第50話 黄金の祝宴
帝国首都星。
夜の帳が下りても、この星の灯りが消えることはない。
下層から上層に至るまで、無数の高層ビル群が宝石箱をひっくり返したような輝きを放っている。
その中で、一際高く、そして燦然と輝く摩天楼があった。
「グランド・セントラル・ホテル」
一泊の料金が庶民の年収に匹敵する、銀河帝国最高峰の超高級ホテルである。
その最上層、ドーム型の巨大宴会会場「天上の庭」。
ここは、帝都にある数多の会場の中でも別格の存在だった。
金さえ積めば誰でも借りられる場所ではない。
ここは、格式ある貴族同士の結婚式にしか使用が許可されない、選ばれし者たちのための聖域なのだ。
その内装は、まさに「天上の庭」の名にふさわしい。
天井には、本物のダイヤモンドと希少鉱石で描かれた人工の星空が瞬き、壁面には銀河の辺境でしか採れない発光クリスタルの柱が立ち並ぶ。
床には、歩くたびに波紋のように光る特殊なホログラム・カーペットが敷き詰められ、空調には微かな香木の香りが漂う。
そのあまりの絢爛豪華さは、贅沢に慣れきり、目が肥えすぎた帝国首都星の貴族たちですら、足を踏み入れれば感嘆のため息を漏らし、圧倒されるほどだという。
そんな、本来であれば平民が一生目にすることすらない雲上の楽園が、今夜は異様な熱気に包まれていた。
「……夢じゃないよな?」
「ああ、頬をつねってみろ。痛ければ夢じゃない」
会場に集められた1万5000人の男女は、呆然と周囲を見渡していた。
彼らは皆、先ほどの「地獄のシミュレーター試験」を生き残った猛者たちだ。
数時間前まではモニターにかじりつき、脳が焼き切れるほどの演算と決断を繰り返していた。疲労困憊のはずだった。
だが、今の彼らの目には、疲労を吹き飛ばすほどの驚愕と感動が宿っていた。
視界に入るすべてが輝いている。
純金の食器、クリスタルのシャンデリア、そして会場の中央には、どこまでも続く長いテーブルが配置されている。
そこに並べられた料理の数々。
「これ……本物の肉か?」
「合成タンパクじゃない……。牛だ、本物の肉のステーキだ!」
「野菜も見てみろ!工場生産じゃない『土』で育った天然野菜だぞ!」
3等民の大商人ですら、一生に一度、孫の結婚式で口にできるかどうかというレベルの「有機食品」。
それが、食べきれないほどの山となって積まれている。
芳醇なソースの香り、新鮮な果実の甘い匂い。
それだけで、彼らの空腹中枢は限界を突破していた。
ざわめきが広がる中、会場奥のステージにスポットライトが集中した。
光の中に現れたのは、黒の礼服を着崩した男。
彼らの新しい主、クロウ・フォン・フライハイト勇爵だ。
その横には、銀髪の美しいメイド、シズが控えている。
クロウはマイクを手に取り、ニヤリと笑った。
「よう、生存者諸君。地獄の釜の底から、よくぞ這い上がってきたな」
会場が静まり返る。
全員が、この若き英雄の言葉を逃すまいと耳を傾けた。
「本当は、この後に3次試験として面接をやる予定だったんだが……予定変更だ」
クロウは会場を見渡した。
「お前らがシミュレーターで見せた執念、狡猾さ、そして数字への執着。それらをしっかりと見させてもらった。あれ以上のテストは無意味だ。お前らの類まれな才能は、すでに証明されている」
クロウは高らかに宣言した。
「よって、試験は終了とする!ここにいる1万5000名、全員合格だ!」
一瞬の静寂の後、爆発のような歓声が上がった。
抱き合う者、ガッツポーズをする者、中にはその場に泣き崩れる者もいた。
「今日は思いっきり楽しむといい。酒も料理も、腐るほどある。全て俺の奢りだ。食って、飲んで、英気を養え。明日からは忙しくなるぞ」
クロウがグラスを掲げる。
「フライハイト勇爵家に栄光あれ!」
誰かが叫んだ。
それは連鎖し、巨大な奔流となって会場を震わせた。
「「「フライハイト勇爵万歳!!」」」
「「「閣下万歳!!」」」
彼らの叫びは、単なる社交辞令ではなかった。
それは魂の底からの叫びだった。
彼らは皆、才能がありながらも、身分という壁に阻まれ、無能な貴族たちに搾取されてきた者たちだ。
ある者は優れた計算能力を持ちながら、主人の横領の尻拭いをさせられ、ある者は画期的な商法を思いつきながら、「前例がない」と潰されてきた。
その屈辱。
その無念。
それが今、報われたのだ。
実力だけを見てくれる主君。
結果を出せば、それに見合う対価と地位を与えてくれる主君。
彼らにとって、クロウは単なる雇用主ではなく、人生を救ってくれた救世主に他ならなかった。
パーティーが始まった。
立食形式の会場は、すぐに熱心な議論と挨拶の場へと変わっていった。
「君はあの疫病イベントをどう処理したんだ?」
「ああ、感染者を隔離して労働キャンプに入れ、その労働力でワクチン工場を作らせたんだ」
「なるほど、非情だが効率的だ。私は逆に、隣国から高利で金を借りて……」
これから同じ「代官」として、あるいは「ライバル」として切磋琢磨することになる者同士。
彼らの会話は高度で、野心的で、そして何より楽しそうだった。
クロウはグラスを片手に、そんな会場をゆっくりと散策し始めた。
シズが影のように寄り添い、その後ろには数体の戦闘用ドロイドが無言の威圧感を放ちながら追従する。
「いい顔をしているな」
クロウが呟く。
「はい。先ほどまでの悲壮感は消え、今は『これから何をやってやろうか』という野心に満ちています」
「そういう奴らが欲しかったんだ。死んだ魚のような目をしたイエスマンはいらん」
クロウが歩くと、人々は自然と道を開け、最敬礼で迎えた。
クロウは一人一人に軽く頷き、時折声をかけながら、会場の奥へと進んでいく。
目指す場所は、一際大きな人だかりができているエリアだ。
その中心にいたのは、一人の若い女性だった。
年は20代前半だろうか。
栗色の髪をアップにし、貸衣装だろうか、少しサイズの合っていないドレスを着ているが、その立ち振る舞いはすでに女王の風格を漂わせていた。
周囲の男たちが、彼女の話に熱心に聞き入っている。
クロウが近づくと、彼女はすぐに気づき、会話を中断して優雅に振り返った。
そして、流れるような動作でカーテシーを行った。
「初めまして、勇爵閣下。私の名前はビアンカと申します。以後、お見知り置きを」
澄んだ声だった。
だが、その瞳の奥には、計算高い商人の光が宿っている。
「ああ、知っているよ。シミュレーターのログを見た」
クロウは彼女を見下ろし、ニヤリと笑った。
「試験1位、おめでとう。まさか開始早々、全財産をはたいて港を作り、フライハイト家との貿易ルートを勝手に作るとはな。俺の威光とドロイドを利用してボロ儲け……いい度胸だが、気に入った」
周囲の合格者たちが息を呑む。
試験官である主君を利用するなど、不敬と取られかねない行為だ。
だが、ビアンカは顔色一つ変えず、艶やかな笑みを浮かべた。
「恐縮です。閣下の名声と製品は、銀河で最も信頼できる『通貨』でございますから。利用できる資源は、親でも神でも、そして主君でも利用するのが、商人の流儀かと」
「ハハッ!言ってくれる!」
クロウは愉快そうに笑った。
「その流儀、忘れるなよ。これからはシミュレーターじゃない。現実の宇宙だ。俺の名前を使って、もっと派手に暴れてみせろ。責任は俺が取る」
「御意に。閣下の投資に見合うだけの利益を、必ずや献上いたします」
ビアンカは深く頭を下げた。
その姿を見て、周囲の者たちも改めて悟った。
この主君の下では、遠慮は無用なのだと。
結果さえ出せば、どんな手段も肯定されるのだと。
クロウは会場を一通り回り、参加者たちの顔と名前、そしてその熱気を肌で感じ取った。
そして再びステージに上がると、マイクを握った。
「さて、宴もたけなわだが、明日のスケジュールを伝えておく」
クロウの声に、会場が再び静まる。
「本日は、このままこのホテルに宿泊してもらう。もちろん、全員スイートルームだ」
おおっ、とどよめきが起きる。
一生に一度泊まれるかどうかの部屋だ。
「そして明日、朝一番で移動する」
「移動?ノルド・ステーションへですか?」
誰かが尋ねた。
クロウは悪戯っ子のような笑みを浮かべて首を振った。
「いや、まだだ。お前らはまだ『平民』のままだろう?フライハイト家の代官として赴任するには、箔が必要だ」
クロウは帝都の中心部、皇宮の隣にある役所の方角を指差した。
「明日は、いよいよ『紋章管理院』に全員で押しかける。そこでお前ら1万5000人全員分の貴族登録を行う!」
会場がざわめく。
紋章管理院。
貴族の家系図や爵位を管理する、帝国で最も格式高く、そして最も融通の利かないお役所だ。
「1万5000人の新規登録だ。しかも全員、平民からの男爵叙爵。前代未聞の事務処理量になるだろうな」
クロウは楽しげに言った。
「あのすました顔で『伝統が』とか『格式が』とか言ってる役人共を、書類の山で埋め尽くして、登録業務で忙殺してやらんとな!悲鳴を上げさせてやるんだ、合法的にな!」
その言葉の意味を理解した瞬間、会場から爆笑が湧き起こった。
「あははは!それはいい!」
「紋章管理院の連中が泡を吹く顔が見ものですな!」
「書類の不備がないよう、完璧に仕上げて叩きつけてやりましょう!」
彼らもまた、帝国の役人(法衣貴族)には煮え湯を飲まされてきた経験がある。
窓口でのたらい回し、平民に対する露骨な蔑視。
それに対する、これ以上ない痛快な復讐だ。
会場にいる全員が笑っていた。
それは、これから始まる「フライハイト旋風」の前触れだった。
明日、帝国の行政機能の一部が麻痺するほどの衝撃が走ることを、彼らはまだ知る由もなかったが、その予感だけで彼らは酔いしれることができた。
高位貴族たちの結婚式にしか使われないはずの神聖な「天上の庭」で、平民たちの野太い歓声が響き渡る。
それはまさに、古い時代の終わりと、新しい時代の始まりを告げるファンファーレのようだった。




