夏休み
闇に飲まれたと思っていた視界が、今度は赤に染まった。辺りは夕陽で赤く染まっている。
何故か自分は笑っている、ようだった。
辺りを染めるのはまた別の赤。
見渡す限りの赤、赤、赤。
眼の前で誰かが泣いている。その涙が赤く見えたのは、夕日のせいか、それとも……
火の国、フェルヘイズは夏の盛りであった。灼熱の太陽が容赦なく国中に照り付け、国民の体力を根こそぎ奪い去る。そんな昼下がり、国立学校で行われた一学期末の試験が終了した。
夏休みが迫る中、教員達が成績を付けるため学校は午前中で放課となる。そして殆どの部活動はその空いた午後の時間を活動時間に利用していた。
当然その中には、治安維持部も例外なく含まれる。
「夏はやっぱりアイスが食べたいわよね」
「ああ、今日は特に暑いからな」
珍しくベルリッツに同意するジオス。というのも、原因はこの暑さにある。
猛暑の中、校内の見回りを済ませた治安維持部員はベルリッツが用意したよく冷えたアイスクリームを口にしていた。
季節も季節ということでポニーテールを切り落としたレイを始め、皆この気候に合わせて夏らしい服装に衣替えをしいた。
「どうした一年坊、速く食わねぇと溶けちまうぞ」
呆けたような表情のイーノから、フェーゴがアイスクリームを奪い取る。
「あ、返して下さい!」
因みにイーノが何故呆けていたかと言うと、先日出くわしたあの銀髪の男の事を思い出していたからだ。イーノはちらり、とレイを見る。
「……?」
視線に気づいて首を傾げるレイ。やはり似ている。
レイの親族だろうか。しかしその男が口にしたのはセシリアの名だった。
結局、彼の言葉はまだセシリアに伝えていない。
「あの、セシリ……」
「レイはいるか?」
やはり言うべきだ、とイーノがセシリアに話しかけようとしたのと同時に、部室にクオンが乱入した。こんなにも暑いというのに汗一つかかずいつもの赤いロングコートを着用している。
「あらイスルギさん。アイス食べる?」
「頂戴する」
ベルリッツからアイスクリームを受け取ったクオンは自らに定められた席に座った。
「レイ、来週は水の国に行くぞ」
「へ?」
「来週は水の国に行く。旅支度をしておけ」
それはあまりにも唐突だった。クオンの口から飛び出した水の国というのは、大陸では最北端位置する国、ヴィルヘイズの事だった。
そこは技術力が非常に発達しており、フェルヘイズで使われる兵器の類いも殆どがヴィルヘイズ製だ。
反面、国土全体が極寒の地というその気候が災いしてか兵力には乏しく、技術力と軍事力が反比例する形となる。
「ヴィルヘイズなんて、いきなり言われても……」
彼女の言い分はこうだ。
今日クオンがギルドに行くと、ヴィルヘイズ支部からクオンに指名した依頼が届いていた。依頼人は医師の男性。その内容は、最近見つかった廃墟の調査に同行し、彼を護衛するというものだった。
更に、その廃墟の付近ではヒドゥンマスのシンボルを着けた魔物が徘徊しているという。
「そりゃギルドも食らいつくわけだ」
「うむ、そして依頼人は私以外にも人員が欲しいとの事だった」
「それで“赤い牙”は俺をご指名って事か」
「……まあ、そうなる」
少し間を置いて答えたクオンは、そのまま部室を去ろうとする。
「あ、待って下さい」
しかしそこで、セシリアがクオンを呼び止めた。彼女もまた長袖のままの姿で、端から見れば我慢大会でもしているのかとさえ思える。
「私も……行っていいですか? 実は私、ヴィルヘイズ出身なんです」
「構わん、人手は多くても問題なかろう」
「ちょっと待って」
クオンは再び去ろうとするが、今度はベルリッツが口を挟む。
「それ、みんなで行きましょう」
「は?」
ヴィルヘイズに行くという話自体かなり唐突だったが、ベルリッツも大概だ。
「あのな部長さんよ、俺らは仮にも学校の治安を維持する部活なんだよな?」
「仮じゃないけどね」
「ならよ、その俺らが全員学校を離れるってのぁ、いくらなんでもヤバいんじゃねぇか?」
フェーゴにしては珍しく論理的な意見だ。その言い分は勿論、ベルリッツも含め部室内の全員が理解していた。
しかし、ベルリッツ・ノヴァがこの程度で止まる筈もなく……
「若くんにも一理あるけど、私がしたいのは強化合宿よ。厳しい環境の中でも決して折れない心を身に付ける訓練なの、これは」
「……姉さんはヴィルヘイズを観光したいだけじゃないのか……?」
どう考えてもこじつけとしか思えないベルリッツの強化合宿。しかし校内の問題が激減している今、治安維持部には抑止力としての役割こそあれど、ほんの数日学校を離れたくらいではあまり校内の風紀に変化は起こらないのかもしれない。
「よっしゃ、そうと決まれば旅支度だ。飛行艇は軍用で賄っといてやるよ」
フェーゴが早速ヴィルヘイズへの旅に意気込みを見せたその刹那、再び部室の扉を開ける音がした。
「若君はいるか?」
見ればそこにいたのは、22ホームルームの担任、アベル・ゼプター教員(三十二歳独身)だった。
「おう独身」
「あのな……僕にはアベルっていう名前があるんだ。先生をそんな風に呼ぶんじゃない」
独身については敢えて触れなかったゼプター教員はそのまま部室に来た要件を伝える。
「若君、君、赤点で来週まで補修だ」
「な!?」
「仕方ないだろ。筆記試験で気合いとか根性とか書かれても、点数はあげられないからな」
ゼプターの担当教科は魔術基礎。フェーゴも選択していた教科だが、その筆記試験の結果は惨澹たるものだった。
普段はほぼ直観に近い形で魔術を使う彼はその知識が著しく乏しい。その結果、答案用紙はその場の感情に基づいて書いたような回答ばかりで埋め尽くされていた。
「因みに国王陛下にこの事をお伝えしたら、急遽予定をキャンセルしてこちらにいらっしゃるそうだから、教室で三者面談をしようか」
「げっ……親父が?」
一国の王が息子の赤点の為に予定を取りやめるのは考えものだが、元をだだせば一国の王子であるフェーゴが赤点を取るなどという失態を犯したからである。
父王、プロクスは名君であると共に有能な騎士としても名を馳せた。国民を思う情熱はその子供達にも変わらず注がれる事になり、彼をこの様な暴挙に駆り立てたのだ。
「なあ先生、来週はみんなでヴィルヘイズに行くんだ。勘弁してくれよ……」
「それは赤点が解消されてからな」
フェーゴの要求は到底無理な相談であり、当然の事ながら却下される。
「一年のイーノ・プラッツとセシリア・マクスウェルっていう生徒は……ここにいたのか。君たちは優秀だったぞ。ヴェナブルズも頑張ったな。次はもっと上を目指そうか」
部内で魔術基礎を受けている者は、みな彼が受け持っていたらしい。
「にしてもヴィルヘイズなんて寒い所、何しに行くんだい? 冒険者だった僕が言うのもナンだけど、あまり無茶はするんじゃないよ」
最後にそれだけ言うとゼプターは退室していった。
「若くん、ご愁傷様」
「チクショー!」
一人地元に残る事が決まったフェーゴの、悲痛な慟哭が部室内に木魂した。
アベル「昔は冒険者だった。膝に矢を受けてしまって……」
部長「誰かにスイートロールを盗まれたのね」




