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壊れそうな心

 

 ロイに文化祭で最も聞きたくなかった言葉を聞いてしまった時から、ふた月ほどが経過していた。



 辛くて、食事もなかなか喉が通らず、かなり体重が落ちてしまった。夜も眠れなくて、もうしなくて良いはずの勉強をひたすらし続ける私を、仲の良い侍女三人にかなり心配されていた。


 もう全てがどうでもよく感じた。だけど何かしていないと、すぐに涙が出そうになって、もう、心が壊れそうだった。だから忙しい生徒会がありがたかった。


 一心不乱に働いたおかげなのか魔法大会も何事もなく終える事が出来た。

 全学年合同のそれは、生徒会から天才魔法使いであるエリアスが出場し、見事優勝を果たした。


 笑顔でお祝いの言葉を言えたとは思うが、どうだっただろう。




「ねえ、あんた聞いてるの」

「……」

「ルーシー。……ルーシー・ハワード」


 ぼうっとしていた私の名前を呼んだのは、優勝したことで、今最も話題の人、エリアス・ウィーラーだった。



「あ、ええ。すいません……なんでしたか?」

「……やっぱり聞いてなかった。今度の休み、ハワード家の屋敷まで迎えにいくから空けといて」

「……はあ。わかりました」



 何故急にうちに迎えにくるのかと、エリアスの言っている事がイマイチよくわからないが、正直どうでもよかった。


 むしろ勉強しかやる事のない休日がくるのを思い出し、余計憂鬱になった。







 ☆







「どうしたんです、たまの休日に」

「あんた、まさか覚えてなかったの?」

「いえ、本当に迎えにくるとおもわなくて」



 表情筋が死滅してしまったかと思うほどに表情が動かない顔で、淡々とそういった私に、エリアスはため息をついた。



「……あんた、最近本当におかしいよ。全然笑わないし、それにかなり痩せたんじゃないの。ちゃんと食べてるの」

「何もおかしいことはありません。痩せたのだってダイエットしているだけです」

「……ダイエットって。あんた元々細いだろ。今のあんたはもう折れそうなぐらい、細すぎる。まあ、とにかく行くよ」



 どこに、と聞く暇もなくウィーラー侯爵家の家紋が入った馬車に乗せられた。



 対面に座るエリアスは、特に喋ることなく窓の外を見ながら、馬車に揺られていた。


 そんなエリアスの私服姿ははじめてみた。というかそもそも休日に会うこと自体、もうすぐで半年以上になる付き合いの中ではじめてだ。


 エリアスの私服は、シンプルだが、センスがあって、そのスタイルの良さもあり、制服姿とはまた違う魅力があった。


 これが、私以外の女の子だったらこんなにイケメンで、魔法使いとしても天才であるエリアスとこうして過ごせるとなったら、とても喜ぶんだろうな。


 他のそんな女の子達に代わってあげたい。そもそも外に出かけることすらも億劫なのに。



 会話の無いこの空間に、またロイを思い出し、泣きそうになった私は、慌ててエリアスに声をかけた。



「どこにいくんですか」

「あんたが行きたい場所」

「どこにもいきたくありません」

「なら、俺の行きたいところ」



 そう言って私に何かを渡してきた。



「これ、よく取れましたね」

「……うん、まあツテがあって」



 エリアスに渡されたのは、今まったくチケットが取れないと有名な、超人気舞台のプレミアチケットだった。



「これなら、何も考えずみれるんじゃないの」



 ある英雄の人生を描いたその舞台は、笑いあり涙ありでものすごくテンポのいいスピードで展開されるらしいため、物語を追うのに夢中で、あれこれ考える暇はないだろう。数ある話の中では珍しく、恋愛が一切出てこない話だ。


 確かに恋愛物なんて今一番見たくないし、聞きたくなかったので、ありがたくはある。




「デートのお相手に困ってるんですか? こんなプレミアチケットを私に使うぐらい」

「……そう見える?」

「そう見えないから不思議なんです」

「ふぅん。あんたはそう見えてたんだ。俺の容姿に全く反応しないから、そういう風に言われると思わなかった」

「ご自分の容姿が特別だって自覚されてたんですね」

「あんたと違ってね。自覚するなってほうが難しいでしょ、嫌でも寄ってくるのに」

「ははっ。そうですね。……私は自覚するしないとかではなく、どうでもいいんです。人の容姿とか自分の容姿とか。皮膚がなければみんな同じようなものです」

「すごい言い方するね。 ……どうでも良くないのは、あんたにそんな顔させてる人だけ?」



 全くロイとは関係なかったのに、急にそんな話になる。


 やめてほしい。考えたくなくて話を振ったのに。じわじわと涙が溢れだしそうな感覚。



「……な、なにを言っているのか、」

「まあ、言いたくないなら言わなくていいよ。とにかく今日は何も考えずたのしみなよ。そういう日もあんたには必要だとおもうよ」



 いつも何事にも興味の無さそうな彼だが、生徒会メンバーに対してだけは意外と世話焼きな部分がある。


 だからこうして何かを察したらしいエリアスは、わざわざプレミアチケットを取ってまでこうして連れ出してくれたのだろう。







 ☆









 確かにその人気舞台は、余計な事を考える暇がないほど、展開が早く、そして声を出して笑ってしまう場面が沢山あって、本当におもしろかった。


 しかも用意された席は、超のつくVIP専用の席で、ただの生徒会の仲間である私に、いくら使ったんだと中身が庶民な私は、少し引いてしまった。



「これぐらいであんた、びっくりしすぎでしよ。本当に公爵令嬢なの」

「これをこれぐらいって言ってしまうエリアスさんは本物の貴族なんですね」

「なに、本物の貴族って。あんたもでしょ」

「いえ、名ばかり令嬢です」

「いや、ハワード公爵家の令嬢を名ばかりとか言ったら、王族以外の貴族はみんな名ばかりになるから」



 そんな冗談を言い合ってくれるエリアスに感謝した。最初は乗り気ではなかったが、今は来てよかったと思う。久しぶりに笑えた気がする。



 レストランを予約していてくれたらしく、少し早めの夕食をとることとなった。ここもかなりの高級店で、しかも個室を取ってくれていた。


 ……この人もう色々スマートすぎる。本当に十七歳なのか。将来有望にも程がある。




「これ、本当においしい」

「ん、いくらでも食べてくれていいよ」

「さすがにいくらでもは食べられませんよ」

「……頑張ってたべて、ちょっとでも太って」

「うら若き乙女になんて事を」




 痩せてしまった私を心配してくれているらしいエリアスは、高級ディナーを沢山ご馳走してくれた。



「ワイン、飲む? これとすごく合うよ」



 なんだか飲みたい気分だったため、頂くことにする。


 ほろ酔いになってきて気分が良くなっていた私は、飲んでいたワインの銘柄や産地なんかをペラペラと喋っていた。



「本当に、こんな高級なワインなんか頂いちゃって、すみません。今日一日ずっとですけど」

「あんたの笑った顔がみれてよかったよ。ここ二ヶ月くらい怖いぐらい表情がなかった」

「その鋭さは時々恐ろしく思うぐらいですよ。探偵になったほうがいいんじゃないですか。イケメン探偵エリアス。……なんちゃって」



 ふざけてそんな事を言う私をスルーして、エリアスはふと真剣な顔で私をじっと見つめた。



「あの、なんですか。スルーされた上に真顔でみられるのはきついのですが」

「……文化祭。ストケシアから来た商人の案内をした時、なんかあったんでしょ」

「な、何をいってるんです。何もありませんでしたよ」

「どう考えてもあの時からおかしかった」



 やめてほしい。人がせっかくほろ酔いで気分がよくなっていたっていうのに。思い出したくない事を思い出させるのはやめてほしい。



「……なんでもないといいました」

「なんでもないのに、そんなに痩せて、くまが最初の方のより酷くなって顔色も悪い。さすがにもうみんな気づいてる。心配してる」

「……いいたくありません」

「そう、なら俺が言うよ。ロイ・カールトン。カールトン商会の御曹司だ。かなり優秀な人みたいだね」

「や、やめてください!」

「……そしてあんたの想い人なんだろ。ロイ・カールトンを見るあんたをみて、すぐにわかったよ」

「やめてくださいって言ってるでしょう!!」



 もうこの時には、涙を堪える事が出来なかった。多分この展開を予想していたエリアスは、あえて個室を取ったのだろう。



「そうやって、泣いてでも感情をだせばいいんだ。人間の心には限界がある。あんたはギリギリだったんだ」

「わかった風に言わないでっ。ずっと愛していたロイが、会いたかったロイが私じゃない誰かを愛していたのっ。ロイの傍にいる、それだけが生きる希望だったのに……ふっ……ひくっ……私の気持ちなんて誰もわからないっ」

「……うん、そうだね」

「もうどうすればいいかわからなくて、そばにはいられないんだって自覚するのも怖くて。眠るとあの日のロイが出てきそうで眠れなくなって」



 そこから私はもう止まらなくなって、前世の記憶がある事を喋ってしまっていた。


 聖女を殺しかけた事で断罪され国外追放された事や、ストケシアで十年も娼婦をしていた事。

 そこでロイに出会った話や出会って十年目に結婚出来た話。今世では前世と違い、幼馴染の恋人がいて、プロポーズすると言われたこと。


 すべてエリアスに話していた。


 喋り終わる頃には冷静を取り戻し、はっとする。

 こんな話誰が信じるというのか。万能に見える魔法にも時間を戻す魔法は存在しないのだ。




「……信じ難い話ではあるけど、嘘を言っているようにも見えない」

「す、すみません。信じられなくて当然です、こんな話。忘れてください」

「……忘れられる訳ないでしょ。事実だとすれば聞くに堪えないような酷い事をされた話もある。あんたにとって辛い記憶なんでしょ。それでも話してくれたのに、忘れたりするわけないでしょ。俺ってそんな酷い人間なの」

「ち、違います。エリアスさんはそんな人ではありません。

  ……でも、信じてくれるとは思えなくて」



 エリアスは真剣な表情でそう言ってくれた。



「話が、というよりあんたの事を信頼してるから。それに、ダレン殿下に襲われた時の態度とか、行ったこともないストケシアの言葉をあんな流暢に喋る事とか、公爵令嬢と思えない言動もその話をきいてなんとなく納得出来た」

「……ありがとうございます。……その、あの引かないのですか……? 毒殺未遂の事とか、娼婦のこととか……」



 自分でそういって悲しくなり、語尾が小さくなってしまう。


 娼婦という仕事に誇りをもってがんばっていた私だが、普通の人からみれば偏見の目で見られてもおかしくはない。

 それに殺人未遂など論外だろう。




「……殺人未遂ってもちろん悪い事なんだろうね。でもその聖女は死んでいないし、あんたは訳のわからない罰を与えられて国外追放までされたんだ。罪は償ったんじゃないの。それに俺はどんな職業であってもなんとも思わないし、仮に人に自慢できない仕事であっても、あんたの価値はそんな事で決まらないだろ。他の生徒会のやつらが同じ様な事を言ったとしても、俺はそう答えるよ」

「……生徒会の仲間として、そこまで言ってくれるんですね」

「生徒会仲間と、して、ね。……まあいいや、そうだよ。そうじゃなきゃここまでしない。俺の性格知ってるでしょ」

「……はい」

「で、あんたはこれからどうしたいの。ロイ・カールトンのそばにいたいの」

「ええ、でもそんな事出来ません。あんな幸せそうに笑ったロイを傷つけることは出来ません」



 今世で愛した人とロイを引き裂ける訳がない。


 それに、そもそも人のものを奪う人間など、ロイが好きになってくれるはずもないだろう。




「そうだろうね。だから恋人のようにそばにいること出来ないかもしれない。だけどそう、例えば仕事相手としてならそばにいることは出来るかもしれない。あんたがそれでもいいって言うならだけど」

「も、もちろんどんな形であれ、そばにいて支えていけるのであればそうしたいですけれど、私なんて身分しか取り柄がないただの学生なんです……」

「それは、卑下しすぎだよ。身分だけでも充分特別だから。それに、あんた最年少で何取った?」

「ま、魔法薬師……」

「そう、それだよ」



 エリアスの話はこうだった。


 膨大な知識を必要とする魔法薬学の試験は難しく、そのため魔法薬師の数自体がそもそも少ない。魔法薬の効果は凄いが、数が少なく出回りにくい。売りに出てたとしても、すぐに完売してしまうことが多い。


 ロイと契約して、私の作った魔法薬をロイの商会で扱ってもらうのはどうかと、エリアスは言った。


 そういえば、前世のロイは、魔法薬師と契約したいと言っていた。魔法のないストケシアでも、許可があれば販売できる。

 魔力封じの印が解ければ協力出来たのに、と法外な値段がかかるが、僅かにいるストケシアの魔法使いに依頼しようかと本気で悩んでいた事もある。



「いい話だと思うのですが、まだ学生の身分である私がそんな事可能なんでしょうか。お父様とお兄様にもお話しなくてはいけないし」

「まあ色々準備しなくちゃいけないし、時間はかかるけど、俺も協力するし大丈夫だとおもうよ。あんたんとこの家族も」


 エリアスが言うのだから契約のこと自体は大丈夫なんだろうけど、父や兄はどうだろうか。と不安に思っていると、


「まあ、そのうちわかるよ」



 何故か自信ありげにエリアスそう言ったのだった。






 すっかり酔いもさめた私は、エリアスに屋敷まで送ってもらい、お礼を言ってエリアスを見送った。



 エリアスはあんなに人の心に土足で踏み込む人ではない。


 そもそも人にあまり関心のない人だ。だけど、あそこまで言ってくれたのは、私の限界を悟っていたのだろう。感情を吐き出させるために、わざとあんな風に言ったのだ。


 普段わかりにくい人だが、なんて優しい人なんだろう。

 感謝してもしきれない。本当に今日という日がなければ、心が壊れていたかもしれなかった。








 ――新たなる希望を手にしたこれからの私は、エリアスの協力を得て、前世とは違った形でロイとの関わりを深めていく事になる。



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