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中西茜⑦

 駐車場に車を停めて、先ほどまでの会議の内容をまとめていた。スケジュールに何をすべきかまとめないと、忘れて成果を上げられないまま一週間が終わってしまう。

 単純な営業ではないので、店舗からの依頼を済ませるだけでも充分仕事になってしまう。逆に本社からの情報を伝えるだけでも仕事になってしまうというこの仕事だけに、本社と店舗のパイプ役としてバランス感覚は求められるのだ。

 通常会議の日はそのまま勤務終了になるので、自宅近くの喫茶店でスケジュールをまとめると家に帰ってサワー一杯程度を飲んで夜を過ごしていた。飲むと気持ちも上がり、彼との電話も気軽にできた。

 今日は状況にもよるが、出来ない気がする。

 仕事に熱中する自分が好きなせいで、彼には迷惑をかけている。それなのに、仕事人間の自分はそんな気持ちにさせる彼の存在を疎ましく思うことがある。

 告白をされたとしても、受け入れたのは私自身。それなのに、彼と付き合い始めてしまったせいでストレスを抱えたと捉えるなら、私はしばらく恋愛も結婚もできないはずだ。

 経営相談員の先輩には結婚をしている方も沢山いる。ライフワークバランスの問題は先送りにしてはならないが、とにかく蓋をしてしまう自分が憎い。

 そんなことより。

 この後の話し合いに頭を巡らせる。須永さんを呼び、話を聞くことになった。二号店から加藤さんが来ているらしく、男性相手なので私と麻依ちゃんで話をせずにまずはあの二人が対応する流れになった。終わった頃に電話がかかってくる。

 会議の後に上司の森田さんと定期面談を行った。準備をしろと指示はもらっていたが、結局当日まで何も考えずに来てしまった。

「じゃあ、始めるか」

 全員が出ていった後に、森田さんはパソコンを見ながら話した。他の経営相談員には丁寧に話をしていたが、二人になると口調が緩くなる。

「お願いします」

 手帳を開き、メモを取る準備をした。面談は好きではない。後回しにしている自分自身を見つめ直さないといけないからだ。

 短髪で中肉中背。経営相談員だった頃に比べると、スーツが高級になっている。変人の異名があったので、昔の印象を消そうと所作や見た目をかなり気にしている。

「そう硬くなるなよ」

「いえ、森田さんは上司ですから」

 しばらく私の表情を見つめた。本人には話していないが、この視線が私は嫌いだ。まるで、隠しているものを丸裸にされているようで不安になる。

「面談は嫌か」

「知っていますよね。店舗の相談はしたいですが、私の話は嫌いです」

 店長の時も同じ話を何度かした。その度に、彼は同じ言葉を返した。

「わかった。要点だけ聞くから我慢しろ」

「・・・はい」

 この要点がこちらの想像よりも深いから厄介だ。森田さんは店舗からの信頼が厚い。店舗の悩みの本質を見抜き、的確な解決に導く。私も参考にしようと話を聞いたが、今の実力で理解するのは困難だった。

「じゃあ、まずは店舗の状況だな」

 簡単に店舗の改善と進捗、悩んでいる項目を伝えた。

「○○駅前店は、涼森オーナーも随分と中西を信頼しているな。ただ、辺見と仲悪いのはどうにかできないか」

 辺見さんは経営相談員の先輩で、地区で二人だけの女性相談員の一人だ。女性の少ない部署として彼女とは一緒にされることが多いが、辺見さんは私の存在を良く思っていないのが伝わってくる。

 関係が崩れた日は鮮明に覚えている。新浜さんの接客コンテストの日に、私が言い返してしまったのが原因だ。それ以来、最低限の会話しか出来ていない。

「申し訳ございません。私が報告など抜けることがありますので。そのあたりは改善しようと思います」

「その意見は辺見と同じか。立場的につらいとは思うが、変なところで敵は作るものではないぞ」

 彼女も原因が私にあるということか。言い返すつもりはないが、あの人はやはりそういう性格をしている。報告がうまく、うまくいかない理由はすべて他人にあるというのが、彼女の考え方だ。

「はい、ご迷惑をおかけします」

 あなたが言うのですか。

 ここは素直に言葉を出せない。軽く頭を下げた。

「店舗への姿勢は問題ない。ただし、もう少し報告をきちんとするように。そうしないと、まっとうな評価が出来ないからな。ところで、中西は今後のキャリアについて、何か希望はあるのか」

 嫌な時間が始まった。この会社は、すべての部門に進むには原則的に経営相談員を経由する。経営相談員として成績を収めてそのまま出世する人間もいれば、他の部門へ挑戦するものなど進路は様々だ。

 私は特に強い希望はないので、目の前にある課題に必死にしがみついていた。ただ、同期は何人か既に違う部署に異動している。私もずっとここにいられる保証はない。

「いえ、希望はありません。まずは経営相談員としての仕事をしっかり出来るようにしたいと考えています」

 翼さんの話が頭をよぎったが、言葉にはしなかった。私にはあの部署に行く明確な理由が思い浮かばない。この人がいるから異動したいというまでには考えが成熟していない。

「そうか」

 素っ気ない返事で、考え込むように私を見た。一応女性として認識はしてもらっているので、プライベートな質問は遠慮してくれているに違いない。

「結婚もまだ先ですよ。今は自分の職責に向かい合いたいのが一番の希望ですね」

 私はそこまでデリケートにとらえなくて良いので、自分から話をした。

「わかった。時間貰って申し訳なかった。最後に、一つだけ聞いていいか」

「なんでしょうか」

「今の仕事は楽しいか」

 今度は私が考え込む羽目になった。一度森田さんを見つめる。冗談でもないが、生真面目に質問をしているわけではない。私の意思を単純に知りたいという気持ちとみていいのか。軽はずみで回答する気はないが、繕う必要もなさそうだ。

「やればやるほど、嫌いになっていきます。うまくいかない日々ですし、充実していると言えば、嘘になります」

 表情を崩さず、森田さんは頷きながら聞いていた。

「でも、同時にやればやるほど熱中している自分もいます。関わった人の人生に何かしらいい影響を与えられる方法を模索して動いている時間は嫌いではないです」

 人間関係に疲れ、気持ちを伝えても拒否される経験はいくつもある。それは、相手も人間だから当たり前だ。思い通りにいかない日々をどうやって変えていけるのかを考えるのが、今の私の目の前の課題だ。麻依ちゃんにだって、私は諦めていない。彼女は必ず前に進めるはずだ。人の人生と口にするのはおこがましいのは重々承知しているが、こんな私でもその人の人生の一ページにでも登場できるのであれば、やりがいもあるというものだ。

「そうか。頑張っているようなので、安心した。じゃあ、引き続きよろしく」

 最後は口調を崩した。私は頭を下げると会議室を後にした。

 面倒だと拒絶していた面談も、自分を顧みるいい機会になった。普段は口にしない私自身の心の中を表に出せたからか、すっきりしている。

 麻依ちゃんに関係ないと言われた日は、流石に気持ちが折れた。時間を経ても中々落ち着かず、電話をもらったときも出たくないと考えたほどだ。

 想定は常にしている。嫌な提案もしなければならない。相手の成功を提案するのは、時として相手の方法や考えを曲げなければならないのだから、すべてが響きの良い話ではないのは当たり前だ。

 彼女が大切にしている北村さんの話だけに、慎重には話したつもりだ。それがあの結果になったのであれば、私の進め方に問題があったに違いない。わかっていても、やはり彼女が私を傷つけるために放った言葉が突き刺さった。

 他の店舗の重要事案があったので職務放棄も出来ず一日を過ごしたが、その日はモチベーションが下がったまま過ごした。帰り際に行きつけのラーメン屋で大盛の味噌ラーメンにチャーシューを追加して、ライスまで追加してしまった。家に帰ると猫のクッションをぎゅっと抱いたまま、メイクも落とさずに眠りについた。

 肌が荒れたら、麻依ちゃん恨むからね。

 ただでさえ、不摂生な生活をしているので肌の調子が悪い。せめて出来るケアはしようと意識しているが、行動に至っていないのは自分の問題だ。

 助手席に放っていたスマートフォンから着信音が聞こえる。

「中西です」

「遅くなりました。今終わりましたので、事務所来られますか」

 声に力がない。前回の話を気にしているのか。はたまた話が想像から外れた方向に行ったのか。どちらにしても、簡単な案件ではない。

 そこまでするのは、経営相談員の仕事ではない。

 そういう助言は多くいただく。確かに、人の管理は店舗の役割。しかし、悩み相談は私の仕事。区切りが曖昧なだけに意見が割れる中で、私はこれも自分の仕事と割り切っている。なぜなら、麻依ちゃんと前に進むと約束したのだから。

 私は仕事においては、自分の行動を格好つけている自覚がある。周囲から見れば、大それたことではない仕事だとしても、自分を奮い立たせるためにはオーバーに表現しようという意識があるからだ。

「わかりました。既に駐車場にいますので、直ぐに伺います」

 それだけ話して、電話を切った。詳細はこの後するのだから、特に長く話す必要はない。書類で散らかった車内を簡単に整理して、まとめたクリアファイルをトランクに乱雑にしまった。こういうことをするから、書類探しに時間がかかるのに、そのあたりの癖は改善できずにいる。最後に座席と猫のクッションに芳香剤をかけて車を出た。

 もう七月か。日が暮れたのにむあっとするような暑さに顔をしかめる。汗は掻きやすいタイプなので、ハンカチよりも小さなタオルを使っている。道行く人も袖が短くなっており、通年で長袖の私にはつらい時期だ。

 店内の気温差に体が軽く震えながら、事務所をノックした。

「おはようございます」

「中西さん、おはようございます」

 加藤さんが、従業員の休憩用机の前に腰を掛けていた。奥の事務所の椅子に疲れ切った表情の麻依ちゃんが座っている。

「今日会議じゃなかったの」

「会議でした。その足でここへ来ました」

 笑顔を作ると、加藤さんも表情を緩めた。

「ここまで頑張ってくれる相談員も中々いないよ。山内も感謝しろよ」

 麻依ちゃんは黙って頭を下げた。やはり前回の件を引きづっているのか、俯いている。

「いいえ、少しでもお役に立てるなら、出来ることはしたいです。それで、どうなりましたか」

 加藤さんがたたんであったパイプ椅子を準備してくれたので、私は座って鞄からバインダーを出した。

「女性相手に話しにくいこともあるけど・・・」

「私が話しますよ。加藤さんから詳細は聞きましたから」

 暗い表情のまま、麻依ちゃんがぽつりと吐き出した。

 須永さんを呼んで、二人でまずは話を始めたらしい。そこまでは計画通り。呼んだ理由を説明して、北村さんへの付きまといや束縛するような行動の有無を確認したところ、彼は態度が急変して黙ってしまった。

 言われて嫌な話なので、そういう態度も分かるが、終始不満そうな表情が気になったものの、回答をせずに黙ったままの彼に困惑したという。

「別にあなたを注意するのを目的にしているわけではなく、まずは何があったかをはっきりさせたいから」

「そうですか。じゃあ、聞いているままでいいのではないですか」

 この言い合いがしばらく続いた。北村さんへの行動の注意という点では解決の方向だが、この態度が気になってしまう。罪悪感や開き直りとは違う、何か他に事実がありそうな様子に困惑をしていた。

「なあ、須永さん何か言いたいことあるの」

 空気を変えるように、黙って聞いていた加藤さんが突っ込んだ。須永さんはしばらく加藤さんを見つめると、溜息をついて黙り込んだ。

「山内さん、一度席外せるか」

 加藤さんは訊ねた。責任者の自分が離れるのは気が引けるが、男性同士で話したいという加藤さんの意思を感じ取り、一度事務所を出た。

 二人になったタイミングで、須永さんは今回の件を加藤さんに話したとのことだ。

「確かに今まで何人かに声をかけたことはあります。でも、今回は向こうから食事誘ってきて、ホテルも向こうから誘ってきているのにおかしくないですか」

「どういうこと」

 思考が追い付かず、加藤さんはあっけにとられて質問をした。

 彼女から告白をしたのは本当の話だった。この時点で、北村さんの話にいくつか抜けている点があるのは確定したが、麻依ちゃんがいなくなったことで須永さんは彼女とのデートの内容などを細かく話し始めた。さすがに加藤さんは詳細を麻依ちゃんには話さなかったらしい。

「それでいてストーカーみたいな扱いをされたら、やっていられないですよね」

 この話が事実なら、確かにそうだ。加藤さんは麻依ちゃんともう一度話すと約束をしたうえで、職場での北村さんの距離感に注意を払うように話したそうだ。

「自分もアルバイトの学生たちには変な感情や勘違いを与えないように注意はしている。大変だけど、どこで仕事をするにも今は同じような事案はあるからな」

「女って面倒ですね」

「いや、男だろうが女だろうが、勘違いは誰にでもある。だから、人と接するうえで注意をする必要があるってこと。これからは気を付けて対応した方がいいよ」

 解決には至らなかったが、まずは職場での勤務態度への注意喚起はできた。

「そういうことですか」

 発言に困る内容のため、言葉少なに返した。

「もう一度、北村さんに話を聞くしかないよな」

「中西さん、ごめんなさい」

 力なく、麻依ちゃんは謝った。

「私に謝る話はないよ。疑われた須永さんはかわいそうだけど、山内さんがそう考えるに至った理由は共感しているから」

「この後に北村来るけど、どうしよう」

 おそらく北村さんの行動にショックを受けているのか、顔をしかめたまま俯いている。

「私の方で話をしましょうか」

 男性案件は加藤さんの力を借りたが、女性側なら私の出番だ。責任者の麻依ちゃんは北村さんへの感情が入りすぎていて、正常な判断が出来ない気がする。

「そうだな。ここは中西さんの力を借りた方がいい。自分はここで店舗へ戻ります。じゃあ、頑張れよ山内副店長」

 麻依ちゃんの背中を軽くたたくと、加藤さんは事務所を出ていった。二人きりになり、静寂が流れる。いたたまれなくなって、一度事務所を出るとミネラルウォ―ターを二人分購入すると事務所に戻った。

「麻依ちゃん、飲みなよ」

 視線がペットボトルに動いた。

「ありがとう」

 受け取ると、キャップを開けてすぐに飲んだ。喉は乾いていたようだ。

「改めて、ここ数日間、いや、数か月間すみませんでした」

 やっと目が合った。感情が分かりやすく表に出やすいので、憔悴しているのが見てわかる。嫌なことがあると顔を手でこする癖があるので、メイクが乱れていた。

「気にしないで。むしろ、こんなに一緒に頑張っていたのに、本当の悩みに気が付けなかった私にも責任があるから」

「そんな、茜ちゃんには・・・」

「麻依ちゃん、それを決めるのは私だから」

 手を握った。かなり冷たくなっている。

「麻依ちゃんの本気な気持ちを受けた時、他人でありながらも一緒に同じ景色を見たいと思った。離れた存在かもしれないけど、このお店の担当である限りは麻依ちゃんの悩みを一緒に考えていきたい」

 これが言えなかったから、気が付かないうちに溝が出来てしまっていたのだ。

 社会で理想や綺麗ごとなんて、必要のないもの。

 幼かった自分がこの数年間で気が付いた社会での知識だ。でも、麻依ちゃんとは理想を追い求めていたい。彼女の姿勢がそうさせてくれたのだ。これは会社の成績や周りの意見とは違う、自分に与えられた使命だと思っている。

「麻依ちゃんがどう思っても、私にとっては経営相談員のスタートを切れたのはこの店舗だし、麻依ちゃんが私に本音をぶつけてくれたからなの。それだけは変わらない」

 小さな手が震えている。握っている私の手の甲に、落ちてきた涙の粒がかかった。

「ありがとう・・・」

「麻依ちゃんの泣き虫」

「・・・ムカつく」

 泣いてはいるが、口元が緩んだ。

「さあ、時間はないよね。顔を洗ってきなよ。話は麻依ちゃんがしないといけないけど、困ったときは私もフォローするから」

 幼い少女のように頷いた。真面目な表情、綺麗に整った顔をしているので年齢よりも高く見られるが、彼女はまだ二十代前半。これから経験をしながら成長をしていく。

 先ほどとは違い、彼女はすっと立ち上がると二回頬を両手で叩いた。

「ありがとう、茜ちゃん」

 言い残すと、麻依ちゃんは事務所を出ていった。一人になってから、隅に隠れていた疲労感がゆっくりと姿を現す。会議の日はただでさえ情報の吸収で頭を使うので、座っているだけでも疲れる。店舗のトラブルは日を選べないので仕方ないが、本音を言えばこの日は避けたいところ。上を向いて、少し目を閉じた。

 本音をぶつけられた達成感と頭を使った疲労感で、よくわからない感情になっている。出来れば、家でゆっくりお酒を飲みたいが、まだ終わっていない。

 こういう時に、一番に彼と話したいと思わないといけないのかな。

 恋愛の相談なんて話せる友達はほとんどいない。頼れる先輩も正直変わっているので、恋愛の相談はあまりしたくない。

 切り替えろ。

 最近、余計な考えがすぐに出てくる。ここまで決めたのだから、今は仕事に集中すればいのだ。彼を愛している自分と店舗へ全力な自分は同じ中西茜だが、同じ意識の中では生きられない。うまくスイッチして生きていく必要がある。

 メイクを直した麻依ちゃんが戻ってきた。目は若干赤いが、表情は随分と明るい。

「北村に真実を話してもらう」

 ゆっくりと、麻依ちゃんは切り出した。ここまで何度も彼女を救ってきた貴重な戦力である北村さんの知りたくない真実。彼女は何かを隠したくて、今回の相談をしているはず。そうしなければ、こんなに矛盾した話は発生しない。

「そうだね。でも、なんで北村さんは事実と違う話をしたのかな」

 自分から好意を伝えた須永を付きまといと訴えて、彼の立場を危うくしたのは事実だ。それにもかかわらず、職場ではずっと一緒にいて、他の従業員からは悪評までたっている。

 現在リーダーということを踏まえれば、それが原因かもしれない。付き合ってはみたものの、彼の過剰な愛情表現が職場での立場を危うくしており、持っていた好意が消えてしまった。彼との関係を清算する方法として、麻依ちゃんの力を頼った。

「わからない。嘘をついているほどではないけど、都合のいい部分を切り取って、須永とシフトを被らないようにしようとした。若しくは厳重注意をさせて退職させようとしたのかもしれない。北村には須永の昔の話は大まかにしていたから、訴えれば私が信用するのは分かっていたはずだし」

 左手をこめかみに当てながら、思い出すように麻依ちゃんは呟いた。時刻は十九時を回り、帰宅の会社員や学生が続々と店舗に入ってきている。自動ドアのセンサーが反応してチャイムが鳴り続けていた。

「そこまで拒絶するものかな。そもそも、好きだったはずなのに」

「それだって、おかしい話だよ。今まで彼女が須永に好意を持っていたなんて聞いたことないけど。むしろ、夕方の接客を伸ばすために北村が提案した意見を、須永は受け入れないからいつも悩んでいて相談をされていたんだよね」

 麻依ちゃんは首を傾げた。その話を聞けば、違和感があって当然だ。仕事の付き合い以外でも、共通した趣味はなさそうな二人が結びつくものが考えられない。北村さんの仕事へのモチベーションを考えれば、やる気のない須永さんに好意を持つなんて想像もつかない。

「やはり、本人に聞くしかないね」

「うん、事実は話してもらいたい。仮にもリーダーとしてみんなの見本になる人間なのだから、感情に任せた発言は注意しないとね」

 まだ確証は持てないので、曖昧な言い方にとどまる。北村さんは勤務ではない日だが、麻依ちゃんが連絡をして顔を出すことになっていた。

「麻依ちゃん、大丈夫」

「いや、流石につらいよ。北村には何度も助けられたし、一番信頼している。だから、もし彼女が嘘をついていたら落ち込むよね」

 表情は落ち着いたいつものままでも、口調は弱気になっている。

「そうだよね」

 それ以上は言葉が出なかった。麻依ちゃんの気持ちもわかるので、共感する以外にはない。

 しばらく雑談をしていたところで、北村さんが現れた。大学の帰りなのか、大きな黒いリュックを背負っている。少し伸びた髪を綺麗な髪留めで結び、勤務ではないのでメイクも濃く、ピアスも付けていた。自由な行動が出来るようになる大学生だけに、しばらく会わないだけでも変化が激しい。

「おはようございます」

 いつものような、元気な挨拶。もしかしたら、ここに呼んだ内容は伝えていないのかもしれない。

「おはよう」

「中西さんも久しぶりです」

「そうだね、おはようございます」

 明るい笑顔。切れ長の目を活かしたメイクを実践しているようで、随分綺麗になった印象だ。以前はあまりおしゃれに興味を持たなかったはずなので、心境の変化でもあったのだろうか。

「今日は発注の件ですよね。久しぶりに副店長とお話しできるのは嬉しいです」

 リュックを地面に置くと、中からノートを出した。青色のノートには、○○駅前店と書かれている。

「そうなんだけど、その前にいいかな」

 静かに麻依ちゃんは切り出した。雰囲気に気付いたのか、一度北村さんは私に視線を送った。私は表情を変えないようにした。

「えっと、どうしましたか」

 麻依ちゃんのトーンが落ちたので、合わせるように彼女もトーンを落とす。麻依ちゃんは残りの水を口に含むと頷いた。

「須永と話はしました。もう一度、その件について聞かせてほしい」

 もう一度、北村さんは私に視線を送る。助けてほしいのか、私が邪魔なのか。これだけでは判断が難しい。ただ、見たことのないくらいクシャッとなった表情で俯いた。

「副店長を信頼して話した内容です。ここでは・・・」

「大事な話だから、周りに広めるつもりはないの。中西さんは私のパートナーで、一緒に解決を手伝ってくれる信頼のおける存在だから伝えたの。中西さんも私も北村を信じている。それだけは絶対に約束する」

 視線は北村さんに向けたまま、ゆっくりとした口調で諭すように話した。胸が熱くなったが、嬉しさに浸っている場面ではない。

「私を疑っているのですか」

「いや、そうじゃない」

「副店長から解決をしたいと相談を受けて、須永さんにお話を聞いたの。その中で、いくつか食い違う内容があったから、もう一度今回の件を教えてほしいの」

 麻依ちゃんの言葉が詰まったので、横から口を挟んだ。北村さんの視線が刺さる。だまされたという、悔しそうな表情をしている。

「須永とは付き合っていたの」

「いいえ」

「でも、勤務中ずっと一緒にいたよね」

「向こうが一方的に接してきただけです。周りも変な疑いをかけてきて、迷惑していました。副店長も知っていますよね。私好きな人いますから」

 普段聞くことのない、冷たい物言い。こんな場面は何度も経験している。それでも、いい気分はしない。

「覚えているよ。じゃあ、二人で食事に行ったのは何かあったの」

「・・・一度誘われたから、行きました。コミュニケーションが必要だと話したのは、副店長ではないですか」

 嫌な流れになっている。もう少し簡単に話出すかと思ったが、北村さんは完全に否定している。麻依ちゃんは溜息をついた。

「そうだね。でも・・・」

 言葉に詰まった。助けようにも、麻依ちゃんの次の言葉が想像つかない。どちらかが話すまで、私は黙る以外の選択肢はない。

「・・・ごめん。これだけは言わせて。私は北村を信じているし、何度も私を助けてくれたのを感謝している。だから・・・今回の件は、正直・・・なんて言っていいかわからない」

 北村さんは視線を落とした。強気で話している割に、困惑しているようにも見える。やはり、何か都合の悪い話があるに違いない。

「仕事は好きですし、私も副店長が大好きです。でも、あんなにしつこくされて、仕事はできません」

 北村さんは再度言い切った。

「わかった」

 麻依ちゃんは大きく息を吐いた。

「最後に聞かせてほしい。本当に一度食事をしただけ関係だよね」

「そうです」

 お互い見つめ合う。そして、麻依ちゃんが目を背けた。

「さっき、須永と話をしたといったでしょう。あなた、どこかで一緒に写真撮らなかったかな」

 北村さんの表情が変わった。

「いえ、そんなもの撮っていません」

「あいつとの関係を考えなさいと言ったのは、そういうところもある人間だから。なんでそんな関係になったの」

 いきなり、私も知らない話を切り出した。北村さんはひどく狼狽している。

「これ以上は言いたくない。ちなみに、同意を得ていないなら問題があると加藤副店長から警告をしているけど、信頼できていない人間の前で眠るのなんて危ないよ」

 どっと、北村さんから涙があふれた。ひどく震えている。年頃の女の子からすれば、こんなのショックに違いない。そのため、この話はしないように考えていたのだろう。

「大丈夫。裸ではない。写真はただ寝ているだけだけど、場所は分かる人にはわかるの」

 麻依ちゃんは泣いている北村さんの方に手を置いた。

「あなたを傷つけた須永を許すのは私も出来るかどうかわからないけど、あなたにも問題があるのであれば公平な判断が必要なの。そういった関係があったのであれば、最初に受けていた話には事実と反するか聞いていない部分が残っているのかがあるはず。この問題を解決したい」

 しばらく、北村さんは泣いたまま動けなくなった。精神的な動揺が激しく、話せなくなったのだろう。麻依ちゃんはじっと話すのを待っていた。

「・・・すみません・・・でした」

 数分してから、蚊の鳴くような声で北村さんは吐き出した。

「私も言いたくない話をして、ごめんなさい」

 荒い呼吸を整えてから、北村さんは一度麻依ちゃんと私に視線を送った。覚悟を決めたようで、麻依ちゃんも私を見つめて頷いた。

 どんなことがあろうと、彼女は北村さんを見捨てたりはしない。彼女の気持ちを受け止める為、私も覚悟を決めた。

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