011000_人間の定義【Human definition】
色々と調査が始まった食堂を離れた瑠璃川は、学校から駅を挟んで反対側の『UNITY』本社ビルに向かった。恐らく、これから長い間を拘束されるのではないかと思いながらも、幾重の会議が待つビルに歩いていく。
「なんで、今日なのかしら。理解できないわ」
駅に向かう道の中でも最も高く辺りを見渡せるルートに、何となくの気分でその道を選んだ。少しだけ遠くなるように感じることが出来るから、そんな理由だったのかもしれない。実際に遠回りだ。
大体、瑠璃川のしたことは情報通信の問題点を的確に突き、新しい暗号を作っただけだ。正確にはその暗号でさえも一瞬で解読できる、量子コンピューターを作った訳だが。
つまり、瑠璃川がわざわざ会議に出席して今後の会社の方針について考えなくとも、気分次第で世界に混乱を呼ぶことがのだ。それを考えれば、会社の安定など瑠璃川には関係の無いことなのだ。
「私って何がしたいのかな……。みんなの記憶を守るって誓ったけれど、全然駄目じゃない。記憶だけじゃなくて、意思とか生命も必要だったのね。」
地上から数十メートル、相模湾の見える『天空回廊』と呼ばれる通路で、瑠璃川は立ち止まった。一度に二人も意識不明となったからか、海を見ながら感傷に浸っていた。
四角いチューブ状の構造物は全く人気がない。好き好んでここを通る人はいないが、駅から競技場に行くには最も近い。今週末の様な、大勢が来校する日でない限り、通路からの景色を邪魔するものはいない。
「ここは沈んでいるわね。下は忙しいうえに大騒ぎ。耳が落ち着かないわ」
瑠璃川は真下を見つめて言った。
「私、この街で生きている人のために、難題を解かなければならないのね」
少しだけ、下で活動している人を観察した瑠璃川は、駅の方向に向かって歩き出した。『コーン……コーン……』という長い感覚の足音が響く。
「今、起きていることが特異点と関係があるなら、この先は相当忙しくなるのね。今回なんてまだまだ安全な方だったりしてね……」
「そう、そうかもね」
「なっ!? 誰だ!」
突然、背後から瑠璃川の独り言に、相槌を打つ声が聞こえた。一本道の通路で幅は三メートル程。落ち込んで俯きながら、とぼとぼと歩いていた瑠璃川の視界に写らなくてもおかしくはない。
「三上よ、三上クラウディア。驚くなんて、らしくないわね」
「なんだ、三上か。確かに、らしくないわ」
瑠璃川が三上の方を見ると、北の方角ーー山の方を見ていた。北の方角には山と木々が迫っていて、妙に圧迫感があった。
「三上さんは忙しくないのかしら。あなた、生徒会長でしょ」
「ええ、忙しくってもう、楽しくなっちゃったから、頭を冷やしに来たの。ここ、私のお薦め」
三上は床に置いてあった紙袋から、天狗煎餅と缶に入った足柄茶を出した。左手に天狗煎餅を持つと、空いた右手で缶を放り投げた。そして、煎餅の封を破る。
放り出された缶を瑠璃川は上手くキャッチした。缶の真ん中が酷く凹んでいるのを見ると、粗悪品を安く買ったのではと思いたくなる。
「あ、有り難う……」
「いいって、話し相手を捕まえる口実だからさ。時間を無駄にしながら、ぼーっとするのもいいでしょ」
「いや、時間の無駄は好きじゃないんだが……」
そんな瑠璃川の言葉を無視して、三上はボリボリと音をたてて食べる。床に破片が幾つか落ちているが、全く気にする様子はない。
瑠璃川もこの場から立ち去るのが面倒になって、缶のキャップを回してお茶を飲む。
「この場所って良いところよね。森と街と海が同時に見れて」
「そんな場所、幾らでもあるじゃない」
「まぁ、そうだけどね。海から生命が地上に出て、森と共に生きた。森で誕生した人間は森を出て、街を築き、宇宙へと向かってる。そんな因果律があるのかしら」
三上は煎餅を食べる手を止め、森の方を見ていた。南から光が差し込むが、白っぽい銀髪が光るだけで、その表情は見えなかった。
今の時代は宇宙へと向かう直前。人間が宇宙で生まれ宇宙で死を迎える時代が来るまであと数世紀だ。
少しばかり瑠璃川が考えていると、三上がこちらに振り向いていた。動いてすぐだったのか、長いツインテールが揺れていた。
「ねぇ、瑠璃川さん。人間が必要なのは、生命、意識、記憶、かしら?」
「な、なによ。突然」
「今、人間が作れるのは生命と記憶。パソコンで言う装置とデータかしら。残すはOSだけね」
そこまでを三上は淡々と話す。
「OSが完成すれば、人間は永遠の命を手に入れることが出来る。そうでしょう?」
「不可能よ! そんなこと出来る訳がない」
瑠璃川は強く言った。突然の内容に驚いてはいたが、三上の言ったことはあまりにも苛立った。
人間が幾らでも作れるのなら、命の価値が無に等しくなる。つまりは、人間が人間でなくなっていくので、人間が絶滅することと同意だ。
「それは、絶対に進んではいけない道よ。何があっても、三つを揃えてはいけないのよ」
「だったら、三つを持っていない物は、人間ではないのね?」
「それは……。人間、よ。絶対に」
正直、三上が何をしたいのか、全くわからない。瑠璃川の揚げ足を取っているようだが、実は違う。瑠璃川自信も、人間の定義が決まっていないことを知っていて、よくわからないのが現状だ。
三上はそれを利用して瑠璃川に何かを暗示しているようだが、いまいち瑠璃川には理解できない。
「二人。意識不明だけど、どうするのかしらね」
「回復を待つ。それしかないわ。……って、まさか意識を植え付けろとでも言いたいのかしら」
「そのまさかよ♪ オリジナルからデータを抜けば、永遠に復活のチャンスがあるわ。オリジナルが朽ちて無くなっても」
このとき、瑠璃川は三上を怖いと思った。考えが酷いと言うか、遠く未来を見すぎている気がする。確かに、確実に救う方法なのだが、時間がかかりすぎる。
「三上さん……。流石に無理があるわ。やっぱり不可能よ」
「解ってるわよ。一つの可能性の道の話」
三上は笑顔で瑠璃川に言った。さっきのことは本心じゃないと分かるような、とびきりの笑顔で笑っていた。
「最後に、さ。私達は命を狙われてるみたいね」
「いつものことじゃない」
「そうじゃなくて! 神楽坂とか、ほむらんとか……私達の交遊関係にある人も狙われてるわよ」
瑠璃川は自分自身が狙われることは慣れているが、友達が狙われることは慣れていない。自分の身を守るのが精一杯で、守れないかもしれない。友達を助けるために、自分がやられるかもしれない。
経験したことのない状況には弱いのは当然で、とてつもなく不安になる。しかし、瑠璃川は言った。
「私は誓ったのよ! 誰一人悲しませないと」
「うん! こっちの方が瑠璃川さんらしいわ」




