第1回 序:異世界ものではない異世界もの
※本連載は、『無職転生』の原作完結までの筋に言及する。
『無職転生』は、なろう系異世界転生のルーツと呼ばれる。2012年に「小説家になろう」で連載が始まり、サイトの累計ランキングで5年以上にわたって1位を保持した。アニメの宣伝文句も「なろう系ラノベのパイオニア」である。
ルーツと聞けば、授かった力で魔物をなぎ倒す主人公を思い浮かべる人もいるだろう。では、ルーツの内実はどうだったか。筋を家族の出来事だけでたどり直してみると、意外なほど見慣れた光景が並ぶ。
ルーデウスがまだ幼いころ、父パウロは、母ゼニスの妊娠中に家のメイドのリーリャと関係を持ち、リーリャも身ごもる。浮気が発覚して家族会議が開かれ、幼いルーデウスは、リーリャが家から追い出されないように両親を取りなす。ルーデウスには、同じ時期に誕生した二人の妹、ノルンとアイシャができる。
やがて魔力災害が起き、フィットア領の住人は世界中に散り散りに飛ばされる。ルーデウスはエリスとともに魔大陸から故郷を目指し、旅の途中で父と再会する。ところが父は、行方の知れない妻と娘を探し続けてやつれ、酒に溺れていて、再会の場は親子の言い争いになる。
父は仲間に諭されて息子にぶつけた言葉を悔い、父と子はもう一度向き合う。
ルーデウスはエリスと結ばれるが、エリスは翌朝に姿を消す。のちにルーデウスは幼なじみのシルフィエットと結婚し、離れ離れになっていた二人の妹を新居に引き取る。
妹のノルンは、通い始めた魔法大学の寮に引きこもる。兄や妹と比べられ続けた劣等感が、引きこもりの理由である。ルーデウスは前世の自分をノルンに重ね、前世で自分を助けようとした兄の気持ちを、初めて知る。
母ゼニスは、転移迷宮の最深部で結晶に閉じ込められていた。父と子は迷宮に挑んで母を救い出すが、父はヒュドラからルーデウスを庇って死に、ルーデウスも左腕を失う。救い出された母は言葉を失った状態で、以後はリーリャが母の介護を担う。
父を失った迷宮から帰り着いたルーデウスは、シルフィエットの出産に立ち会う。ルーデウスはやがてロキシー、エリスとも結婚し、三人の妻を持つ。母の実家を訪ねれば、祖母クレアとは考え方が合わずに衝突する。
並べてみれば、どれも異世界でなくても起きる出来事である。父の浮気と異母妹、災害による一家の離散、父との衝突と和解、妹の引きこもり、親の死、親の介護、恋人との別れ、結婚と出産、母の実家との確執。週刊誌の人生相談にも、昼のドラマにも、近所の家にもありそうな、どこにでもある家族ドラマである。
なろう系のルーツは、異世界の冒険譚である前に、家族ドラマだった。
試しに、魔力災害を大地震に、魔大陸を遠い避難先に、転移迷宮を遠い町の病院に、ヒュドラを交通事故に差し替えてみる。筋はほとんど崩れない。
地方の家に、女性にだらしない父がいる。父は妻の妊娠中に住み込みの家政婦と関係を持ち、家政婦も身ごもって、家族会議が開かれる。大地震で一家は離れ離れになり、父は避難所を一つずつ訪ねて妻と娘を探しながら、酒に溺れていく。
遠い避難先から自力で戻った息子と再会しても、父は息子をねぎらえずに責めてしまう。妹は進学先の寮に引きこもり、兄は自分の引きこもり時代を思い出しながら妹と話す。行方の知れなかった母は遠い町の病院で見つかるが、迎えに行く途中で父は交通事故で死に、母は言葉を失ったまま家に戻る。
家政婦だった女性が母を介護し、母の実家の祖母とは考え方の違いから揉める。同じころ、息子は結婚し、子が誕生する。差し替えられなかったのは三人の妻を娶ったことくらいで、現世で三人の妻を娶れば重婚になる。
筋が崩れないのは、『無職転生』の家族ドラマが、異世界の仕組みに依存していないからである。魔力災害は一家を離散させるきっかけとして、ヒュドラは父を死なせるきっかけとして書かれている。
しかも、家族の問題を解決したのは魔術ではなかった。父と子を和解させたのは、言い争ったあとに、もう一度息子と話そうとした父の決意である。ノルンと向き合うときも、ルーデウスが頼ったのは魔術ではなく、兄として妹にかける言葉だった。
ノルンの引きこもりは、前世の男自身の引きこもりと同じ形をしている。前世では引きこもる側だった男が、今世では引きこもった妹を案じる兄の側に立つ。前世の男の課題は、異世界に移っても形を変えず、家族の中の課題として再び現れたのである。
魔術と戦闘は、母を結晶から救い出すことはできた。けれども、父を生き返らせることも、母に言葉を取り戻させることもできなかった。家族の問題を前にすると、異世界の魔術はほとんど役に立たない。
家族の中の課題を克服するのに、異世界という装置は要らないのである。剣と魔法の世界を舞台にしたのは、家族の問題を解くためではなかった。『無職転生』は、異世界を舞台にした家族ドラマであって、いわゆる「異世界もの」ではない。
では、異世界は何のためにあったのか。前世の男にも両親がいて、兄弟がいた。前世の男は家に引きこもり、家族との関係を修復できないまま死んでいる。
異世界が前世の男に与えたのは、二度目の人生と、もう一度の家族だけである。課題自体は、前世から持ち越されている。異世界は、課題を解く道具ではなく、課題に再び挑むための舞台にすぎない。
後続のなろう系作品は、戦闘とチート能力を引き継ぎ、人生のやり直しという主題を削り落とした、と私は見ている。後続の作品群の変化は、連載の後半で改めて考える。
異世界がなくても克服できる課題なら、『無職転生』から引き出せる教訓は一つである。現世しか与えられていない私たちも、現世で本気を出せばよい。前世の男にできなかったことは、異世界に行かなくても、ルーデウスと同じやり方でできるはずだ、という教訓である。
だが、私はこの教訓にうなずけない。
家族のもとで育ち、社会に巣立ち、生きていく過程で、なぜ人は「克服すべき」課題を背負わされなければならないのか。私が引っかかっているのは、課題を背負わされるという一点である。
人が「克服すべき」課題を最初に背負わされるのは、多くの場合、家族の中である。親の期待に応える、兄弟と比べられて劣らない、自分も家庭を持つ。ノルンが寮に引きこもったのも、兄や妹と比べられ続けたからだった。
かといって、自分の意思で生きる主体性を大事にせよ、と言いたいのではない。主体性を掲げれば、今度は「主体性を獲得する」という課題が新しく課されるだけだからだ。
では、課題を課しているのは誰なのか。社会か、親か、本人か。私の答えは、物語である。
『無職転生』のような物語は、人に「課題」とその「克服」という枠組みを強いる。物語が人を縛る力を、私は「呪縛」と呼びたい。
『無職転生』には、課題と克服の枠組みの外側にいる人物が一人だけいる。誰とも家族の関係を持たない神、ヒトガミである。本連載では、ヒトガミを手がかりに物語の呪縛を考え、最後はスピノザの哲学にたどり着く予定である。
まずは主人公の側から始めたい。ルーデウスは、異世界で本気を出して、いったい何を克服しようとしたのか。次回は、前世と今世の二つの死に方を比べることから考える。




