第1話 中年ドワーフ、星を出る
ワシは人生に飽きた。
ありきたりな剣と魔法の世界に。
正確には、朝起きて、顔見知りに会って、兄貴の武勇伝を聞かされて、酒場の隅で安酒を飲んで、誰にも気づかれんまま帰る日々に。
腹が減れば飯を食えばええ。寒ければ炉に火を入れればええ。寂しければ誰かに会えばええ。
その、誰かに会うのが一番しんどい。
「というわけで、ワシはこの星を出る」
地下三百メートル。
廃鉱山の底で、ワシは完成した船を見上げた。
全長二十七メートル。外装は黒鉄。炉心も航行盤も自作。寝床のバネだけは盗品――いや、誰も使ってへんかったし、持ち主も寝とった。
名を、《穴熊号》。
宇宙船である。
『訂正します。宇宙船を自称する大型の鉄くずです』
頭上のスピーカーが、完成の喜びに水を差した。
「飛んだら宇宙船や」
『墜ちた場合は?』
「黙れ」
『宇宙葬プロトコルを始動します』
「おい、AIの暴走で死にたないぞ。やっぱチャッピーにするか」
赤いランプが回り、警告音が鳴り響いた。
『警告。今すぐ私の船から出てください』
「この船もお前も作ったんは誰やと思っとる」
こいつは船載補助人工知能、ミミック。
航路計算と炉心制御のために作った。途中で暇つぶしに会話機能を足した。
今まで作った物の中で、こいつだけがワシに作り直しを勧めてくる。主に人生の。
『ガルム・ハンマーボルト船長。右舷推進器に異常振動』
「聞こえとる」
炉の低い唸りに、細い金属音が混じっていた。
ワシは床板を開け、冷却管の留め具に手を伸ばした。振動で緩むんは分かっていたが、買い替える金がなかった。
銅板を切って隙間に噛ませ、締め直す。耳障りな音が止んだ。
『振動値、正常』
「ほれ」
『その技術を就職に活かすという選択肢は』
「今から星ごと退職するんや」
工具を腰に戻し、操縦席へ座った。
地上では今ごろ、兄貴が酒場で笑っているはずや。
バルド・ハンマーボルト。町一番の鍛冶職人で、酒飲みで、人気者。
ワシは、どこへ行っても「バルドの弟」。
兄貴はワシの細工物を、誰より大声で褒める。
酒場へ行けば隣の席を空けてくれる。顔を出さなければ、わざわざ呼びに来る。
兄貴が悪いわけやない。
むしろ、悪くないから余計にしんどい。
太陽の隣におると、自分がどれだけ煤けとるか、よう分かってしまう。
『出発前に、連絡を残しますか』
ワシは腰の工具袋を押さえた。
「……いらん」
ミミックはそれ以上聞かなかった。
たまに会話機能が正常に働くから、捨てづらい。
操縦桿を握る。
炉心が唸り、黒鉄の船体が震えた。古い縦坑から砂が降る。
さらばや、剣と魔法の世界。
ワシはもう、お前らの都合には付き合わん。
発進レバーを倒した。
《穴熊号》が縦坑を駆け上がる。塞がれた岩盤を砕き、地上を突き破り、夜空へ飛び出す。
椅子に背中を押しつけられ、歯を食いしばった。
しばらくして、窓の外の青が薄れた。
星が見えた。
見知った星座の隙間にも、名前を知らん光がぎっしり詰まっとる。
ええやんけ。
兄貴の笑い声も、酒場の喧騒も、ここまでは届かん。
「見たか、ミミック。これが自由や」
『船長。貨物室に生命反応があります』
「……ネズミか」
『人間です』
「ネズミであれよ」
*
一時間前、坑道の入口にガキがおった。
十か十一くらいの、痩せた人間の子。服はつぎはぎ。片方の靴が脱げかけている。
そいつはワシの荷物を見て、言った。
「どこいくの」
「あかん」
「まだ何も頼んでない」
「この流れで子ども拾うんやろ。ワシはそういう感動担当ちゃうねん」
ガキは首をかしげた。
分からんふりか。末恐ろしい。
「子どもと借金は乗せへん主義や」
ワシは干し肉と銅貨を少し渡し、追い返した。
追い返そうとしたら、靴が脱げた。
「……足、貸せ」
しゃがんで留め金を外す。爪が曲がっとる。小槌で戻して、革紐を締めた。
「ほれ。もう転ばん」
「ありがとう」
「ええから帰れ」
感謝で手が滑り、仲間加入の選択肢を押すところやった。
危ない。きちんと断った。そこは間違いない。
「ミミック。そいつ、怪我は」
『ありません。木箱の裏で非常用ビスケットを食べています』
「おうそうか、救急箱用意しとけ」
『船長、幼女への暴力は刑法、児童虐待防止法に抵触する可能性があります』
「国外どころか星外やぞ、治外法権じゃぼけ」
貨物室へ行くと、油と古い木の匂いに、ほのかな甘い匂いが混じっていた。
ワシの晩飯の匂いや。
「出てこい」
木箱の裏で、何かが動く。
「三つ数える。出てこんかったら箱ごと宇宙へ捨てる」
『外部ハッチを開けますか』
「開けるな。お前は前後の会話から学べ」
ガキが顔を出した。頬が膨れ、口の周りが粉まみれやった。
「……ごめんなさい」
「しこたま食い散らかしやがって」
ガキは最後の欠片を、そっと背中に隠した。
ワシは手を差し出す。
少し迷ってから、欠片を二つに割り、一方を載せてきた。
「全部返せアホ」
ため息をついて欠片を返し、棚の水筒を取った。
「名前は」
「リコ」
「家は」
「ない」
「親は」
「いない」
水筒の蓋が、思ったより固かった。
緩めてから渡す。リコは両手で受け取った。
「……次の港で降ろす」
「港あるの?」
「知るか、とにかくすぐにでもこの船から降りてもらう」
「じゃあ今降ろして」
「今か? 宇宙やぞ」
「じゃあ無理だね」
「腹立つガキやな……」
『受信した航路標識によれば、最寄りの補給ステーションまで三日です』
「ほら見ろ」
『食料は二日目の朝に尽きます』
「このクソガキも含めて計算し直せ」
リコがビスケットの残りを見下ろした。
「返そうか」
「気にすんな、今日の晩飯はお前の丸焼きや」
『船長。工具箱の二重底にある燻製肉を計上すれば、三日はもちます』
「……あれは酒の肴や」
『胃には区別がつきません』
「とにかくあれを計算に入れんな」
「わたし、働けるよ」
「掃除できる」
「あんなけ散らかして何言うとんねん」
「料理も」
「そうかワシも料理ならできたんやけどな、食材さえあれば」
「荷物運べる」
ミミックが短い電子音を鳴らした。
『補給ステーションで、短期配送業務を受注できます』
「星を出て配送業務? 論外や」
『では、個体名リコを食材に加えて計算し直します』
「仕事の話に戻せ」
宇宙は広い。
せやのに、逃げ道がない。
「……一件だけや」
リコが顔を上げた。
「手伝っていい?」
「その前に貨物室なんとかしてくれ」
「はい、船長」
「お前の船長ちゃうぞ」
リコは返事もせず、箒を探し始めた。
*
三日後。
《穴熊号》は、銀河辺境補給ステーションの十三番ドックに停泊した。
ワシは着岸料を払い、食料品店の値札を見て、求人窓口へ直行した。
宇宙ではパンまで偉そうな値段をしていた。
依頼は一件。
宛先は、小惑星帯の外れにある一軒家。
荷物は古びた丸時計が一つ。報酬の半額は前払い。
「これにする」
隣でリコが頷いた。
「わたし、持つ」
「お前はここで降ろす言うたやろ」
「降りたよ」
リコが足元を指した。
たしかに今、船には乗ってへん。
そういう意味ちゃうと説明しかけて、腹が鳴った。
先に飯や。
こいつをどうするかは、そのあと考えればええ。
ワシは丸時計を受け取った。
「ええか。配達はこれ一回きりやぞ」
耳元でミミックが応じた。
『記録しました』
「何を」
『今後もおっしゃると思いますので』
ワシは無言で、通信の音量を一つ下げた。




