウはみんな花が咲いてましたが。」
ぎくっ。針が刺さるような感覚。
「しかもところどころ抜かれた跡があって」
ぎくぎくっ。こ、これはバレてるのでは……?
「まさか、とは思いますが、この宗家で旦那様の許可なく勝手に採った、なんてありませんよね。」
走馬灯のように、数日前の出来事がよみがえる。
「わー!ゼンマイ!ノビル!ホトケノザ!あれもこれも食べられる!あー春って幸せだなあ!」
考える前に頭を地面に擦り付けて土下座した。
「お許しください!!出来心だったんです!!みんな食べないからいつも勿体ないなって……。採ったものはお返ししますから、どうか、どうか売らないでください!」
「どうか勘違いしないでいただきたい。私はあなたの知識を買っているんです。」
「え?」
恐る恐る顔をあげると、龍華さんはニコニコ笑っていた。お、怒ってるのか許されたのか分からない。
「今母屋も揉めててね。食に知識がある人が欲しかったんです。だからといって楊さんでは気軽に動けないでしょう?あなたみたいにたまにいなくなっても問題なさそうな人が良かったんです。」
ひ、ひどい!確かに皆よりちょっと浮いてて友達もいないけど!
龍華さんは私に手を伸ばす。
「あなた、名は?」
「明鈴……。」
「明鈴。私と一緒に、母屋の平和を守りなさい。」
選択肢はなかった。龍華さんの手を取る。私を待つのは、天国か、地獄か。




