第24話 分かりません
二日後の朝、浜口が来た。
「一週間、経ちました」
浜口はファイルを抱えている。前と同じファイルだ。
そして、椅子に座る前に、一つだけ言った。
「……掲示板、荒れてますよ」
「見てません」
「そうでしょうね」
浜口はファイルを机に置いた。
「俺は、見ます」
「そうですか」
「毎日、見てます。……朝いちばんに」
浜口の声は報告する声だった。
「あそこに書いてあること、だいたい正しいんですよ。悔しいですけど」
要は何も言わなかった。
「苅田さんの件です」
要は顔を上げた。
「残します」
浜口は動かなかった。
しばらくして、静かに聞いた。
「……一つ、確認させてください」
「はい」
「先週、この部屋で、俺は何と言いましたか」
要は覚えていた。
――切らない理由は、ありますか。
――……ありません。
「一週間で、何か変わりましたか」
浜口は聞いた。
「出場時間は増えましたか。年俸は下がりましたか。枠は埋まりましたか」
「……いえ」
「何も変わってないんですね」
「はい」
浜口はしばらく黙っていた。
「……理由を、聞いていいですか」
要はすぐには答えなかった。
机の上には一週間ぶんの紙がある。オンオフ。時間帯別。三シーズンぶんの記録。黒木の証言を書き取ったメモ。
そのどれも理由になっていなかった。
「説明できません」
浜口の顔が変わった。
要はそれを見ていた。
「……オーナー」
「はい」
「それ」
浜口の声は震えてはいなかった。だが、低くなっていた。
「前のフロントと、同じですよ」
事務室が静かになった。
要は何も言わなかった。言えることが無かったからだ。
浜口の言うとおりだった。
説明のない名簿。理由を聞かせない編成。それを東京から送りつけられて、この部屋で受け取って、郷田に渡した男が、いま目の前に立っている。
その男に、要はいま、同じことをした。
「……そうですね」
要はそう言った。
「同じです」
浜口はそれ以上何も言わなかった。
長い沈黙があった。
やがて浜口は思い出したように聞いた。
「あの紙は、なんだったんですか」
「紙」
「四点のやつです。……俺、あれ、いけると思いました」
要は引き出しを開けた。
そして、二枚の紙を出した。一枚には線が引いてある。
「二年前の同じ時期です。苅田さんはいました。同じように切り取ると、五点増えてます」
浜口は二枚を見比べた。
そのまま、しばらく動かなかった。
「……ノイズですか」
「八試合しかありません。何でも言えます」
浜口は紙から目を上げなかった。
「あれを出されてたら」
「ええ」
「俺、通してましたよ」
「知ってます」
要は言った。
「だから、出しませんでした」
浜口はゆっくりと顔を上げた。
そして、聞いた。
「一つだけ、いいですか」
「はい」
「あなたは」
浜口は要を見た。
「苅田さんを、切りたくないんですか。それとも、切っちゃいけないと思ってるんですか」
いい質問だ、と要は思った。
前者なら情だ。後者なら判断だ。要が半年、一度も混ぜてこなかった二つだった。
要は考えた。
そして、正直に答えた。
「……分かりません」
浜口が息を吐いた。
要にはその意味が読めなかった。
浜口はファイルを閉じて、脇に抱え直した。
「オーナー」
「はい」
「前のフロントは、説明しませんでした」
浜口は言った。
「……でも、『分からない』とは、一度も言いませんでした」
要は顔を上げた。
「あの人たちは、いつも、分かってるんです」
浜口の声は静かだった。
「点が取れる外国籍を獲れ。客が入る絵が欲しい。この面子で勝て。……全部、分かってる人間の言い方です」
浜口はそこで口を閉じた。
そして、自分の言葉に自分で困ったような顔をした。
「……失礼しました。今のは、感想です」
浜口はドアのところまで行った。
そこで一度だけ振り返った。
「九百万は、どこから出すんですか」
要は答えなかった。
「……そうですか」
浜口はドアノブに手をかけた。そして、要のほうを見ずに言った。
「掲示板に、書いてる人がいましたよ」
「……」
「『切らない理由がない』って」
浜口は出ていった。
賛成とも反対とも、この男は言わなかった。
要はしばらく、その閉まったドアを見ていた。
その一行だけが、いま、この部屋に置かれていた。
(……そのとおりだ)
要は机の上の線を引いた紙を見た。
それをもう一度、引き出しにしまった。捨てはしなかった。
(……残す)
理由は無い。
要は手帳を開いた。苅田悟の名前の横はまだ空白だった。
ペンを持って、しばらく動かなかった。
ノックの音がした。
「……いいですか」
聞いたことのない声だった。
やたらと、明るい声だった。
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