第8話 Aくんって誰だろう
今回から第2章、幼なじみ・ユイ編です。
本作に登場するVtuber・事務所・団体は、すべて架空のものです。
「ハル、起きて。もう八時過ぎてるよ」
今朝も、ユイの声で目が覚めた。
カーテンが勢いよく開けられて、朝日が容赦なく目に刺さる。
「……あと五分」
「その五分で、先週は一限に遅刻したでしょ」
「よく覚えてるな」
「覚えてるよ。ハルのことなら、だいたい」
さらっと言って、ユイは俺の布団を引っぺがした。
毎朝のことなので、もう抵抗する気にもならない。
◇
大学までは、ユイと並んで歩いて二十分。
小学校から大学まで、俺たちはずっとこの道を一緒に通っている。
ユイは、なぜか今朝も眠そうだった。
何度も小さくあくびをかみ殺している。
「ユイも夜更かしか?」
「え? う、うん、ちょっとね。レポート」
「真面目だなぁ。俺は配信見てた」
「……またぁ?」
「いや、聞いてくれよ。最近ハマってる歌い手の子がいてさ」
俺はスマホを取り出して、画面を見せた。
表示されているのは、夜空を背景にした、銀髪の女の子のイラスト。
「月島うたっていうんだけど。個人勢で、登録者はまだ三万人くらい。でも歌がほんとにうまいんだよ」
「ふ、ふーん……」
「特にバラードがいいんだよな。声が透き通ってて、聴いてると泣きそうになる」
「そ、そう……なんだ……」
「あと、雑談がまたいいんだよ。素朴っていうか、ふつうの女の子って感じでさ」
ユイの顔が、みるみる赤くなっていく。
「……ユイ、大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか」
「な、ないっ! 朝日がまぶしいだけ!」
ユイは顔を背けて、早足で歩き出した。
今日は曇りなんだけどな。
「ハルは……その子の、どこが一番好きなの?」
背中を向けたまま、ユイが小さく聞いてきた。
「どこって……そうだなぁ」
少し考えて、俺は答えた。
「一生懸命なところ、かな。歌うたびに、ちょっとずつうまくなってるのがわかるんだよ。見えないところで、すごく練習してるんだろうなって」
ユイの足が、ぴたりと止まった。
「……そっか」
振り返ったユイは、なぜか、ものすごく嬉しそうな顔をしていた。
「なんでユイが嬉しそうなんだよ」
「べ、別に! ハルに推しができてよかったなーって思っただけ!」
よくわからないが、機嫌が良さそうなのでよしとしよう。
◇
その夜。
バイトから帰った俺は、さっそく月島うたの配信を開いた。
『こんばんは、月島うたです。今日も来てくれてありがとう』
ふわりとした、優しい声。
画面の中で、銀髪の女の子が小さく手を振っている。
『歌う前に、ちょっとだけ雑談させてね。今日ね、すごく嬉しいことがあったの』
『なになに?』
『また幼なじみのAくん?』
コメント欄が、慣れた様子で反応する。
月島うたの配信には、たびたび「幼なじみのAくん」が登場する。毎朝うたちゃんに起こされている、ちょっと抜けた男の子らしい。
『うん、Aくんの話。Aくんがね、最近好きな歌い手さんがいるんだって。その子のどこが好きか聞いたら――「一生懸命なところ」って』
『ほう』
『いい答え』
『それでね……その歌い手さんのこと、私もすごく好きだから。なんか、自分が褒められたみたいに嬉しくなっちゃった』
『てぇてぇ』
『Aくんいい奴じゃん』
『うたちゃん、それ嫉妬しなくていいの?』
『し、嫉妬なんてしないよ! ……ちょっとしか』
『ちょっとはするんかい』
『かわいい』
俺は、画面の前で腕を組んだ。
「Aくん、いい奴だな……」
推しの歌い手の「一生懸命なところ」が好き。
わかる。めちゃくちゃわかる。今朝、俺もまったく同じことをユイに言ったばかりだ。
「Aくんとは、いい酒が飲めそうだ」
まだ二十歳になったばかりで、酒の味もよくわからないけど。
『Aくんはね、本当に鈍いの。毎朝起こしに行ってるのに、いつまでも「あと五分」って言うし』
わかる。俺も毎朝言ってる。
『合鍵まで預かってるのに、なんにも気にしてないみたいだし』
わかる。俺の幼なじみも合鍵を預かってる。
『……でも、そういうところも、嫌いじゃないんだけどね』
コメント欄が、一斉に『てぇてぇ』で埋まった。
「いいなぁ、Aくん」
俺は、心の底からそう思った。
こんなに健気な幼なじみに想われているなんて、Aくんは幸せ者だ。
「うちのユイも、毎朝起こしに来てくれるけど……あいつは、ただの世話焼きだもんなぁ」
Aくん、羨ましいな。
いったい、どんな奴なんだろう。
『あ、そうだ。明日はAくんと、大学の学食で唐揚げ定食を食べる約束してるんだ。楽しみ』
――そういえば、今朝ユイに「明日、学食の唐揚げ定食食べに行こうよ」と誘われていたな。
「学食の唐揚げ、人気だもんな。どこの大学も」
俺はうんうんと頷いて、うたちゃんの歌声に耳を傾けた。
画面の向こうで、うたちゃんが歌い始める。
透き通るような、切ないバラード。
――その歌声に、どこかで聞いたことのあるような、懐かしい響きが混じっている気がした。
気のせいだろう。
俺は目を閉じて、その声に身を任せた。
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