010001_あの日の決意【Determination of that day】
月見里とほむらが閉じ込められる少し前、食堂にいる四人はこんな話をした。
「てか、何だって二年前のことなんか……」
「なによ、神楽坂。文句でもあるの?」
「い、いえぇぇ……何も」
二年前―― 神楽坂はこの事に引っかかっていた。
世界で三つしか無い、この街のような技術的先進地域は敵も多い。外の世界ではこの街の高い技術は金よりも高値で取引される。
神楽坂が知っているだけで、すでに3回は外部からの武力攻撃だった。もちろん、技術がものをいう兵器産業も、この街はトップクラス。芸能ニュースに消されるほどの出来事だった。
「実はね……」
瑠璃川はさっきまでの神楽坂をバカにしたような表情から一転、他言したら命はないと言わんばかりの、真面目な表情になった。空気が違う。
「この街、月移住計画の科学研究都市である……西湘広域学研都市は、攻撃を受けている」
「攻撃? てか何だよ、科学研究都市って……」
神楽坂は知らない。この街は学研都市と呼ばれていて、正式名称は学術研究都市とか研究学園都市とかと、誰しもがそう思う。
前例がその呼び名だからとか、そんな理由で考え付く。
誰も学研都市の『学』が学力ではなく科学とは思わない。
「そうよ。この街は科学研究都市。科学技術の研究のための街。学校はその副産物」
「攻撃って方が私が説明するかな?」
「いいえ。私に任せなさい、美佳」
「……はいぃ」
瑠璃川は周りを見て、誰かいないか確認する。
しかし、今は昼時ではない。奇妙な食堂にはそのテーブルの四人だけ。従業員はロボットで、ヒトじゃない。
「志那水さんは……寝てるのね?」
「そ、そうみたいだな」
これから話すことはそんなに知られるとマズイ事なのか、瑠璃川はいつもに増して警戒している。
逆を言えば知っているべきなのは、神楽坂と瑠璃川と美佳。あと三上グループのクラウディアも含まれるだろう。
「例によって、これから話す内容は他言無用。口外した場合は命は無いわ。あなたにはまだ仕事が残っているのだから……」
「はいはい、分かってますよ」
「そう。じゃあ一度しか言わないわよ」
次の瞬間、急に体が軽くなるような感覚がして、まるで意識を失うかの様な、そんな感じがした。
しかし、その感覚も直ぐに無くなり、気が付いたら何もない空間にいた。
何もない、と言うのは間違っているが何もない。遥か彼方、地平線の果てまで恐らく等間隔であろう線が、縦横に直行している。
いや、線ではない。少しばかり無機質なタイルと言った所か、薄い灰色の正方形が幾つも繋がっている。
天井は抜けるような黒。漆黒の、星すら見えない空だ。
明らかに先ほどまでいた、食堂ではない。
「未来ちゃーん。久方ぶりね見たけど、暗く……わっ!!」
あまりに暗くて見えなかったのか、ただ突っ立っていた神楽坂に美佳がぶつかる。
ぶつかった衝撃で二人は倒れて、体が横になるかに思える。しかし、倒れたと、体が認識した途端、90度視界が回転し、重力も下に受けているような感覚になった。
それと同時に、その世界が明るくなった。
「前にも言ったでしょ? 明るくなるまで動かないでって」
「Sorry. I don't remember it. あ……」
「え、英語⁉」
突然の英語に神楽坂は戸惑う。神楽坂の少し先、三歩程の所に、恥ずかしそうな美佳がいる。
体の前で腕をクロスさせ、少し俯きながら、足を少し動かしている様は、まさに恥ずかしいを表現している。
「ごめんなさい。ちょっと驚いて、変なの見せた見せていましたね」
「いや、別に。そういうのも個性ってか、いいんじゃない?」
神楽坂がその言葉を言ってあげると、少女は急に駆け寄って来て、神楽坂の手を取り握りしめた。
上目遣いで神楽坂を見つめながら、まるで祈ってるような真剣さで美佳は言った。
「本当⁉ 本当に、そう思ってるのですか⁉」
「……僕は個性とか人格を否定するのは、ちょっと嫌だから、それで、いいと思っただけで」
神楽坂のその言葉に、美佳は下を向いて、少しずつ手の力を抜いていき、脱力したようにぶらんと腕を伸ばした。さらに後ろに後退りする。
「神楽坂さんも皆へ優しい人なんだね……」
美佳はとても小さい声で、弱く言った。それを見た神楽坂はどうしてよいか分からず、動揺する。
「神楽坂。自分の発言には責任を持ちなさい。まぁ、私は常に大きな責任が付いて回っているけれど…… 」
「そんなつもりじゃ……」
「やはり、あなたにそこまで求めるなんて、愚か者の極みね」
「……っ。それは……うぉうぁああ!!」
神楽坂が美佳 の正面で立ち尽くして、後ろから瑠璃川が声をかけて来たかと思った。しかし、神楽坂を罵倒し終えると、軽く神楽坂の右肩を叩き、神楽坂は数十メートル先に吹っ飛ぶ。
この時、神楽坂は実感した。紛れもなくこの空間はVR技術の最たる物で、発動者――つまり瑠璃川の空間。このVR空間ではすべての物理現象が瑠璃川の思い通りになる。
所詮は意識的な世界なのだが、突飛ばしを食らえば当然痛い。だが、衝突の直前に減速してくれるだけでもやさいいのだろう。
「大丈夫? 美佳は強いでしょ?」
「……ぅん、ありがと」
瑠璃川は美佳の肩にポンと手を置いて、神楽坂に向き直る。
「さぁ、美佳に酷いこと言った神楽坂、いつまでも寝てないで話を聞きなさい!」
瑠璃川がそんなことを言いながら右腕を降り下ろすと、神楽坂は地べたに寝てる状態から、椅子に固定されたような感覚になった。
バーチャルだから、感覚が現実になっている事は明白だ。
「分かったから、分かったからこの拘束具はなんとかならないでしょうか?」
「バカね、ならないわよ」
結局、二人が落ち込んでいる中、瑠璃川は語った。
「二年前の今日、5月31日。瑠璃川氏……いや瑠璃川教授? まぁ、私の父よ。私の父が設計した量子コンピューターを使って、危険性を調べる実験をしたのよ。
そこで、トラブル……まぁ、それはしょうがないのだけれど、量子コンピューターが暴走した。仕方が無いから街の通信システムを遮断して、被害を最小限に抑えようとした。
そして、復旧してみたらサイバー攻撃を受けていたの。幸い被害は無かったけれど、次は必ず」
瑠璃川が長々と話をしている間に、神楽坂や美佳が立ち直ったのか最後はしっかり聞いていた。
「質問いいか?」
「ええ、いいわよ神楽坂」
「攻撃を受けた事実があるのは分かった。でも、どこがそんな事やるんだ? 明らかに町の外からじゃ対抗できないだろ」
椅子に縛り付けられている神楽坂の前に、瑠璃川が仁王立ちした。
「愚問ね。昔から技術的特異点については議論されてきたの。研究開発に力を入れて発展を加速しようとする推進派。コンピューターの使用をやめて、コンピューターの支配から逃れようとする抑制派。
この二つによって世界が分かれた。この街の内と外みたいにね。抑制派はこの街に三度、武力攻撃を仕掛けたわ。当然、返り討ち。
でも、あの事件でどうやらサイバー攻撃に躍起になってるらしいのよ。シナの国とか東側の国とかが協力してるって話もある」
少し離れた所にいた美佳が、神楽坂の所までやってきて座ろうとしたのか、突然椅子が現れ、それにすわった。
普通の椅子だった。
「未来ちゃん、そんなに気にしなくてもね、良いと思うよ」
「嫌よ、私はこの街を守るって決めたんだから」
瑠璃川のその言葉に神楽坂が文句をつける。
「決めたって言っても、二年前に社長になっただけだろ」
「いいえ、決めたのはもっと昔。私が初等教育を受けてる時だったわ。四年生の時、とても親しかった友人がいたの。で、高学年からは学力で転校か残留で割り振られる。私は来年も一緒にいようって約束したわ。
それなのに、駄目だった。彼女は成績が振るわなくて……
私は街の中の何処かに転校するものだと思ってた。いつでも会えると思っていた。でも違った。
町の外、何処かすら教えてくれなかった。でも、連絡先は手に入れた。だから電話とか、大きくなったら会えると思ってた」
瑠璃川の瞳がほんの少し揺らいだように見えたが、気のせいだろう。VR空間ではそんな高度な情報は再現されない。
「あの、瑠璃川さん…… この話って、長いのでしょうか?」
「……永遠にこの素晴らしいVR世界で暮らしたいのかしら?」
「……いや、どうぞ続けて」
瑠璃川が神楽坂を刺すような氷の視線で睨んだ。
怯んだ神楽坂は咄嗟に返答した。
「五年生になって、彼女が教えてくれた連絡先に電話をしたの。電話に出た、私だよ、瑠璃川だよって言ったわ。
それで……それで、彼女の声で『どちら様?』って、何度聞いても、何を言っても、私の事なんて覚えてなかった。そこから数か月は泣いて過ごしたかしら。
その数か月で、いろいろ調べてみた。転校した者がどうなるかを。それはひどかったわ。必要最低限の知識を残して、知識とすべての記憶を脳内から消された。軽く廃人のような存在。生きることしかできない存在になると。
そこから先も、友達が出来れば別れ、出来れば別れを繰り返してきた。もう、あんな風に悲しむのは嫌だった。
だから、私は今を守りたい。もう誰にも私と同じ気持ちにはさせない。そう、決めたのよ」
「……そんな、事があったのか……」
「でも、二年前の年度末。丁度あなたが試験に落ちた年、一人だけ助けられなかった。今、私がこんなつまらない事に時間を割くのは、その一人への罪滅ぼしなのかもしれないわ。その子の願いを守るためにね」
瑠璃川の瞳からは一筋の涙が流れていた。さっきの発言は訂正しよう。このVR空間は涙までも精巧に再現できる、と。
三人の間に流れる、重く、暗い空気は、グリットが広がるその空間までも暗くした。さっきと同じくらいに、暗くなった。
「あら、停電? いや、そんなはずは……」
「どうした、瑠璃川? お前が暗くしたんじゃないのか?」
「私は何も……まさか!」
右手を前に伸ばし、大きく横に瑠璃川が振ると、その周りに幾つものウィンドウが現れる。
猛烈なスピードで動いているのと、裏からで鏡文字になっているのとで、神楽坂からは全く意味が分からない。
「やはり、か。14時51分41秒。サイバー攻撃が開始」