そのあとの事実は何よりも重い
まさかのロイの登場に唖然としている私の顔は、相当間抜けだと思う。ロイが普通に私を認識しているという事は、いつの間にか変身魔法が解けていたみたいだ。
「……急に来て、びっくりさせたよね。でもどうしても君に伝えたい事があって……宿の部屋を尋ねたら、君はいなかったけれど隣の部屋からエリアス君が出てきて、ここにいると聞いたんだ」
昨日の酒場に迎えに来た時もそうだが、エリアスは私にわからないように追跡魔法をかけているらしかった。
それにしてもロイが私に話があるなんて何事だろう。
「結婚式の翌日にこうして女性である君に会いに来るというのは、どう考えても常識外れだけれど、どうしても伝えたい事なんだ」
「……少なくとも私はそんな風には思いません……。その、伝えたい事とは、何でしょう」
その余りに真剣な表情をして言うロイに、何事かと心臓が暴れ出す。
「ありがとう。今からする話はもしかしたら僕の勘違いや妄想で、君を怒らせて、軽蔑されるかもしれない。だから話の途中であっても文句があれば遠慮なく言って欲しいし、なんなら引っぱたいてくれていもいい」
「……私はどんな事があってもロイさんにそのような感情や事を起こす事はありえませんから……どうぞ仰ってください」
伏し目がちに言った私だが、本当にロイにそんな態度をとるわけがない。
ロイは、ふうと短く息を吐くと話をはじめた。
「僕は……セイラにプロポーズしたその日の晩に、とても長い夢をみたんだ。夢とはおもえない…限りなく現実に近い夢を」
私は、そんな風に言うロイが何を話すのか見当もつかなかった。
「ある部屋ですごく楽しそうに笑う君と話している所から始まるんだ」
夢の中の僕は、とっても君が好きなんだ。いつも笑顔でいる君だったけど、もっと笑かそうと君をお金で抱くことができないからせめてと、普通を装いながら内心必死な僕がそこにはいたんだ。
出張があれば、高価なものを嫌がる君に、お土産をどれだったら受け取ってくれるか物凄く考えていたし、考えに考え抜いて選んだお土産をさもついでかのように机に並べてひとつひとつ説明するんだ。
と、ロイは懐かしいような、寂しいようなそんな表情でそう言った。
「そして、今の僕よりずっと歳のとったその夢の中の僕は、君に見た事のない程見事なサファイアを使ったネックレスを贈るんだ。父について各国を回る事となった僕はあまり逢いに来れなくなると、逢えない時も僕を思い出してほしいと、君と僕の誕生石であるサファイアを君の首に付けたんだ」
ロイの語るその夢の話は、私の前世でのロイとの思い出そのもので、その驚きと衝撃に全く言葉が出なかった。
「そして、何年か経ったであろうその日。僕は商人なら誰でも契約したがるけど、誰も契約出来た事のない工房があって、そこと契約できれば、父は僕に商会を譲るといい、商会長となれば結婚でも何でも好きにするといいと言われた事を君に言うんだ。無事に契約が取れた事も」
どう考えても、私がロイにプロポーズされた日の話だ。私が忘れるはずがない幸せになったその日の話が夢であるはずがない。これは、夢という形で出てきた前世の話だ。
「プロポーズをした僕に、君は辛い過去を語ってくれた。君は僕に嫌われても仕方がない人間だと、自分の罪と過去を隠したまま僕の隣には居られないと、泣きながら教えてくれたんだ。確かに赦されない罪かもしれない……だけどそれ以上じゃないかという程の罰を君は受けていた」
……なんて事なんだろう。なんてタイミングで…セイラさんにプロポーズしたその日に夢に出てくるなんて、なんて残酷なんだろう。
「君の話は正直、ありえないような話だった。僕が報復するのは簡単だったけれど、君は僕と一緒に居られるだけでいいと、僕のプロポーズを受けてくれたんだ。夢の中の僕は嘘みたいに浮かれていたよ。だけど……」
そうして一旦言葉を止めたロイは、酷く辛そうで…それもそうで、この先の言葉は聞かなくてもわかる。
「……私は、首を絞められて死んでいたのですね。……辱めにあいながら」
そう言った私にロイは目を見開く。
「……やはり、君も」
「……ええ、ロイ、さんとは違い私はずっと記憶がありました。首を絞められて死んだと思ったら十六歳に戻っていたんです」
私のその言葉は想像以上の事実らしく、ロイの顔は固まっていた。
「……私、ロイ、さんが思い出すなんて思ってもみなくて、でも……でも……ずっとロイに謝りたくて、独りにしてごめんなさい。馬鹿な私のせい、で」
私は、もう言葉の途中から枯れたと思っていた涙が溢れて、敬称や敬語も忘れてそう言っていた。
「な、なにを……僕は……僕の方が謝りたくてここにやって来たんだ。君を助けてあげられなくて、君を独りで逝かせてしまって、ほん、とうに……ごめん……」
ロイも、そういって涙を流していた。私たちは、しばらくの間、涙を流しながらお互いに謝り続けた。
「……ロイは悪くないんだよ、もう謝るのはやめて」
「……ルーシーの方こそ」
普通に呼び捨てにする私をロイもいつのまか呼び捨てになっていて。
「……わかったよ」
「僕もやめるね」
鼻が赤くなって可愛くなったロイは、言った。
「実は、文化祭に行ったのは仕事で偶然、ではないんだ。長いあの夢……記憶が蘇って、どうしても君と会いたくて、理由をわざわざ作ってまで、アスター王国まで行った」
会いたくなったというその言葉にドキッとしたが、声色や表情には私が喜ぶような色はないとすぐに理解出来た。理解するしかなかった。
「そう、だったんだ。ロイが少し寂しい表情だったのはそう言う事だったんだね」
「やっぱりルーシーにも気づかれていたんだね」
「……にもって?」
「ルーシーがセイラに魔法を見せていた時、エリアス君に言われたんだ。何があったのか知らないけど、別の人と幸せになる人がルーシーにそんな表情や態度をするなってね」
男同士の話って、その事だったの……。
「エリアス君という人は、驚く程に本当に色々な事が見えているんだね。そして……すごく、健気だ」
「……健気?」
「……ごめん。僕からは言えないけど、そのうちわかると思う」
モヤモヤした私だったが、そう言うロイに従い、考えないでおいた。
「君が亡くなった後、御家族に報告はしないといけないと思って、アスター王国のハワード公爵家を尋ねた。ルーシーに関する事だと先触れを出したらすぐに対応してくれたよ」
お父様……お兄様……。
「君を救えなかった僕が憎い筈なのに、ルーシーの気持ちを尊重したいと言って探さなかった自分たちが悪いと、お父上とお兄さんは泣いていた」
「……悪いのは殺人未遂を犯した私なのに……」
「そう、かもしれないね……。 でも、お父上もお兄さんにも、全てを話したんだ。すると、何も言わなかったけど、信じられないぐらい怖い顔をしていた。僕がストケシアに帰ってすぐに、ダレン第二王子は身分を取り上げられ、君がいた所よりも更に最悪な所で終身刑が決まった。そこで事切れてもおかしくないような所で。裏で示唆していた貴族はダレンを王位に就かせたかったらしく、君を利用したと認めて、さらし首になったと、世界中に広まったんだ」
なんて事なの、と私の死後に起こったその話に、開いた口が塞がらない。
「君を殺めた相手を教えてほしいと言われたけど、それは断ったんだ。それは僕に譲って頂けませんかって。かなり渋っていたけど、僕の気持ちを汲んで引いてくれたよ。その後はね、そいつの経営する会社が傾いていた事もあって、全て奪った。あらゆる手を使って、時には汚い手も使ってね」
確かにアイツは、経営が上手くいかなくなって、酒と薬に溺れて私を殺したんだ。でも、まさか穏やかなロイがそこまでするなんて。
「……最終的には、死刑になったよ。というか、僕がそう仕向けたんだ。なんでもやったから……」
でもね、とロイは続けた。
報復を果たしたロイは生きる希望がなくなり、寝食を忘れるほど仕事に没頭した。そうしていないと、正気を保て無かったと言った。
――そして、そんなロイを支えたのは、幼なじみのセイラさんだった。
「セイラには気持ちを伝えられた事があったんだ。だけど、僕は君を想っていたし、ごめんねと伝えたんだ。そこからルーシーがいなくなるまで会うことはかったんだけど……狂ったように働く僕の様子を聞いたのか、十数年ぶりに僕の前に現れた」
ロイが話し始めたこの時点で、私はもう理解していたと思う。
「セイラはね、何も言わずずっと僕に食事をさせ、休む事を教え、支え続けたんだ。裏では泣いていると分かっていても僕はルーシーへの愛の言葉を言わない日はなかったんだ。優しさに甘えるくせに、酷い男だよ僕は」
その話に絶句した。どんな思いでセイラさんは……。
「僕がやっと普通の人間としての心を取り戻したのは随分白髪を蓄えた頃だった。その時も僕は誰一人愛する人は出来なくて、毎日、ルーシーにおはようやおやすみ、いってきますと言い続けていた。そんな僕を笑顔で見守ったセイラも僕と一緒に歳をとって遂に、結婚もしなかった」
「……なんて事な、の」
言葉に詰まる私に、優しいけど悲しい、そんな笑顔をむけたロイは言った。
「僕は、このまま眠るともう意識は戻らないと、自分の寿命を悟ったんだ。……だんだん重くなる瞼に抗う事はしなかったけど、僕を看取ったセイラは小さな声で言ったんだ。もし生まれ変われたら次はロイのお嫁さんだったらいいのになって。一切僕に何も求めてくる事もなく僕を支え続けたセイラがそう言ったんだ」
私が亡くなってからの数十年間、何も求めず私を愛していたロイを支え続けたセイラさん。ずっとロイを愛していた私だからこそ、その気持ちと、愛の深さが痛いほどわかる。
……これからロイが言いたい事も。
「そんなセイラに何も言わなかった。最後に言ったのは、君へ……ルーシーへの別れの言葉だった。――君との物語はここまでなんだね。と、そう言ったんだ」
「……終わったん、ですね」
「……うん」
正直、最後の言葉は一番辛かった。
だけど、今世では、何故私ではなくセイラさんだったのか嫌になるほど理解出来た。むしろ独りにしてしまったロイをずっと支えてくれたのだ。感謝することがあっても恨むことなんて出来るはずもない。
「私は、ここからロイと別れたら……ただの仕事相手に戻るよ。だけどひとつだけお願いがあるの」
私は、覚悟を決めてそう言った。
「君がそうすると言うなら僕もそうするよ……。お願いって?」
ロイは悲しい表情でそう言った。
「……最後に抱きしめて欲しいです。本当の本当に最後という意味で」
流れた涙を隠すように下を向きながら言った私のことなどお見通しであろうロイは、黙って抱きしめてくれた。
「ルーシーが幸せになれる事を心から願うよ」
「ロイにそう言われたら幸せにならないといけないね。……セイラさんを泣すようなことがあったら、見たことの無い程怖いルーシー・ハワードが何をするか分からないんだから……」
鼻をぐすんと鳴らせながら言ったその言葉は本気だった。
「……もちろんだよ、ルーシー……。元気でいてね」
「さよなら、ロイ。元気で」
私がロイと呼べるのは今だけで、次仕事で会う時はロイさんとそう呼んでいるだろう。抱きしめてもらったんだ。もうここまでだ。
遠くなっていくロイの姿が見えなくなっても、何時間もその場を動かなかった私は、今日だけと自分を責めなかった。




