第一章 国境伯の娘
ソフィア・スチュアートは、王都から遠く離れた国境の地で育った。
父ウィリアム・スチュアートは三十九歳。爵位は伯爵である。
ただし、モリア王国に二十ある伯爵家の一つと考えると、スチュアート家の実態を大きく見誤ることになる。
スチュアート家は、もともと隣国エイコ連合王国に属していた大領主だった。
国境線の変化と長い交渉の末にモリア王国へ帰順したのだが、その際に領地を細分化されることもなく、ほぼそのままの勢力を維持している。
その領土は、モリア王国のおよそ五分の一。
王国内に存在する二十の伯爵家の領地をすべて合わせたものに近く、王家直轄領にも匹敵する。
つまりウィリアムは伯爵を名乗っているが、軍事的にも経済的にも、並の公爵家よりはるかに大きな力を持っていた。
そんな家の当主でありながら、ウィリアム本人は温和な男だった。
モリア王家と争うつもりはない。
むしろ国境を預かる者だからこそ、王家との関係を良好に保ち、国を安定させなければならないと考えている。
その考え方は娘の教育にも表れていた。
ソフィアは貴族令嬢として必要な礼儀作法を一通り学んでいる。
王都の宮廷へ出ても困らない。
ダンスもできる。
刺繍も、一応できる。
だが、本人が好んだのは別のものだった。
剣である。
広大な国境領を守るスチュアート家では、女性であっても最低限の護身術を身につけることは珍しくない。
ソフィアの場合、その最低限をかなり早い段階で通過してしまった。
背が高かった。
体格にも恵まれた。
姿勢が良く、足腰が強い。
そして何より本人が剣を振ることを好んだ。
十三歳の時には狩りの途中で熊と遭遇した。
護衛が駆けつける前に、自分で仕留めている。
それ以降、父は娘に、
「お前は伯爵令嬢なのだから、熊と戦う前に人を呼びなさい」
と教えるようになった。
ソフィアも素直に頷いた。
「次からそうします」
反省しているように見えた。
ただし、
「勝てると思ったので」
という一言が後に続いたため、ウィリアムは頭を抱えた。
そんな娘が十四歳になった年。
王家から正式な婚姻の申し入れが届いた。
相手は第一王子ダニエル・モリア。
十九歳。
将来、モリア王国を継ぐ可能性が最も高い青年だった。
政治的な意味は明白だった。
スチュアート家はモリア王国へ帰順している。
だが、あまりにも大きい。
領土だけで国土の五分の一。
国境軍も持っている。
その気になれば、隣国エイコ連合王国と再び手を結ぶことさえ理屈の上では可能だった。
だからこそ王家とスチュアート家の間に血縁を作る。
スチュアート家としても、娘を次代の王妃にすることで臣従の意思を明確に示せる。
双方に利益がある政略結婚だった。
問題があるとすれば、ソフィアがまだ十四歳だったことである。
モリア王国では十六歳を成人とする。
貴族の場合、婚約だけ先に結び、成人してから正式に婚姻する方が一般的だった。
父ウィリアムもそこを心配した。
「断ることもできるぞ」
「なぜです?」
「お前はまだ十四だ」
「二年後には十六です」
「そういう問題ではないのだが……」
父の心配とは反対に、ソフィアは乗り気だった。
政略結婚であることは理解している。
自分が嫁ぐことで、スチュアート家と王家の関係が安定する。
領民にとっても悪い話ではない。
それなら、きちんと王子妃を務めればいい。
ソフィアはそう考えた。
何より、結婚というものにも少なからず憧れがあった。
王子と仲良くなれるかもしれない。
やがて家族を作ることもできる。
十四歳の少女としては、それなりに期待していたのである。
こうしてソフィア・スチュアートは、生まれ育った国境の地を離れた。
王都へ向かう馬車の中で、彼女はこれから始まる生活について考えていた。
王子妃。
いずれは王太子妃。
もしかすると、将来は王妃になる。
責任は重い。
それでも、やるからにはきちんとやろうと思った。
この時のソフィアは、自分の最初の結婚生活が一日も続かないとは考えていなかった。




