揺れ、動く :約1000文字
――グンッ!
男は驚いた。道を歩いていたら、突然、両肩を掴まれ、勢いよく揺さぶられたのだ。
反射的に振り返る。だが、そこには誰もいなかった。
「おかしいな……」
男は肩に手をやり、首をかしげた。
確かに、人の手の感触だった。気のせいだったのだろうか……。腑に落ちないが、そう、今は気にしてる場合ではない。のんびりしていたら大学に遅れる。まあ、たいした授業ではないのだが。ああ、疲れていると膝がガクンとなることもある。きっとその類だろう。
男はそう考え、ふっとため息をつくと、また歩き出した。
そのときだった。
――グンッ!
またしても肩を揺さぶられた。男は今度は先ほどよりも素早く、後ろを振り返る。
すると、そこに、いた。
嘘だろう。そんな言葉すら声にならない。悲鳴すらも震え、喉の奥に引っ込んだ。
目の前にあったのは、夥しい数の尖った歯。唾液にまみれた赤黒い口腔。それが艶めかしく脈動している。その大きく広げた口に視界のほとんどが覆われ、全貌は見えない。ただ、それが化け物であることだけは確かだった。
そして、それが今――。
「おきて、ぱぱおきれ」
体を叩く、小さな手。
小さな口。
眩しい笑顔。
「ぱぱおきたあ」
まだ舌足らずな我が娘の笑顔に、男は自然と微笑み返した。
瞼を擦りながら、辺りを見渡す。するとスマートフォンを構え、笑う妻が目に入った。どうやら撮影しているらしい。
夢、か。なんとも妙な夢だった。しかも、大学生……か。もしあの頃、大学に通っていたなら、もう少し広いアパート、いや、マンションに住めていたのかな。
男は椅子の上で目をしばたたきながら、そう思った。
だが、娘が膝に乗った瞬間、それは未練になる前に、ふっと霧散した。
これでいいんだ。いいに決まっている。……ああ、感謝しないとな。危うく化け物に食われるところだった。
「ありがとなー」
「うー? あはは!」
男が頭を撫でてやると、娘は嬉しそうに跳ね回った。来年から幼稚園だ。早いものだ。
部屋を駆け回る娘を横目に、男は椅子の背もたれに寄りかかる。
――グンッ!
その瞬間、肩を強く揺さぶられた。
慌てて後ろを向く。だが、誰もいない。
そんな……まさか……。
震えながら視線を戻すと、娘は無邪気に積み木で遊び始めていた。
男は娘に向かって手を伸ばす。
だが、また肩を揺さぶられ……。




