↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第一章 屋台 ―― 客単価から、数え直す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/164

第3話 焼き鳥、一本

鍬形が折れてから、話は少しだけ動いた。と言っても順調とは程遠い。


「ホエールズぅ? あんたも懲りないねえ」


「鍬形さんが? へえ……いや、でも、うちはなあ」


門前払い。門前払い。また門前払い。


要実は頭を下げて通りを回った。断られても次の店の暖簾をくぐった。断られても、また次へ。


三年前まで、そこにいた店主たちだ。要の顔を覚えている者もいたし、実家のことに触れて口ごもる者もいた。



それでも、たった一言が通りの空気を溶かしていった。


「鍬形んとこが、やるんだと」


この一言が出ると、渋っていた店主の目が変わる。


「……あの偏屈が? 冗談だろ」


「本当かよ。じゃあ、話くらいは聞くか」


総菜屋のおばちゃん。暇を持て余した魚屋の大将。半分、店を畳みかけていた和菓子屋。


試合日までに要が口説けたのは――鍬形を入れて、四軒だった。



そして、試合当日。


朝から要はコンコースにいた。冷たいコンクリートの床に、四つの屋台がぽつんと並んでいる。いつものしなびた売店のすぐ隣に。


浜口が腕を組んでその様子を眺めていた。


「……本気でやるんですか、これ」


「やります」


「うちの客は千五百人ですよ。しかもみんな、試合が始まる直前に来て、終わったらまっすぐ帰る」


要は答えなかった。ただ、鍬形が炭に火を入れるのを黙って見ていた。



開場。まばらな客がぽつ、ぽつと入ってくる。いつもと同じ、寂しい光景――のはずだった。


だが今日は違うものがあった。


匂いだ。


タレの焦げる香ばしい煙が、コンコースにゆっくりと広がっていく。がらんとした体育館に、それはあまりにも場違いで――そして、どこか懐かしかった。


試合しか目に入っていなかった客の足が、ふと止まる。


「……なんだ? 焼き鳥?」


「え、今日、屋台?」


最初の一人が財布を出した。


「おやじ、二本くれ」


「あいよ」


じゅう、と脂の落ちる音。白い湯気が立ちのぼる。



要は少し離れた柱の陰から、その光景をじっと見ていた。


いつもはブザーと同時に来る客が、今日は少し早く来て、コンコースで足を止めている。連れと串を分けあって、笑っている。


一本、売れた。二本、売れた。


その一本ずつを、要は胸のなかで静かに数えていた。



試合が始まると、皮肉なことに屋台はさらに繁盛した。


ホエールズが弱いからだ。点を離され、逆転され、また離される。負け試合をただ見続けるのはつらい。


だが今日は――席を立てる。


ハーフタイムに総菜屋のコロッケを買う。子どもがたい焼きをねだる。魚屋の大将が急ごしらえしたあぶりの握りをつまむ。


試合を観に来たはずの客が、いつのまにか"その日"そのものを楽しんでいた。



「おい、要さん」


鍬形が額の汗を拭きながら、柱の陰の要を呼んだ。


「串が足りねえ。仕込み、全部はけちまった」


「……全部、ですか」


「ああ」


親父はぶっきらぼうに言った。だがその頬は火のせいだけではなく少し上気していた。


「こんなに焼いたの……何年ぶりかね」


その手は口とは裏腹に、もう次の仕込みのために動き始めていた。



試合は負けた。いつも通りの、二十点差の惨敗。


客が帰り、コンコースには屋台を片づける店主たちだけが残った。誰も、試合の結果の話はしていない。「今日は売れたな」と、それだけを言い合っている。


浜口が電卓を手に要のところへ来た。その顔はもう朝の不信の色ではなかった。


「今日の……会場内の売上です」


電卓の数字を要に見せる。それはクラブの年間赤字に比べれば、鼻で笑われるようなはした金だった。


要はその数字を覚えた。そして手帳を開き、昨日書いた数字のすぐ隣に書き足した。


小さな数字が二つ並ぶ。


「……これ」


浜口がぽつりと言った。


「去年までは、なかった売上ですよね」


要は答えなかった。ただ、少しだけ口の端を上げた。


浜口はその横顔を見て、初めて掴んだ気がした。この宝くじ長者が何を見ているのか、その、ほんの端っこを。



帰り際。片づけを終えた鍬形が要に串を一本差し出した。売れ残りの最後の一本。


「食え。売れ残りだ」


要はその焼き鳥を一口かじった。もう冷めていた。冷めていたが――旨かった。


まだ、たった一本。昇格まで、あと二千五百人。空の席は、うんざりするほど残っている。


だがこの夜。要の知らないところで――もう何年も動かなかった、あるスレッドが。


ひさしぶりに、ざわつき始めていた。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。