母曰く ⑥
「珍しいわね、知らないなんて…あなたも術者なら徴兵されてるはずなのだけど」
「伊織さんも徴兵されました?」
「いいえ、私のような小さな子持ちの母親や子供や老人だけは徴兵されずに済んだの。確か、まだ若い術者の男の人が、国の偉い人に直談判しに行ったとかで…その人も魔女だったらしいわ」
孔は、いつか体験したような動悸を感じた。
「その人は…そうなったんですか?」
「そうね…あまり詳しいことは分からないけれど、最後には一人で自爆して、周りの敵兵をも巻き込んだそうよ。それが終戦のきっかけになったのだけど、そのことは国では一切伝えられなかったから、私のような術者は知るのがだいぶ遅くなったのよ。実際に出兵した術者の噂話とか、土産話が唯一の情報源だったから…」
「…へえ、そうなんですね」
最近の出来事なのに、なぜ自分だけは全く覚えていないのか長らく疑問だった。三年前と言えば、自分は高校生で、学校という狭い世界での仕打ちに耐えていた時期だったと思う。しかし、どうにもそれだけではないという根拠のない確信はあるのに、その証拠となる記憶はぽっかりと大きな穴が開いたように抜けている。これまでも何度か、戦争の話や多くの術者がいなくなったという話を聞いたが、戦争をしたというにはその痕も見つからないし、術者も元々人口は少ない。なのに、なぜ皆口々にそのようなことを言うのか皆目見当がつかないままでいた。
年越し前の十二月下旬のことだった。
人間も術者も関係なく、国中の者が年越しに向けて忙しく準備を進める。孔も例に漏れず、伊織が目覚めるまでの間は、伊織の看病をしながら掃除やしばらく過ごすための食糧の準備をしていた。神様には好きに会えるので、神棚はなかった。「師走」という言葉の由来は、この時期の準備に忙しくする、という意味ではなく、借金をしたまま年が明けるとその借金が帳消しになるために逃げまわることから、という意味だと知った時は酷く脱帽した。個人的にはスタンディンクオベーションものである。ギリギリの生活をしながらも、借金という借金をしたことがない孔は、いつか借金をしたときは年明けまでに踏み倒したいと思ったが、そんな制度は数百年前に廃れていたことを思い出した。
この時期にもなると雪もどんどん深くなり、外に買い出しに行くことすらも億劫になる。凪や波美に頼もうと思っても、彼らもしばらく続く忙しさでお使いになんて行っていられないことだろう。
その暇つぶしとして、伊織と孔は談笑して過ごしていた。しかし孔は、見れば見る程母親にそっくりに見える伊織に、この話をしようかしないか迷っていた。一方、伊織は孔のそんな思案などには一切気づいていない様子だった。
「私も器用に生きていられたら、命にもあんな思いさせずに済んだのにねえ…」
などと呟くこともある。
「私が幼い時は、両親が何とか考えて、危険が無いように計らっていてくれたものだったわ…でも、
実際に私がそうしようとしても難しいものね。あなたもかしら?」
「そうですねえ…俺は見ての通り、他人と関わらないような暮らしをしているものですから、あまりそのような悩みは抱えたことがありません。幼い時は苦労も絶えなかったという記憶は残っているのですが、両親がどうだったかまでは……」
言いかけて、止まった。
何度も何度も、「両親のことは忘れた」「母親のことは覚えていない」などと繰り返すばかりで、自分は本当に思い出したくてそう言っているのか定かではない。今更そんなことに気づいた自分が何となく恥ずかしく思えたが、それでも聞く気にはなれなかった。意地になっているわけでもなく、ただ怖かった。命に初めて会った時のような、そんな何かを感じていた。
「どうしたの?」
伊織は、出会った時の命と同じ眼でこちらを見つめていた。一瞬背筋に嫌な感覚が走ったが、何も気にしないようにした。
彼女の眼は、命のそれよりも碧い。自分とはまるで違った。それなら、何も怖がることは無いのではないか。
頭の中で色んなものがグルグルと回って、冷静になろうともそれも叶わなかった。
「もしかして、何か嫌なことを聞いたかしら?」
「いいえ。ただ、気になることがあって」
「何かしら?私で良ければ聞かせて頂戴」
すでに孔は、まともな判断が下せない状態にまで至っていた。
「伊織さん…息子さんいらっしゃいますか?」
ほとんど無意識のまま、口から零れた。彼は、自分がそんな一言を発したことに数秒遅れて気づいた。




