9 もう一つの願い
目を覚ますのは愛菜のほうが早かった。
見覚えのある世界だった。なんとなくここに来るのではないかと分かっていた。自分も最初に来た場所だから。
この世界が以前と変わっていないことを確認し、隣の翔悟を起こした。
「ん……んん、え、ここどこ!?」
「おはよう、翔ちゃん」
「……あ、あぁ。おはよう」
少しの間が流れた。翔悟はしきりに周りをキョロキョロしている。
「……? どうしたの?」
心配に思った愛菜は翔悟に問いかけた。
また微妙な合間があった後、翔悟は返答した。
「えっと、君のこと思い出せないんだ。この世界の人かな?」
愛菜は絶句した。
「ほら、私だよっ! 愛菜だよっ!」
「愛……菜……?」
「本当に覚えてないの!?」
「あ、ああ。記憶が曖昧で……。自分が転生したのは覚えてるんだけど……」
なによりもショックが大きかった。親友に忘れられるということは愛菜の心に深い傷を与えた。
これが神の仕業であることは、愛菜にはすぐにわかった。
しかし、こんなパターンは今までには起こらなかった。神様が記憶にまで介入することはなかった。一時的であると仮定しても、心にぽっかり穴が開いたような感覚に陥った。これがずっとだったらと思うといてもたってもいられなくなった。
愛菜は必死に考えた。
この世界で探検するうちに記憶が戻るのか。しかし、この世界には何もない。何もないというより、何もかもがあり過ぎる。
だが、次の世界で翔悟の記憶が戻るかどうか、愛菜にはわからなかった。だからといってこのままチュートリアルの世界にとどまってはいられない。自分が悲しくなっていくだけだ。もっと翔悟にはいろんな世界を見てほしい。
ーーたとえ自分を覚えていなくても。
そんな自己犠牲すら覚えた。翔悟が自分を覚えていなくても、悲しいのは自分だけ。
ーーそれでも、行動が何のためになるのか、それは神にしかわからない。
思い出してもらうには、そして翔悟にいろんな世界を見てもらうためにはこの世界を抜けるしかないという結論に至った。
「行こう、翔ちゃん。早く抜け出そう!」
「お、おう。あ、愛菜」
幸いこの世界の抜け道は知っていた。以前と違って大きくショートカットできる。
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恵さんのいるハセ街までの道のりも、恵のラボの場所もなんとなく覚えていた。
愛菜は焦っていた。翔悟は戸惑っていた。
歩いている間、愛菜と翔悟は言葉を交わすことはほとんどなかった。
愛菜はラボの戸を叩いた。
「すいませーん」
「……はーい」
しばらくした後、戸が開き、女性が出てきた。
「恵さん! あの、二人を飛ばしてください!」
「あ、はーい。こちらへどうぞ」
ラボの中は愛菜が来た時と何一つ変わっていなかった。
「はい、これをかぶってください」
渡されたのは見たことのあるヘッドギア。二人は指示どおり、それをつけた。
翔悟はわけもわからないまま指示に従った。
「転移の際、アバターはあなた方の理想を最大限に反映したものになります。なお、完全に転移させるため、ゲームクリアするまでログアウトできません。ゲーム内の死はご自身の死に直結します。そこで転生できるかどうかは、神様次第です」
「はい、わかりました」
一度聞いたセリフ。一言一句違わなかった。
この世界はそういう世界なのだから。
「じゃ、いくよ」
「はい、お願いします」
カチッというスイッチの音とともに、機械の稼働音がし始めた。
「はやかったなー、RTA最速かな?」
愛菜は独り言をつぶやいた。自分で自分を笑うことしかできなかった。それすらなんの慰みにもならなかった。
『area』で翔悟は、愛菜が翔悟を死に巻き込んだことを気にしていなかった。その言葉に甘えてしまっていた。何が翔悟のためで、何が自分のためで、何が世界のためかなんて、ちっぽけな人間一人の思うようになることはない。
「……それなら少しくらいわがままでもいいかな……」
愛菜は声を振り絞った。
「翔ちゃん……私を……石須愛菜をわすれないで……」
「……あい……な……」
翔悟はその言葉を反芻した。
彼の意識は飛んでいき、最後にドット文字だけが目に映った。
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