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山内麻依⑦

 現在の課題を整理しよう。これからの店舗営業に、やはりリーダーは必要。それなのに、候補の菊川さんからはいきなり訳の分からない質問を受けて撃沈。

 次に北村のトラブル。明らかに須永の付きまといで、せっかくまとまりつつあった夕方のシフトに問題が出始めている。須永に注意をすればと思ったが、茜が気になっているので保留になっている。この件は、今日聞けるので進展はありそうだ。北村はこれから接客コンテストも控えているので、さっさと片付けたいのが本音だ。

 その次は、二号店への勤務が始まる。意外に話はとんとん拍子で進み、週に一回から二回は昼に二号店へ行く流れになった。こちらでもやらなければならない仕事量は変わらないので正直負担でしかないが、涼森オーナーも了承の上での話なので拒否はできない。今は詳細が決まっていないので、様子を見てこれから動きは考えよう。

 最後に、自分のキャリアと家族との今後。これが一番の問題。夫の浩紀には謝ったが、あの日以来関係は冷めてしまった。会話はするが笑う機会は減ったうえに、なんとなく避けられている気がする。原因を作ったのは私だが、この環境が一番気持ちにこたえる。

 私としては、このまま同じ世界に取り残されていくだけなのかと落ち込んでいた。その気持ちは今も変わらない。みんなはこの店舗をあくまでも通過地点としていて、私は羽ばたいていく背中を見送る役でしかない。

 そんな仕事にやりがいなんてあるのか。私は教師のように、人の成長を促す仕事ではない。そう考えると、私は一体何をしているのか。

 考えに大きな欠陥はあるのはわかるが、経験値の無い私には考える根拠もない。家族に負担を与えて好き勝手にやってきた。確かにやりがいはあった。しかし、なぜ私はこの店舗を通過点にしている人間の中で必死になっているのだろうか。その無駄な作業で大切な家族との時間を失っていたのだ。

 どこかで決めたはずのこの道。でも、どこかで道を誤った自分にはこれしかなかったのではないかと消去法で物を考えるようになっていた。結局、諦めた自分を認めたくないから、目の前の課題に必死になっていたのではないのか。

 伊佐山さんや加藤さんは、この仕事にやりがいを持っている。その背中に憧れたはずなのに、実は消去法で憧れているつもりになっていただけなんて失礼すぎる。

 この業界で頑張っている人を幾多も見てきた。どの業界も極めることは難しく、一流になるには努力も実力も必要になる。もちろん、コンビニの商売も同じだ。わかっていてもこの業界、この世界にいる『山内麻依』に自信を持てない原因が分からなかった。

 本気じゃなかったからだ。

 必死ではあった。しかし、本気で取り組んでいなかった。目の前で私の夢に真剣になる茜の姿や、自分自身に向き合って必死に取り組んだ新浜さんの姿を見て、自分の気持ちが見えていたから悩んでいたのだ。

 周りの人はこの世界で真剣になっている。それなのに、私はこの世界よりももっと別の世界に憧れて、そこばかりに意識が向いている。この世界の成果を、みんなで積み上げてきたものをなぜか冷めた目で見ていた。

 なぜなのか。簡単だ。私こそが、この世界を踏み台にするつもりだったからだ。

 頭は明瞭になっていくが、目の前のパソコンは真っ白で、ただ点滅をしながら私の入力を待っている。こんなくだらない気持ち、とてもではないが文字にはできない。

 結局、自分の中での気持ちの整理がつかなければ、今抱えている問題にまっすぐに向き合うことはできないようだ。

 引き出しからチョコレートを出すと口に放り込んだ。相談も出来ず、周りに心配をさせている。誰も閉じ込めていないのに、勝手に作った檻の中で膝を抱えているような状態だ。

 面倒くさい女だよね。もっと自分を嫌いになれる気がする。

 学生時代は優等生。家族の中では長女。誰かの相談に乗ることはあっても、自分からこんな重い相談をする機会なんて人生で一度もなかった。

 しばらく報告のためのデータの打ち込みをしていると、約束通りに茜が事務所に現れた。紺色のパンツスーツに、上は珍しく襟付きの白のブラウスを着ていた。気温が高い日のため、ジャケットは手に持ってきた。

「おはようございます」

「おはよう。なんか雰囲気違うね」

「ちょっといくつか重要な案件があって、これから本部へ報告に行くの」

 珍しく疲れた表情をしている。彼女はこの店舗だけの事案に関わっているわけではない。おそらく、言えない大きな事案がいくつもあるのだろう。

「ごめんね、忙しい時に」

「いや、私が時間貰ったのだから、麻依ちゃんは気にしないで。むしろ、心配をかけてごめんなさい」

 茜は頭を下げた。親しみがあっても、礼儀はしっかりしている。そこが彼女のいいところでもあるが、若干の距離も感じてしまう。

「本題に入りますが、少し麻依ちゃんと聞いていた内容と違っています」

 敬語を混ぜながら、彼女は説明を始めた。どうやら、北村の話していた付きまといだが、そもそも彼女は須永と付き合っていたらしい。しかも、告白は北村の方からであって、最近は仕事中も接近が強く、他の従業員にも影響が出ていたとの話だ。

「ということは、二人の間に何かあったのかな」

「私もそう思う。関係が崩れたから、距離を置く方法として麻依ちゃんに相談をしたのかもしれない。ここは推測だけど」

 ただの一方的な好意からくるものなら注意をするだけの案件だったが、これではもう少し聞き取りが必要になる。もし付きまといではなくただの痴話喧嘩の延長ならば、須永を一方的に注意するのはおかしい。

「そうしたら、もう一度北村に聞いてみようかな」

「いや、それよりも須永さんに話を聞く方がいいかもしれない」

「須永に聞くの」

「そうです。注意とかではなく、まずは事実を確認した方がいいと思います。周りとの意見にも相違がある限りは双方から事情を聞くべきです」

 彼女は正しい。しかし、最初から北村を疑っている節がある。

「北村を疑っているの」

「疑っているのではなく、片方の意見だけを鵜吞みにするのはよくないと思う」

「いいよね。本部の人間は従業員の事情なんて知らないから」

 茜の表情が曇った。少し上に視線を逸らしてから、改めて私に戻した。

「それなら、私は何も言えませんよ。山内副店長、一緒に考えようとしているのですから、それは言わないでください」

 努めて冷静にふるまっているが、怒りが冷めた口調からも伝わってくる。彼女の対応には感謝している。しかし、大切な人間を疑われては私も黙ってはいられない。

「ここまで頑張ってきた北村が困っているのに、そんな彼女を疑えっていうの」

「北村さんが頑張っているのは認めます。でも、感情的な判断は大事な結論を歪めます。まずは冷静に事実を確認しましょう」

 黙って腕を組んだ。茜の言葉はその通りだが、なぜか肯定できない。

「冷たいよ。ここまで頑張ってきたのに、仕事を邪魔されて、さらに疑われるのなんて」

「疑いではありません。事実を確認するだけです。本人が主観的に見る風景と、客観的に見た状況が必ずしも同じものではないので。山内さんにだって、その経験はありますよね」

 正しい意見を淡々とした態度で話す。いつもと違って、彼女の表情は硬く、感情がごっそり抜けてしまったように見えた。真面目な顔立ちをしているので、真顔は冷淡に見えて、私の感情の熱も冷やされていった。

「そうだね。中西さんのいう通りです」

「論破する気はありません。でも落ち着いてほしい。あくまでも、職場環境の改善が今回のテーマなので、もし北村さんの発言に勘違いや思い込みがあれば、それは正さないといけない」

 あくまでも嘘という言葉を避けている。彼女はいつも言葉を選ぶ。その頭の回転の良さに救われてきた。しかし、今日はどこかで感謝できない自分がいる。

「わかりました。そうしたら、須永に会う日を決めますね」

「お願いします」

 結論がまとまったのに、いつものように表情が戻らない。目を逸らすと席を立った。

「茜ちゃん、ごめんね」

「いいよ。と言いたいところだけど、ごめんなさい」

 目を合わせずに、彼女は答えた。

「今はあまり麻依ちゃんと話をしたくない。あくまでもお互いの意見が合わない中での発言だったとしても、私も冷静にいられないよ」

 よく見ると、右手が少し震えている。感情を表に出すタイプではないが、彼女は確実に怒りを感じている。鈍感な私でも理解は容易かった。

「ごめんなさい」

「私もまだ幼いだけです。申し訳ございません。これからも諦めないけど、今日はここで失礼します」

 最後まで目を合わせずに、彼女は事務所を出ていった。

 後悔は先に立たない。

 適当な書類を思い切り破った。怒りは茜にではなく、甘えて茜を傷つけた自分に向けてのものだ。彼女が気にしている言葉をわざと使って、故意に不快な気持ちにさせた。単純に自分が辛いのを知ってもらうために甘えただけだ。

 もう嫌い。こんな自分いなくなってしまえ。あああああ。

 無造作にティッシュを引き抜き、手で握りしめてからごみ箱に投げ込んだ。やり場のない怒りをぶつける手段が見つからずに、意味のわからない行動に走った。わずかな社会性が残っていなければ、泣き崩れていたに違いない。

 どんなに願っても、この世界は変わらない。私はここに立ち続ける。

 乱れた呼吸を整えてペットボトルのふたを開けると、ブラックのコーヒーを喉に流し込む。目を瞑って数秒間、ゆっくりと呼吸を繰り返す。私はこの店舗の責任者。取り乱していられない。

 ジェットコースターの如く感情が乱高下して、胃のあたりがキリキリしている。ここ数か月で何歳も年を取った気分だ。でも、人生で一番幼い行動をしているという矛盾も生じており、なんだがよくわからない。

 課題も解決策も、既に出ているのに逆行する自分が許せない。人からの信用も感じているし、自分の価値にも気が付いているのに、自信がわかずに傷がつく道を選んで暴走している。感情的な行動をしている際は、分かっているのに真逆の行動をする自分を見つめているような感覚に陥る。

 これを自暴自棄と呼ぶのか。私自身の行動に名前を付けられないが、自分ではない怪物が潜んでいるような気分だ。この気持ちに区切りをつけたいのに、自分を助けてくれる人間を拒絶する。

「副店長・・・副店長、大丈夫ですか」

 後ろで宮田さんが肩を叩いていた。事務所に入ってきたのすら気が付かなかったので、思わずびくっとした。

「ごめんなさい。驚かせてしまって・・・」

「いえ、ごめんなさい。考え事をしていました」

「警察の方が、振り込め詐欺の件でお話をしたいと来ています」

 このタイミングで、厄介な。コンビニに務めていると、警察には様々な機会でお世話になるので嫌な顔はできない。重い体を起こすと、レジの方へ向かった。

 男性の警察官の横に大柄の女性警察官が立っていて、ビラを持っていた。せっかく下がっていた心拍数が、再び加速する。

「こんにちは。お忙しいところ、申し訳ございません」

 背筋を伸ばした綺麗な姿勢でお辞儀をした。噂では今も剣道は続けていて、大会でも上位の成績を残していると聞いていた。髪を一本に縛り、薄い化粧からは疲労の色は見えない。雰囲気は柔らかいのに、なぜか頼れるような安心感に満ちた姿をしていた。

「今日はどうされました」

「この管内で増えている振り込め詐欺について説明に来ました。お時間よろしいでしょうか」

 普段聞かない親友の敬語に吹き出しそうになったが、制服姿がまぶしくて、説明している話を聞くというよりも、彼女の姿を見入ってしまった。

「何かご質問などありますか」

「いえ、大丈夫です」

 ビラを受け取った。私の憧れた姿になった親友の姿が素敵であると同時に、現状に納得できない私の胸を締め付ける。

 コンビニの制服姿の私を見ても、彼女は何も感じないだろう。

「ありがとうございました。では・・・」

「格好いいですね」

 出す予定のない言葉が漏れた。先輩に促されて退店しようとして美咲の足が止まった。

「高校の同級生にまっすぐな心を持った親友がいました。彼女の強い気持ちに憧れて、私はこの道を志しました。今日会って、決断に間違いはなかったと思います。世界は違っても、今も私はまっすぐに進む麻依の背中を見ながら前に向かっているからね」

「おい、早くいくぞ」

「すみません。では、失礼いたしました」

 小走りで出ていく親友の背中を見つめていると、無意識に頬を涙が伝った。

 憧れているわけなんてない。

 否定したいが、澄んだ瞳で力強く出た言葉を嘘と認定できる根拠はなかった。ゆっくりと、親友の言葉を思い出す。

「試合で負けたのは気持ちの問題。勝てると強く思えない自分の弱さ」

 大会で負けた数日後の昼休みに、彼女は静かに口にした。

「ダメだよね。相手の気持ちを感じると、弱気になってしまう」

 体型もセンスにも恵まれて、実績も充分なのに自信を持てない。あの頃の美咲はそんな印象だった。私はよく知らないが、県大会のような大きな試合に出た際に優勝確実と言われて敗戦したショックを引きずっていた。

「美咲は強いよ。私も由奈も信じている。弱気になったら思い出してほしいな。美咲は絶対に負けないって私たちは絶対信じているから」

「麻依って、剣道知らないじゃない」

 横で由奈がからかってきた。

「知らないよ。でも、美咲の本気は分かっているから応援しているの。大丈夫だよ」

 根拠のない自信。でも、相手を信じているからこそ、力を込めて言えた。信じている人間が頑張っているのであれば、それを真剣に応援したい。まっすぐに頑張ってきた人が報われるのは当然なのだとあの頃は純粋に信じていた。

 どんな世界でも、自分を信じている人間は格好いい。私は周りにそれを伝えるために頑張ってきたのではないか。

「副店長、事務所戻りますか」

 横で心配する宮田さんに気が付き、ユニフォームで涙をぬぐった。

「大丈夫です。親友と久しぶりに会ったので感極まってしまいました」

 周りを安心させようと、無理やり笑顔を作った。

 頭の中の霧が少し薄れてきた。人にとっては通過点。それを置いてけぼりと考えて悩み続けた。新浜さんが次のステージに挑戦して、茜が会社での信頼を掴み、そのうちここから去っていく。それを、私は取り残されていると感じて焦りを感じていた。

 違う。私がみんなの背中を押す存在になるのだ。

 みんなの頑張りを形にして、この店舗に関わった人のきっかけになれればよい。お客様にとって、思い出の一ページになれるような店舗を作っていきたい。この簡単に聞こえるようで難しい目標に取り組んでいくのが私の夢だったはずだ。

 後付けかもしれない。最初はなし崩しに選んだ進路だったのは事実だ。でも、この仕事に向き合った結果、私にはこうやって成し遂げたいことが生まれていたのだ。

 この気持ちは誰に何を言われようと変わらない。変えてはならない。

 売場で前出しをしてから、事務所へ戻った。やはり今日の気分はジェットコースター。乱高下を繰り返したが、どうやらここが終着点のようだ。思った以上に冷静な自分がいる。頭に溜まっていたガスが抜けて、思考が正常に回転している。

 まずは須永を呼び出そう。茜にもいてもらった方がいいが、男性相手なので男性の力を借りよう。固定電話を持ち上げると、二号店に電話を掛けた。

 北村を信じたい。だからこそ、事実をしっかりと見定める必要がある。反省しきりではあるが、今更になって茜の言葉が理解できた。

 加藤さんに一連の流れを話すと、面談の立ち合いを引き受けてくれた。あとは茜だ。胸が痛むが、しっかり意思は伝えよう。

 電話を鳴らすと、いつも通り通知音が三回ほどで電話に出てくれた。

「中西です」

 やはり、口調は冷めている。

「先ほどはすみませんでした」

「いいですよ。先ほども言いましたが、気にしていませんから」

 わかりやすい嘘をつく彼女に申し訳ない気持ちで一杯だ。彼女はこれまで精いっぱい寄り添ってくれた。だからこそ、あの発言は絶対に行ってはならないのだ。

「今の私がこんなことを言うのはおこがましいのですが、力を貸してほしいです」

 しばらくの間が生まれる。電話の奥から溜息のような音が漏れた。

「もちろん、私に出来る事ならなんでも引き受けます」

 いつもの口調だが、言葉に力がない。後ろで店内BGMが聞こえるので他の店舗にいるようだ。

「ありがとうございます。詳しい時間は後程チャットしますね」

「承知いたしました」

 しばらく静寂が流れる。初めてのように、電話の切り方が分からない。

「副店長、一緒に頑張りましょう。それでは失礼します」

 安心をもたらす優しくも強い言葉。無理なのは承知していても、ずっと横にしてほしいと願ってしまう。

 もう悩んではいられない。

 私の中の葛藤はすぐには解けないだろうが、前に進めば何か生まれる。言い聞かせるように、静かにこぶしを握った。


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