狩人
レイとミレーナがギルドに入ると、殆どの傭兵は街に出払っているのか、建物内にいつもの活気はない。
カウンター付近に目をやると、その手前には見慣れた後姿があった。灰色の髪の小柄な少年、イーノだ。
「あれ、イーノ、どうしてここに?」
「レイ先輩! それに副会長まで」
レイの声に振り返ったイーノは、ここに来る途中で魔物の攻撃を受けたのか、手当てを受けた形跡があった。幸いにして傷はごく軽微らしく、手当てと言っても簡単なものだ。
「初めまして、ですね。ごきげんよう」
「あ、どうも……」
年下であるイーノ相手にも恭しく挨拶をするミレーナに、ついイーノも釣られて深々と頭を下げる。
「それで、どうしてギルドに?」
「プラッツ様は、街に魔物が出現した事をいち早くギルドに伝えて下さいました」
レイの問いにはギルドマスターが代わりに応えた。
「ああ、ちょうど俺たちもその事で来たんです。初めて見る魔物だったから……」
「ええ、こちらでも確認しましたが、あのような外見と特徴を持った魔物が出現したのは今日が初めてです。有識者の間では早速“レッドスキン”という呼び名が付けられているようですが……」
レッドスキン。随分と安直な名前を付けたものだとレイは苦笑したが、むしろ分かり易くなければ名前に意味などない。赤い皮膚の魔物に対してはこれ以上なくその特徴を捉えた名前だろう。
レイとギルドマスターの会話が一区切りついたのを見計らって、イーノが再び話を切り出す。
「実は、ここに来る途中でそのレッドスキンが峡谷の方から出て来るのが見えたんです」
街から北上すると、国境を隔てる山の手前に峡谷がある。レイの記憶が正しければ、あの場所はまだ危険区域には指定されていなかった筈だ。レッドスキンのような魔物がこれまで潜んでいたとは考えにくい。
となると、今回の魔物出現の原因として考えられる選択肢も限られてくる。
「まさか、ヒドゥンマスの転送陣が……?」
「その可能性も考慮し、ギルドは峡谷を暫定的に危険区域に認定し、立ち入りを制限しております。ちょうど今、イエーガー様が転送陣の調査に向かわれました」
キリック・イエーガーはレイ達がヒドゥンマスの幹部ガグロアと戦った時に助力してくれた傭兵だ。確かな実力を持ち、ギルドからの信頼も厚い彼ならば、調査を任されるのも頷ける。
「イエーガー……今、イエーガーと仰いましたか!?」
「ええ、左様ですが……」
イエーガーの名を聞いたミレーナの表情が突如として驚愕に染まった。
落ち着いて話を聞いていた先程までとはうって変わり、彼女は落ち着かない様子で唇をわなわなと震わせている。
「イエーガーというのは、ウットガルズで最も優れた狩人にのみ与えられる称号です」
レイも聞いた事がある。ウットガルズでは功績を上げた者に称号を与える風習があると。
その称号は持つ者の本名と同じか、或いはそれ以上に重いとされており、ミドルネームのようにして戸籍に書き加えられるという。
「数ある称号の中でも特にイエーガーは、狩猟が盛んな風の国に生まれた狩人ならば誰もが一度は憧れる、まさに狩人の中の狩人と呼ぶべき称号です。その名誉ある称号を持つ者を、私は一人だけ知っていました」
ミレーナは暫し間を置くと、噛みしめるようにその人物の名を口にする。
「キリック……私を逃がしてくれた家臣です。彼は代々デュラン家に仕えてくれた一族であると同時に、優れた狩人でもありました」
「ギルドに登録された本名は……“キリック・イエーガー・レニーニ”となっておりますが」
ギルドマスターが手元の資料に目を移し、イエーガーの本名を読み上げると、ミレーナは更に表情を変えた。
「ああ、やはり彼の名です。生きて、いたのですね……」
ミレーナは口元を噛みしめ、11年前までの懐かしい記憶が露となって零れ出そうになるのを堪える。堪えなかったとて責める者はいるまいが、人目を憚らずに泣く事は彼女が生まれ持った貴人としての矜持が許さなかった。
「イエーガーさんが……でもあの人、狩人って感じじゃなかったけど……」
「彼には銃も弓矢も必要ありませんから、そう見えないのも無理はありません」
ミレーナが言うには、彼は鎖に魔力を通わせて操り、いかなる獲物も生きたまま捕らえたという。
これには二つの目的がある。一つは銃弾や鏃によって可食部を傷つけないようにする為。もう一つは、血抜きや解体などの処理をするその直前まで生かしておく事で鮮度を保つ為である。
また、鎖の用途はそれだけに留まらず、ウットガルズを取り囲む野山で獲物を追うとき、木から木へ飛び移る際にも使われていたという。
それほどまでに鎖を器用に扱う人物が、そう二人も三人もいるとは思えない。そして、レイに心当たりがある人物もまた一人だけだった。
「じゃあ、やっぱり……」
「ええ、間違いありません」
ミレーナが確信を持って頷くのを見たレイは、再びカウンターへと向き直る。イエーガーがミレーナと縁の深い人物であると分かった以上、レイもこうしてこの場に留まっているつもりはなかった。
お節介かもしれないが、ミレーナとイエーガーを何としても無事に再会させたいという思いが胸の奥から湧き上がり、収まりそうもなかった。
「ギルドマスター、俺も峡谷へ向かいます。もしヒドゥンマスが関わっているとしたら、いくらイエーガーさんでも一人だと危ないかもしれません」
「承知しました」
ギルドマスターが手早く送迎の手続きを行う。
「そういう訳だから、イーノ、行って来る」
「はい、お気をつけて」
「ミレーナさんは……」
とうに帰らないと思っていた信頼する人物が、11年越しに生存していた事が発覚した。そんなミレーナに、気にせずこのまま真っ直ぐ帰れと言うのも無理な話だろうが、レイは敢えて確認する。
「これ以上は流石に危険だと思うけど……」
「駄目だと言っても付いて行きますよ」
ミレーナはこれ以上なくきっぱりと、レイの予想通りの答えを返す。それは、相手がヒドゥンマスかもしれない事を承知の上で言っているのだろう。故にレイも、これ以上は彼女を止める気はなかった。
それでは早速、とレイとミレーナが峡谷へ向かおうとすると、それをギルドマスターが引き留めた。
「お待ちください、暫定的とはいえギルドの管轄下におかれた土地に立ち入るのであれば、会員としてギルドへの登録をして頂く事になります」
緊急時とはいえども、いち支部を統括する者として、あくまで規則というものは有耶無耶にしてはならない部分なのだろう。
「何か条件はあるのですか?」
「15歳以上であればどなたでも」
ミレーナは手早く学生証を取り出して提示する。休日でも身分証明の手段として学生証を持ち歩いているあたりが実に生真面目なミレーナらしい。レイなどはいつも制服の内ポケットに入れたままだ。
「17歳です」
「拝見したします」
ミレーナから学生証を受け取ったギルドマスターは学生証を穴が開くほど凝視し、偽造されたものではない事を確認するとミレーナに返却した。
「じゃあ、もう行っても……」
レイが出発しようとすると、それを再びギルドマスターが止める。
「いえ、その前にこちらの書類にご記入を……」
彼はカウンターから住所と氏名を登録する用紙を取り出すと、ペンと共にミレーナに差し出した。
「あの、後に出来ませんか?」
「なりません。規則ですので」
さしものミレーナも度重なる足止めに対し渋々と言った様子で用紙を受け取り、ペンを走らせる。
レイ達が漸く峡谷へ出発できたのは、それから約5分後の事となった。




