陰鬱な光明 ③
「はい、神ざ……」
「先輩! 今空いてますか!?」
「声でかいな」
最近聞いた、あの懐かしくもやかましい声が耳をつんざく。何やら急用のようだ。
「空いているようで空いていないような。急ぎか?」
「割と急いでます! 先輩、今どこですか?」
「家だけど……」
「行って良いですか?!」
「ダメに決まってんだろ! いくらお前でも、人間にやたらめったら家は教えられないの! 言ってくれればこっちから行くから。用件によるけど」
「あー……えっと」
遠入は、一瞬どもりながら素直に用件を伝えた。
呼び出されたのは、ある大学であった。校門の前で煙草を楽しみながら待っていると、校内から見覚えのある男が走ってきた。小脇には、何やら教科書やノートなどを抱えている。
「よう」
「先輩! お久しぶりです!」
彼は、あの屈託のない笑顔で挨拶をした。
「わあ、変わってませんね、ホント」
「まだ会わなくなって三年ちょっとだろ」
「とは言っても三年ですよ!? 三年は大きいと思います」
「あーあー、その台詞聞いたことあるな」
しばらく思い出話に花を咲かせる。以前電話を介した時、いや、そのもっと前の出会った時から変わらない。案外人間の友人もいるものだ。
「それで? その拾ったもの?って何なんだ?」
一通り話題も尽きた頃、改めて孔の方から切り出す。
「拾ったんじゃないですぅ。ずっと保管してたものですぅ」
「お前、本当に態度がでかくなったな……」
ふざけた口調を操りながら遠入が差し出したのは、一本のガラス瓶。きちんと蓋が閉められているが、中身は空のように見える。
「これは?」
「先輩が僕に残した置き土産ですよ。覚えてません?」
「こんなただの瓶なんか残す訳……あ?」
空であるはずのその瓶からは、覚えのある魔力が感じられた。
実は、この瓶には中身がある。それは紛れもない孔本人が、学生時代に作った魔法薬であった。
「あの時先輩が事件起こした日……あの直前に先輩が作った薬ですよ」
「あの透明の薬か。よく残したもんだな。捨ててくれて良かったのに」
「無茶言わないでください。こういうのは、使い方も目的も作った本人しか分からないじゃないですか。僕みたいな素人が、変な処理の仕方でもして何かあったら大変でしょ。透明になれるって言うなら、なおさらどこまで透明になるのかも分からないし」
「分かった分かった。返してくれてありがとう」
孔は瓶を持ち上げると、振ったり日に透かしてみたりと様子を確かめる。魔法薬は、依然その性質を保ったままだ。
「結局、これ返したいだけだったのか」
「まーそういうことになりますね。役に立てられるなら、使ってあげてください。先輩のものなんですから」
「もちろん」
「それじゃ、僕、次も講義あるんで戻ります。こう見えて忙しい身ですから」
「分かったから早く行けよ」
後輩が大学構内へ走り去って行ってからも、孔はしばらくその場で戻ってきた魔法薬を眺めた。自分の魔力や使われた魔法など、どの部分を見ても見覚えしかない。それにしても、遠入は知識も無いのにどうやってこの薬を瓶に移し替えたのか、甚だ疑問である。
ようやく帰宅する気になった時、遠入が戻ってきてもう一つを孔に託した。
「……また仕事が増えた」
それは見覚えのある、縁起の悪さを湛えた石であった。
「ええ? 増えたの?」
「増えたよ。ったくどうしたらいいって言うんだよ」
「君も忙しいねえ。ちょっと前までは、唯の暇な薬局稼業にうんざりしてたのに」
「そう考えるとあんまり忙しいのも良くないな。逆に何も手に付かない」
「ヨミもヨミで忙しいみたいだったよ。石についても何も聞けなかった。二つ目は預かってくれても、管理はあまり行き届かないだろうね」
結局帰る途中に月占神社に寄り、凪に見覚えのある石を見せることに。凪も驚いた様子を見せたが、もう慣れてしまったようだ。
他人が忙しいようだという話をする彼もまた、今日は一段と暇そうだ。
「聞くところによると、孔の結界すらものともしないんでしょ? だったら、ヨミのところから逃げてきたのかも。ヨミも気付かずにね」
「ヨミもそんなにボケてないとは思うぞ」
「もしもの話だよ。確かにボケては無いけど、完璧では無いんだから」
興味深そうに石を眺め終わると、凪はそのまま石を返した。掌にズシ、と胸やけがするような重みが伝わる。
「そういえばどう? 何か進展はあった?」
何の、とは敢えて言わずに聞く。
「ある訳ないだろ。今日だって昔作った薬を返された事と、その石を貰った事だけだ」
「妙にタイミングが合うねえ」
「お前の世界で言う『縁』ってやつじゃないのか? ったく、世の中ってやつは本当にめんどくさいな」
「それを気にしなくて良いのが魔女なんじゃないの?」
「魔女も神様も同じだっつの。何でもできるわけじゃないって何遍言ったら分かるんだ」
「僕たちにとってはそういう風に見えているんだよ。少なくとも、できることの規模の差が雲泥だからね」
神様と関わる事しかできない自分や、人間の命の研究をする波美よりも、あらゆることに精通できる魔女には、その特別な可能性が潜在している。本人たちは否定するが、人間や他の術者から見れば羨ましいことであり、救いでもあるのだ。合わせて自分が大切にしている『縁』をも使って、目の前に立ちはだかる障害をどうか打破してほしい。それはきっと偶然などではなく、誰かの手によってもたらされたも同然なのだから。
またその『誰か』も、孔の魔女としての復活を待ち望み、彼自身の復活を求めている。……ような気がした。
「どちらにせよ、できる限りの力を使って何とかするさ。この薬の使い道も決めたところだし、今後詰むことも無いだろう」
彼は、ニッと笑って得意げに空っぽの瓶を振って見せた。




