↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第四章 予防 ―― 誰も、礼を言わない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/166

第56話 折れるはずだった骨

十月が終わった。


開幕から十試合で四勝六敗。


去年の同じ時期は十戦全敗だった。


守り勝ちが形になってきていた。サントスがゴール下に立ち、東が外を消す。そして――選手が、壊れていない。



宮里澪の仕事は、相変わらず地味だった。


毎日、数値を測る。誰かの練習を途中で止める。連戦の二日目に、誰かを二十分で下げる。


何も、起きない。


志水は疲労骨折をしなかった。東の膝は去年よりもっている。


それは、宮里がいなくても、そうなったかもしれない。誰にも分からない。"何も起きなかった"のだから。


その証明できなさが、この仕事のいちばんきついところだった。



一度、浜口が、宮里に聞いた。


「宮里さん。……正直、費用対効果が、まだ分からないんですよ。あなたのおかげで、何が良くなったんですか」


宮里は少し考えて答えた。


「何も、悪くなってません」


「……それは、答えになってますか」


「なってません」


宮里は言った。


「でも、それが、答えなんです」


浜口はその答えをノートに書き留めた。分からないまま、書き留めた。いつか分かる日が来るかもしれない、という顔で。


その夜、浜口は、要に別の数字を見せた。


「宮里さんを入れて、損益分岐が上がりました。三千から、三千三百に」


浜口は言った。


「トレーナーの人件費ぶんです。……つまり、あと三百人ぶん、要さんの持ち出しが増えました」


要はその数字を見た。春に、浜口が言った通りだった。いい投資をするほど、超える線が、高くなる。


「それでも、雇いました」


要は言った。


「僕が、埋めます。……あの人が、いつかこの三百人ぶんを返してくれるまで」


浜口は、その"いつか"を、まだ数字で書けずにいた。要の私財が、その"いつか"より先に尽きたら、どうなるか。それも書けなかった。



ある日、宮里が、番場剛の膝を見ていた。


番場はテーピングだらけの膝を宮里の前に出していた。


「……ひどいもんだろ」


番場は笑った。


宮里は笑わなかった。その膝を長いこと触っていた。古い手術の痕。すり減った軟骨。この膝でまだ跳んでいることのほうが、宮里には信じられなかった。


「番場さん」


「あん?」


「あと、何年、やるつもりですか」


番場は少し黙った。


「……知らねえよ。気がついたら、やってる」



宮里は頷いた。それ以上は言わなかった。


膝から手を離すと、テープを一本、巻き直した。前より、少しきつく。番場が少し驚いた顔をした。


十七年、この膝は、番場一人のものだった。痛いのも、庇うのも、隠すのも、全部、一人でやってきた。


その膝を、黙って巻き直す人間が、この会社にいる。


初めてのことだった。



要はそれを二階から見ていた。


宮里が来て、選手の体を、誰かが見るようになった。床が半分、新しくなった。郷田が自分で駒を選べるようになった。東は二人ぶん走らなくてよくなった。


どれも、去年より、いい。


だが、どれも、外からは見えない。


壁の札は増えた。観客も増えた。だが、四千人には、まだ遠い。あと二千人をどう増やすか。要はまだその絵を持っていなかった。



去年、要が集客を伸ばしたのは、屋台と、東と、掲示板だった。


屋台は鍬形が焼いている。東はコートで走っている。掲示板は町の誰かが勝手に書いている。


どれも要のものではない。


そして、掲示板は、こちらの都合では動かない。褒めるも、叩くも、あちら次第だ。


クラブが、自分の言葉で、自分の物語を語る。その口が一つも無かった。


去年はそれでよかった。まず、潰れないことが先だった。


だが今年は違う。


このクラブには、語るべきものが増えていた。守り勝ち。壊れない選手。半分だけ新しい床。膝を、いつも見てもらう番場。


黙っていても、勝てば、少しは伝わる。


だが、"黙っていても伝わる"のを待っていたら、四千人には一生届かない。



見えないものを、伝える人間が、要る。


要は一枚の古い新聞の切り抜きを思い出していた。


何年か前、誰にも読まれなかった署名記事。造船所が閉まる日の工員たちを追った記事だ。


その記事を書いた人間の名前を、要は覚えていた。


佐伯(さえき)涼真(りょうま)。


要は、その切り抜きを鞄に入れた。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。