第七十二話 糸
「これは………」
私は精霊さんから差し出された一本の白い糸を手に取る。
細く、キラキラと輝き、僅かな風になびく糸。
精霊さんが髪留めになった時に、髪を束ねていた糸。
それは、あの魔獣……… フェンリルの体毛だった。
「あのダレフさん……… この糸は使えま……… いえ、この糸を使ってください」
私は精霊さんから渡された糸……… フェンリルの体毛をダレフさんに手渡す。
それを手に取りジッと見つめるダレフさんの姿に驚きの表情が浮かぶ。
「嬢ちゃ……… いや、精霊使いどの、これをどこで………」
「えっと……… 精霊さんから………」
急にダレフさんの話し方が変わった事に少し身を引いて構えてしまう。
やはり、渡したものに問題があったのだろうか?
だけど今は、そんな事よりもリュトの容体の方が心配だ。
フェンリルに出会った事を、今ここで話をするとややこしくなるから、話す必要はないはずだし、話すつもりも無い。
それに既に精霊さんの持ち物だから嘘は言ってない。
「なんだいダレフさん、使えないのかい?」
私とのやりとりに気をヤキモキさせたシェランさんがダレフさんに、せかす感じで問いかける。
「い、いや。大丈夫だろう。すぐ取り掛かる」
シェランさんの剣幕に押されてか、ダレフさんはやや慌てた素振りで懐から小さな箱を取り出すと、その中から曲がった針と片目の眼鏡を取り出した。
そして眼鏡をかけると、素早く針に糸を通す。
そしてリュトに向き合った。
そのとき精霊さんがリュトの傷口に近づき、怪我の箇所を照らしてくれる。
酷い………
思わず目を背けたくなる………
「精霊使いどの、休まれてもいいですぞ」
治療に取り掛かったダレフさんはそう言うが、出来るはずがない、リュトは私のせいで怪我をしたのだ。
「いえ! 大丈夫です!」
気を抜けば気絶しそう、だけど気なんか抜けるはずがない。
私は自身に叱咤して、ダレフさんの治療の様子を見ていた。
「(水を用意して、汗を拭ってあげて)」
精霊さんが私に語りかける。
そうだ!私は立って見ているだけしか出来ないわけではない!
気付かない自分を情けないと思う、だけどその気持ちまでも、いまは邪魔だ。
湧き出てこようとしていたものを飲み込むと、私はポーチからハンカチを取り出すと同時に、水球を作る。
そしてダレフさんの傍に立ち、ダレフさんの汗を拭った。
ーーそれからどれくらい時間が経ったのだろう。
カランとした音を立て、空になった小瓶が地面の上で転がる。
「これで大丈夫じゃろう」
深い、安堵のため息とともにダレフさんが言う。
それを聞くと同時に私の足がカクンと折れ曲がり、地面にペタンと尻もちをついてしまう。
「精霊使いどの!」
その様子を見てダレフさんが慌てて声を掛けるけど、私はすぐに片手を出して言ったんだ。
「だ、大丈夫です!」
ーーだって、ダレフさんの目の前に、ちょっと霞んでよく見えないけど、子供のような寝息を立てるリュトの姿が見えたから……… しかたがないよ。




