主人格
ホムンクルスの暴走により研究所は廃墟になった。戦い慣れたウィブロンは命からがら逃げおおせたが、セリアを含む他の研究員は全滅だった。
その後、ウィブロンは騒ぎの収まった研究所に赴き、まだ生きているかもしれないセシリアを探した。研究所は広く、また自分も立ち入った事のない部屋もある為、しらみ潰しに探すしかなかった。
そして、見つけた――
「セシリア! 待ってろ、今助けるからな」
セシリアは、見るも無惨な姿で横たわっていた。
全身には切り傷や凍傷と思われる痛々しい傷が走り、十分な治療もされないまま放置されていた。
通常ならば立つ事も動く事も出来ない程の傷だったが、彼女はウィブロンの姿を一瞥すると、まるで機械仕掛けの人形のように立ち上がった。
「セシリア、そんな体で動いたら……」
その言葉には耳を貸さず、セシリアはふらつきながらもウィブロンに歩み寄り……
――彼の首を締め上げた。
「……っ!? セシリア、一体どうしたんだ」
セシリアはウィブロンを締め上げる手に更に力を込める。それは彼の知っているセシリアからは想像出来ない程の膂力だった。
「俺だ、止めてくれ……!」
ウィブロンがどれだけ呼び掛けようとも、彼女は力を緩める事はなかった。その顔は心を失ったように無表情で、目はまるで死んだ魚のようだった。
このままでは首の骨が折れかねないと判断した彼が多少手荒くセシリアを押し退けると、彼女は糸の切れた人形のように床に倒れ、動かなくなった。
遅かったのだ、何もかも。セシリア・ネフィリムという少女は……
もう既に、壊れていた。
「奴らには最初から、セシリアを返す気なんてなかったんだ、俺達を生きて帰らせる気もな」
ウィブロンは磨かれたテーブルに映る自分の顔を睨みつけ、奥歯を噛み締めた。
「セシリアは、ホムンクルスの戦闘データを取る為の仮想敵として実験台も兼ねて強化改造されていた。俺にはすぐに解った。なぜなら……」
ウィブロンは、出来る事ならここから先の事を語りたくはなかった。
「……セシリアの身体に施されていたのは、殆ど俺たちが開発した技術を使っていたからだ……」
部員達は息を呑み、言葉を失った。
レイの身体からも血の気が引いていく。まるで瞼の奥……眼球が締め付けられているような感覚を覚えた。
「それは、つまり……」
ウィブロンの言葉をいち早く理解したジオスが、最初に口を開く。そして当事者であるウィブロンがその先を続ける。
「俺達がセシリアを助ける為にしてきた事が全部、あいつを苦しめる事に繋がっていた……」
それからしばらく間を置いて、ウィブロンは再び語り出す。
「戦いで傷つく度にその部分を改造されたんだろう。セシリアの身体は脳と脊髄以外の殆どが人工物に置き換わっていて、肉体の成長も止まっていた」
それを聞いたベルリッツが思わず息を詰まらせる。全てを話せと促したのは自分だが、正直なところこれ以上この話を聞きたくはなかった。
「体の方は何とか見られるように“直して”やる事は出来たが、心まで“治す”事は出来なかった。既にセシリアは自分を守るために感じる事や考える事を止めていたんだ」
味覚はある。食事をすれば舌は味を認識する。だが、それが好きか嫌いかと言う考えには至らない。痛覚もある。斬られ、刺されれば痛みを感じる。だが、それを辛いと思える感情は、もう残ってはいなかった。
「だから俺はそんな辛すぎる記憶を消して、偽りの記憶を吹き込もうとした。根本的な解決にはならなくても、俺はセシリアにもう一度笑って欲しかったんだ。だがそれも、とても成功とは呼べなかった……」
レイはここに来て気がかりを感じた。
ここまでのウィブロンの話には、以前セシリアが語った過去とはいくつか食い違う点が存在する。まず彼女はウィブロンを実の兄であるかのように語っていたが、ウィブロンの話の中のセシリアは彼が実の兄では無い事を認識している。
そしてネフィリムという苗字。これはセシリアのもう一つの人格の名だったはずだ。
しかし、この推測が正しければ、それで全て辻褄が合う。
だとすればまさか、自分の知るセシリアは……
「俺の吹き込んだ記憶が、もう一人のセシリアを生んでしまった。辛い過去なんて無い、俺の事を兄だと思い込むもう一つの人格がな」
やはり、そうだった。
自分達が知るセシリアは……主人格ではなかった。
主人格は……
「セシリアの中にいる、もう一人のあいつを見た事はあるか?」
――レイの脳裏を掠めた一人の少女。底冷えするような冷気の中心に立ち、身の丈よりも大きな鎌を握った死神のようなセシリア――
「そっちが本来の人格だ」
全ての感情が欠落したようなもう一人のセシリア……あのネフィリムこそが、セシリアの主人格だった。




