ネロ・カルティエ
レイとフェーゴが洞窟に着いたのはほぼ同時だった。
そのまま二人で入口から奥を目指す。当然の事ながら魔物は彼らを敵と見なし牙を向けて来る為、それらを退けながら進まなければならない。
二人がジオスと共に裏山でウィブロンに敗れた日から約六ヶ月。少なくとも、この付近の魔物に手を焼かない程度には成長しているつもりだった。
レイの光速移動魔術にも磨きが掛かり、彗星の様に滑らかな動きを可能としている。フェーゴも数ヶ月前の単調な攻撃とは打って変わり、フェイントや牽制を織り混ぜた巧妙な戦法を取っていた。
そうして退けている内に、初めは躊躇なく襲い掛かってきた魔物も次第に二人を避けるようになっていった。
お蔭で苦労する事もなく洞窟の奥を目指す事が出来たが、随分と時間がかかってしまった。
二人が足を止めたのは、かつてレイが魔術の修行をした場所。大きな岩があるスペースだ。どうやら今日は先客がいたらしく、その人物は独り言を呟きながら辺りを徘徊していた。
彼らが少し前に出るとその顔が明らかになり、それを見たレイは思わず息を呑んだ。その人物は艶のある長い黒髪で顔を半分隠した美青年。数ヶ月前この洞窟に現れ、ベルリッツと戦ったあの黒髪の青年だった。
途端にレイはあの日彼だけが感じたプレッシャーを思い出し、全身の皮膚が痙攣したような感覚に襲われた。
流石にそこまで近づけば青年の方も、おや、と此方に気付いた様子を見せ、顔を上げて歩み寄って来る。
「君はあの時の……それにこちらは確かこの国の……」
「知り合いか?」
「いや、一度会っただけで……」
眉目秀麗なその青年はその顔に笑みを湛えながら右手を差し出す。
「僕はネロ……ネロ・カルティエ。研究家さ。君は?」
「……レイ・ヴェナブルズです」
「また合えて嬉しいよ」
そう言ってやや強引に握手を交わした後、ネロはレイとフェーゴから視線を外し、その付近一帯を見渡す様に目を動かした。
「修行に来たのだったらすまない、僕はこれから長く居る事になるかもしれない」
「何やってんだよこんなトコで」
フェーゴは玩具を盗られた子供の様に拗ねた顔をするが、そんな事はどこ吹く風で、ネロの方はあくまで張り付いたような笑みを崩さない。
「堕神伝説を知っているだろう? 僕は昔からその類いの話が好きでね、こうして所縁のありそうな場所を調べているのさ。以前レイ君に見せた瞬間移動も、光の速さで走ったと語られている堕神からアイデアを得たものなんだ。尤も、僕の属性は闇だから、幻惑してそう見せただけなんだけどね」
闇属性は使いこなすのが最も難しいと言われる属性であり、それを用いた魔術は大別して二つ。
ネロが言ったような相手の心理に作用する幻惑を始めとした魔術と、暗い夜空に浮かぶ星の力―――即ち重力を操る魔術である。ヒドゥンマスの幹部ガグロアとの戦いで共闘した傭兵のイエーガーが使っていたのは後者だ。
どちらも一歩間違えば人の命や精神をたやすく破壊できてしまう危険性をはらんでおり、それ故に熟達した闇属性魔術の使い手ほど、敵に回せば恐ろしいものはない。
「堕神伝説なんて、ただのお伽噺だろ?」
「そう思うかい?」
ネロは表情を変える事なく踵を返し、丁度目の前にあった巨岩と向き合う。彼はその岩に右手で触れると、目を閉じてレイ達の知らない言語で呟き始めた。まるで、呪文でも唱えるかのように。或いは、岩に呼び掛けるようでもあった。
ふと、レイは今更になってある違和感に気が付いた。その巨岩には数ヶ月前に彼が光の槍で穿った穴があった筈だが、それが綺麗さっぱり無くなっている。埋めたような跡も見られず、彼が違和感に首を傾げていると隣からフェーゴが話しかけてきた。
「何語だよ、これ」
「古代語……かな。知らないけど」
レイもあまり詳しくはないが、現在の言葉が普及する前にこの大陸では別の言語が使われていたという。それに、ネロが今口にしているその言語は、ガグロアやアウリュンが古代魔術を発動した際の詠唱とどことなく発音が似ていた。
程無くしてネロが長い詠唱を終えると、そこに佇む岩が突如として光に包まれ、ほんの一瞬で跡形もなく雲散霧消した。あまりにも唐突な出来事だった。
唖然とするレイ達を尻目に、ネロは口角を吊り上げる。
「やはり、ここだったんだ……!」
「ネロさん、一体何が……」
「見てごらん」
ネロが指差す方へ目をやると、先程まで巨岩があったその場所には、小さな下り階段が姿を現していた。あの岩は、これを塞ぐ為ここにあったのだ。きっと魔術的な力が施されており、穴が修復されたのもそのためだろう。
「行ってみようか。君たちも着いて来るといい」
レイ達は目の前で起こる出来事に正直なところ頭が追い付かなかった。ここへはフェーゴの修行の為に来た筈だ。しかし彼らはネロに着いて行かざるを得なかった。
好奇心、何よりも心の奥底から胸を打つ何とも言えない高揚感が、彼らを突き動かしていた。




