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22/22

22 飛んで火にいるリリア

 翌日――。


 ヴァレンシュタイン家の紋章が刻まれた豪華な馬車が、王都を離れ、アルディス領へ続く街道を軽快に駆けていた。


 窓辺へ肘をついたリリアは、流れていく景色を眺めながら上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。


 だが、その頭から昨日の出来事が消えたわけではない。


(やっぱり怪しい。)


 追い出した姉。


 教師でもないはずなのに、職員席へ隠れるように座っていたノア。


 そして何より、背後にいた自分へ気付いていなかった弟が、壇上を見つめながら口にした一言。


『ねーさん!次だよ、次!』


 あの時、ノアが呼び掛けていた”姉”は自分ではなかった。


 ならば。


「絶対、お姉様はいる……!」


 その考えへ辿り着いてからというもの、じっとしていることなどできなかった。


 向かうは弟ノアが当主を務める実家、アルディス家。姉がどれほど惨めな姿になっているのか、自分の目で確かめなければ気が済まなかった。


 ・・・


 やがて馬車は速度を落とすことなく、アルディス伯爵家の門をくぐった。


 止まり切るより早く扉を押し開けたリリアは、裾を摘まんで石畳へ飛び降りる。慌てて駆け寄ってきた使用人たちには目もくれず、その脇を当然のようにすり抜け、そのまま屋敷へ踏み込んだ。


「お姉様、いるんでしょう?」


 玄関ホールへ響いた甲高い声に、廊下を行き交っていた使用人たちが一斉に振り返る。


「え……リリア様!?」


 突然現れたアルディス家の次女に、皆が慌てて頭を下げた。だが、リリアは彼らの動揺など気にも留めず、懐かしい屋敷を見回すように顎を上げる。


「ふん。久しぶりね。それで、お姉様はどこ?」


 返事を待つつもりなど最初からなかった。リリアは勝手知ったる廊下を、靴音を高く響かせながら進んでいく。


 その時だった。


「こら!何をしている!」


 廊下の奥から、屋敷中へ響き渡るほどの怒声が飛んできた。


 聞き覚えのある声に、リリアは足を止める。


 視線の先では、ヴィクターが粗末な服を着た若いメイドを厳しく叱りつけていた。両手には食器を載せた盆を抱えているが、慣れない仕事なのか、その持ち方もどこか危なっかしい。


「そのような持ち方では、いずれ食器を落とすぞ!」


「も、申し訳ありません……!」


 メイドは身体を縮こまらせ、何度も頭を下げた。


 その光景を目にした瞬間、リリアの口元から堪え切れない笑いが漏れた。


「へぇ。」


 腕を組むと、ヴィクターを頭の先から足元までゆっくりと見回す。


「使えない執事長は、ここに拾われたの?」


 ヴィクターは静かに振り返った。リリアの姿を認めても驚いた様子は見せず、ただいつも通りの礼儀正しい一礼を返す。


「わ、若奥様……。」


「公爵家を追い出されて、今度はこんな辺境の伯爵家?」


 リリアは肩をすくめ、わざとらしくため息をついた。


「まあ、三流のあなたにはお似合いね。」


 侮辱を受けても、ヴィクターは何も言い返さなかった。表情一つ変えることなく、再び静かに頭を下げるだけだ。


 その反応が面白くなかったのか、リリアはすぐに興味を失い、辺りを見回した。


「それより、ここにお姉様がいるんでしょう?」


「お姉様、と申しますとそれは……。」


 間髪を入れず、リリアは鼻で笑った。


「とぼけても無駄よ!私には分かって――」


 そこまで言いかけたところで、言葉が止まる。


 ヴィクターの前で俯いていたメイドが、おずおずと顔を上げたからだ。


 乱れた白銀の髪。


 やつれた頬。


 見間違えるはずのない面影。


「お、お姉様?」


 呼び掛けられた女は、恥じ入るように視線を逸らした。


 身に着けているのは、地味なドレスですらない。色褪せた作業着に、飾り気のない粗末なエプロン。かつてヴァレンシュタイン公爵夫人として人々の前へ立っていた頃の気品など、見る影もなかった。


 ほんの一瞬、辺りが静まり返る。


 そして次の瞬間。


「きゃはははははっ!」


 リリアは堪え切れず、腹を抱えて笑い出した。


「なにこれ!なにこれ!」


 笑い過ぎて目尻に涙まで浮かべながら、メイド姿のサレマを指差す。


「どうなってるの!?お姉様がメイドぉ!?」


 サレマは顔を上げることもできず、惨めそうに俯いたままだった。


「ほんっと、おっかしい!」


 甲高い笑い声が廊下に響き続ける。


 その様子を横目に見ながら、ヴィクターが静かに口を開いた。


「当主ノア様のご判断にございます。魔力も枯れ、何の役にも立たぬ者を、ただ遊ばせておくわけにもいかない、と。」


 リリアは笑いを収めぬまま、視線だけをヴィクターへ向ける。


「ノア様は現在、優秀な魔導師を探すべく王都に出向いておいでです。わたくし目が監視の役割を仰せつかりました。』


 その説明を聞くなり、リリアは満足そうに何度も頷いた。


「なるほどね!これで全てつながったわ!」


 勝ち誇ったようにサレマを見下ろす。


「それにしても、お姉様ったら!女としてだけじゃなくて、魔力まで枯れ果てちゃったのね!」


 一歩近付き、わざと顔を覗き込む。


「十年ぶりに会ったお姉様から、昔感じてた嫌~な圧がきれいさっぱり消えていたもの!」


 どれだけ嘲られても、サレマは言い返さなかった。ただ粗末なエプロンの裾を握り締め、耐えるように俯いている。


 だが、やがて静かに顔を上げると一歩だけ前へ出た。


「リリア、あなたこそ。」


 思いがけない姉の反応に、リリアの笑みがわずかに止まる。


「なに?どういう意味よ?」


 すぐに表情を取り繕い、鼻を鳴らした。


「負け惜しみ?」


 サレマは答えず、リリアの全身へゆっくりと視線を滑らせた。


 豪華に見せるため、惜しみなく装飾を施したドレス。首元には大粒の宝石がいくつも並び、耳元の飾りも歩くたびに光を弾いている。


 その姿を上から下まで眺めたあと、サレマは小さく首を傾げた。


「そのドレスって……。」


「なによ。」


 わずかに間を置き、もう一度布地へ視線を落とす。


「私がレオルドに買ってもらっていたものより、ずいぶん安物になったわね。」


「なっ……!?」


 リリアの顔色が目に見えて変わった。


 自分の容姿や装いを否定されることほど、この女が嫌うものはない。サレマはそんな反応を見逃さず、まるで何気ない世間話でも続けるように口を開いた。


「レオルドの隠し鉱山も、もう枯れたのかしら。」


 言い終えたところで、自ら口元へ手を添える。


「あ……失礼。」


 本当にうっかり口を滑らせたような、白々しい微笑みだった。


 リリアの笑顔が、今度こそ完全に消えた。


「……え?」


 聞き間違いではないかと確かめるように、目を細める。


「今、なんて言ったの?」


 サレマは不思議そうに瞬きをし、そして少し困ったように笑う。


「リリアも当然知っているでしょう?」


 その言葉だけで、リリアの身体がわずかに強張った。


「当主とその”妻”だけが受け継がれる、ヴァレンシュタイン家の隠し鉱山。」


 一拍の沈黙が落ちる。


 リリアの喉が、ごくりと鳴った。


「え、まさか――。」


 思わず零れた声に、自分でもしまったと思ったのだろう。リリアはすぐに胸を張り、動揺を振り払うように声を張った。


「と……当然知ってるわよ!公爵夫人ですもの!」


 だが、わずかに裏返った声は隠しようがない。


「私はねぇ、お姉様と違って節約家なの!そんなもの、いちいち頼らなくても十分やっていけるのよ!」


 サレマは何も言わなかった。


 ただ、全てを見透かしたように小さく微笑む。


 その沈黙が、リリアには何より癪に障った。


 傍らでは、ヴィクターが初めて聞いた話であるかのように大きく目を見開いていた。


「な……なんと。公爵家にそのようなものが!?」


 驚きを噛み締めるように、わざとゆっくりと言葉を続ける。


「私めは長年ヴァレンシュタイン家へお仕えしておりましたが、そのようなお話は一度も耳にしたことがございませんでした。」


 リリアはその言葉に、救われたように口元を歪めた。


「でしょう?」


 すかさずヴィクターを指差す。


「執事長だったあんたですら知らないことよ!」


 そして、サレマへ勝ち誇った視線を向けた。


「なのに口を滑らせるなんて、それって公爵家への嫌がらせのつもり?」


 その言葉に、サレマは困惑したように眉を下げそっと視線を伏せる。


「そう……そうかもしれないわね。」


「……っ。」


 リリアは何か言い返そうと唇を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。何より、頭の中から「隠し鉱山」という言葉が離れない。


 胸の奥がざわつく。枯れ果てた姉より、今は大事なことがある。


「ふん!今日はこのくらいで勘弁してあげる!」


 振り返りざま、メイド姿のサレマへ指を突きつけた。


「あんたはここで一生、メイドでもやってればいいのよ!」


 高笑いを残し、リリアは来た時と同じように騒々しく屋敷を出ていった。


 やがて門が閉じ、遠ざかっていく馬車の音が聞こえなくなると、アルディス家にはようやく静けさが戻った。


 ヴィクターは長い間止めていた息を、ようやく吐き出す。


「っはぁぁ!奥様……お見事でございました。」


「あなたこそ、なかなかの名演技だったじゃない。」


 窓の外を眺めていたサレマは、走り去る馬車を目で追いながら小さく微笑んだ。


「ですが……。」


 ヴィクターは何度か考えるように眉を動かしたあと、どうしても腑に落ちない様子で首を傾げる。


「なぜ、リリア嬢がこれほど早くこちらへ来るとお分かりになったのですか?」


 その問いに、サレマは静かに振り返った。


「実はね。」


 話は、昨日の王族視察のあとに遡る。


 ・・・・


 ノアから届いた通信の中で、彼は珍しく気まずそうに言葉を濁していた。


『ねーさん……ごめん。折角のチャンスだったのに。』


「いいのよ、ノアは悪くないわ。」


 それでも浮かない様子のノア。


『それと、リリ姉に聞かれたかもしれない。』


 サレマが問い返すと、通信の向こうでノアは申し訳なさそうに続けた。


『リリ姉が真後ろにいるって気づかなくて……その、通信機で”ねーさん”って……。』


 ・・・・


 そこまで聞いたヴィクターは、ようやく合点がいったように腕を組んだ。


「なるほど……。」


 小さく頷きながら、頭の中で状況を整理していく。


「当主ノア様との繋がりを、リリア嬢に悟られた可能性がある、と。」


「ええ。」


 サレマは窓辺へ視線を戻した。


「ノアが誰かを『ねーさん』と呼んでいたのを聞けば、リリアが私を思い浮かべるのは当然でしょう?」


 まして、追い出した姉が生きていると疑えば、最初に向かうのは実家であるアルディス家。


「私が頼れる場所など、限られているもの……。」


 ヴィクターは感心したように息を漏らした。


「しかし……それにしても、ずいぶんとお早いご到着でございましたな。」


「ええ。」


 サレマの声は穏やかだった。


 だが、その口元には妹を知り尽くした姉だけが浮かべられる、どこか冷ややかな笑みが宿っている。


「あの子はね。」


 わずかに言葉を置き、遠ざかった馬車の行方を見つめた。


「自分だけ知らないことがあると、我慢できないのよ。」


 ・・・・


 その頃。


 アルディス家を離れた馬車の中で、リリアは膝の上に置いた両手を強く握り締めていた。


 サレマの惨めな姿を見て、笑い飛ばしたはずだった。


 魔力を失い、実家でメイド同然に扱われている姉を、この目で確かめた。それだけでも十分満足できるはずだった。


 それなのに、胸の奥に残っているのは勝利の喜びではない。


「隠し鉱山……。」


 レオルドが自分に一度も話さなかった秘密。


「ふふっ……。」


 リリアの口元がゆっくりと緩む。


「良い事聞いちゃった。」


 もう遠慮する必要なんてない。


  それだけのお金が眠っているのなら、欲しい物は全部買えばいい。馬車が王都へ近付くにつれ、リリアの頭の中は新しいドレスや宝石でいっぱいになっていた。

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