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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第四章 予防 ―― 誰も、礼を言わない

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第54話 前日までに言え

宮里澪の仕事は地味だった。


選手の練習を数字で測る。何本ジャンプしたか。どれだけ走ったか。前の日と比べて、どれだけ疲れているか。


そういうものを、毎日、記録していく。


選手は、最初、戸惑っていた。今まで、そんなものを測る人間は、いなかったからだ。


「これ、意味あるんすか」


志水がそう聞いた。若手は疲れを認めたがらない。


「あなたの跳ぶ高さが、二センチ下がってます」


宮里は言った。


「本人が気づく前に、体は疲れてる。……二センチは、体からの最初の手紙です」


志水はその言葉をよく分からない顔で聞いていた。


だが次の日から、宮里の机の前に、いちばん最初に並ぶようになった。自分の体が二センチぶん、何かを言っている。それが少しこわくなったのだ。



最初のぶつかりは、価値観ではなかった。運用だった。


ある試合の二時間前。宮里が郷田のところへ来た。


「今日、志水を、出さないでください」


郷田の顔が変わった。


「……今日?」


「ジャンプの数値が、危険域です。今日、無理をすると、疲労骨折の可能性が――」


「二時間前だぞ」


郷田は言った。声は荒くなかった。だが、低かった。


「今日の采配は、もう組んである。志水を、後半のあの時間で使う前提で、全部だ。それを二時間前に崩せってか」



宮里は黙った。前の職場なら、ここで覆されていた。だから、身構えた。


だが、郷田は少し間を置いて言った。


「止めるのは、構わん」


「え」


「志水が危ねえなら、出さねえ。それは、あんたの領分だ。……だがな」


郷田は宮里を見た。


「二時間前に言うな。前日までに言え」


「……」


「前日に言われりゃ、俺は、志水抜きで勝つ形を作る。それが、俺の仕事だ。二時間前じゃ、それができねえ」


宮里はゆっくり頷いた。


「……はい」


「分かりゃ、いい」


郷田はそれだけ言って行った。


揉め事ではなかった。プロ同士の、擦り合わせだった。宮里はそれを初めて経験した。



その日から、宮里は前日までに報告するようになった。


「明日、志水は、負荷を落としてください」


「明日の東は、大丈夫です。ただ、連戦の二日目は、二十分で」


郷田はそれを聞いた。文句を言わなかった。前日に言われたぶんは、全部、采配に組み込んだ。



その週の試合。志水はベンチにいた。出たそうにしていた。


だが、郷田が代わりに使った若手が、その時間よく守った。潮見は五点差で勝った。


試合のあと郷田が宮里に言った。


「今日の勝ち、お前のぶんも入ってるからな」


宮里はきょとんとした。


「志水を、前日に外させたろ。おかげで、俺は別の手を組めた。……お前が黙ってたら、俺は今日、志水を後半で潰してた」


郷田はそれだけ言って行った。


宮里はしばらくその背中を見ていた。


"止めたこと"を、勝ちに数えてくれた人間は、初めてだった。


前の職場では、宮里が止めるたびに、現場の空気が少し重くなった。「またか」という顔をされた。止めることはチームに迷惑をかけることだった。


ここでは違った。


止めることが勝ちの一部になっている。


宮里はその夜、初めて、この町に来てよかったと思った。



要はそれを少し離れて見ていた。


去年まで、この会社で選手の体を気にする人間は、郷田一人だった。


今は、二人になった。


それだけで、東の膝は少しだけ、長くもつはずだった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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