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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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案山子           :約2000文字 :じんわり

「おい、止まれ。そう、おまえだよ、おまえ。こっち来い」


 走っている最中に呼び止められた僕は、言われるがまま“彼”に近づいた。そうしたかったわけでもない。けれど、気づくと足が勝手に動いていた。


「……何か用?」


 呼吸を整えつつ、周りに人がいないことを確認してから問いかけた。言うとおりにしたのは、彼の横柄な態度に萎縮したからじゃない。もちろん驚きはした。走っていたことと関係なく、胸が早鐘を打っているのも確かだ。僕がただ従ったのは、彼が……


「おれは案山子やってるんだけどよ、ちょいと頼みがあるんだ」


 そう、案山子。うん、案山子。見れば見るほど完璧な案山子だ。全身が藁でできていて、目や口は藁の上に直接、絵の具か何かで描かれている。描いた人が絵心があるのか、妙にくっきりとした顔立ちだ。

 昨今の畑事情は知らないけれど、ここまで案山子らしい案山子は探してもそうそう見つからないだろう。でも、だからといって、納得できる話じゃない。案山子が喋るなんて。


「海までつれてってくれや。実はよお――」


 案山子の話によると、自力では動けない。畑は見飽きた。だからどこかへ行きたい、どうせなら海がいい、とのことだ。


「じゃ、よろしくな!」

「え、嫌だ」


 僕は即答した。海までは遠くない。でも、この案山子を背負っていくとなると、かなりの重労働だ。それに、いくら深夜だからといって、人目を引く。不審者として通報されかねない。警官もきっと驚くだろう、野菜泥棒ならまだしも案山子泥棒なのだから。


「ま、そう言わずに頼むぜ。連れてってくれないなら、叫んじまおうかな! ここに野菜泥棒がいるぞ! 誰かー!」

「わかった、わかったから! 連れてくよ。だから静かにして……」


「サンキュー! 感謝するぜい!」


 案山子はクネクネと体を揺らした。喜びを表現しているつもりらしい。

 了承したものの、無視して走り去ればよかったかなと僕は思い始めた。相手はどうせ動けないんだ。追ってこられないし、それに……そう、どこにも行けない、か。

 僕は畑に入り、案山子を引き抜くと、近くに落ちていた縄を使って、背中にしっかり括りつけた。長居は無用だ。僕は十字架を背負うような気持ちで歩き始めた。


「おうおう、いい夜空だなあっと」


 案山子が上機嫌に言った。それだけじゃない。鼻歌まで歌い出した。腹が立つ。なんでラップ調なんだ。まあ、それはそれとして……。


「……まさかとは思うけど、歩いていくうちに徐々に僕の体が案山子に、逆にそっちは人間になっていくってオチじゃないだろうね」


 僕は彼に訊ねてみた。正直、自分でも馬鹿げたことを言ってる自覚はある。でも、相手は喋る案山子だ。何が起きてもおかしくない。自分の体の変化を見逃さないようにしよう。


「なんだそれ? ははは!」


 案山子は吹き飛ばすように笑った。その快活な声を聞いていると、なんだか肩の力が抜けていく。ああ、笑いたいのはこっちのほうだ。病院を抜け出し、案山子と海まで逃避行だなんて。僕は本当に頭がおかしくなってしまったのだろうか。こんな姿、他人からは奇行にしか見えないだろう。畑から盗んだ案山子を背負い、そのうえ話しかけているのだから。


 足を進めるうちに、空がほんの少しだけ明るくなってきた。このペースだと、海に着いた頃には夜が明けるんじゃないか。

 ……まあ、それもいいか。案山子と並んで朝日を浴びてる自分を想像したら、思わず笑いが漏れた。

 案山子の鼻歌が少し大きくなってきた。僕が笑ったから、案山子も楽しい気分になったのだろうか。本腰入れて歌い出したら地面に叩きつけてやろう。そんな想像をして、僕はまた笑った。

 やがて、潮の香りが鼻をくすぐり始めた。案山子はそれに気づいたのか、興奮したように体を揺らした。やめてほしいが、聞いちゃくれないだろう。

 僕は耳を澄まして波の音を探したけど、案山子の鼻歌が邪魔をするので断念した。


「機嫌良さそうだな、ベイビー」


 案山子が突然そう言った。僕は肩をすくめ、何のことかわからないって顔をした。でも、本当は気づいていた。案山子が喋っているときも鼻歌が途絶えなかったことに。僕もいつの間にか鼻歌を口ずさんでいたんだ。

 でも、案山子の勝ち誇ったような態度がなんだか癪なので、もう一つ気づいたこと――歩くたびに心が軽くなっていくことに、僕は気づかないふりをした。

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