第220話 首席の検め手ケラー
ケラーは、検め場のいちばん奥にいた。
ほかの検め手より、少し高いところに卓がある。そこから三百人の卓を見下ろせるようになっていた。……だが、その男は卓を見下ろしてはいなかった。手元の品を見ていた。ほかの三百人と同じように。
五十がらみの男だった。やせている。背を丸めて品をのぞきこむ癖がついている。指が長い。爪が短く切りそろえてある。
この男が三百人の検め手の頭だと、ザマーは道々話していた。三十年、この卓に座っている。盟でいちばん速い目。いちばん確かな目。……盟主でさえ、ケラーが弾いた品には口を出さないという。
俺が近づくあいだにもケラーは品を弾いていた。
箱が一つ、その卓に回されてくる。ほかの三百人の誰かが判じかねた品だ。迷った品だけが最後にこの卓へ来るらしい。ケラーはそれを手に取り、ひと目で「外」と言った。木札を裏返して戻す。次の箱。今度は「内」。……迷いがない。三百人が判じかねたものを、この男はひと息で分けていった。
「ケラー」
ザマーが呼んだ。
「盟主の客人だ。……お前と同じ目を持つ方だそうだ」
ケラーは顔を上げた。
俺を見た。値踏みするでもなく、警戒するでもなく。ただ静かに見た。
「同じ目、というのは」
ケラーは言った。声が低い。
「ありません。目は、一人に一つです。同じ目など、ありようがない」
それは嫌みではなかった。本当にそう思っている、という言い方だった。
ザマーが卓に品を置いた。
鉄の塊が二つ。鉱石が二つ。……どれも見た目はよく似ていた。
「一つ、遊んでいただきましょう」
ザマーが言った。
「お二人で同じ品を視る。何が視えたかを言い合っていただく。……盟主のご希望です」
◇
俺は鉄の塊を手に取った。
ケラーも同じ形のもう一つを取った。
「炭が多い」
ケラーが言った。俺が口を開く前だった。
「西の山の鉄だ。木炭で焼いている。石炭ではない。焼きの温度が上がりきっていない。芯に焼け残りがある。……鍛えれば飛ぶが、このままではもろい」
俺は自分の手の鉄を視た。
……同じだった。炭が多い。西の鉄。芯に焼け残り。この人が言ったことは一つも間違っていない。俺が視たものを、そっくりそのまま俺より速く言った。
「本物だ」
俺は思わず言った。
この人は本物だった。俺と同じものが視える。いや、慣れているぶん、俺より速い。連合の徽章持ちでも、ここまでは視られない。セレネさんでも。
「農具の鉄ですね。剣にはならない。でも、くわや、かまにするなら、いい鉄だ」
ケラーはちらりと俺を見た。
「線の、内側だ」
それだけだった。
「次は、鉱石を」
ザマーが言った。
俺は鉱石を取った。ずしりと重い。黒っぽい石に、鈍い光の筋が走っている。
「鉄鉱だ」
ケラーが言った。「上物。混じり物が少ない。焼けば、いい鉄になる。……線の、うんと内側だ」
「掘った人は」
ケラーがはじめて、少し間を置いた。
「……何と?」
「この石を掘った人は、喜んだでしょうね」
「こんないい筋の出る石は、そうそう当たりません。掘り当てた日は、きっといい日だった」
ケラーは俺を見た。
その目にはじめて、分からない、という色が浮かんだ。
「それは」
ケラーは言った。「検めと、何の関わりが」
「関わりは、ないです」
俺は正直に言った。
「でも、視えます。……この石は、当たりだって」
ケラーはしばらく黙っていた。
それから静かに首を振った。
「線の内側の品に、良いも悪いもありません」
男は言った。淡々としていた。
「良いか悪いかは、値をつける者が決める。私は線を引くだけです。内側か、外側か。……掘った者が喜んだかどうかを、私は視ません。視る必要が、ない」
かみ合わなかった。
この人には俺の視ているものが視える。俺よりよく視える。……なのに、俺の言っていることが通じない。同じ石を見て、同じものを視て、片方は線を見て、片方は掘った男の顔を見ている。
俺たちは、同じ目で違うものを見ていた。
俺は、この人を言い負かしたいわけじゃなかった。ただ、もったいないと思った。これだけ視える目で、線しか見ないなんて。……だが、それを言う言葉を、俺は持っていなかった。ザマーの前で言えることでも、なかった。
だが、鉱石を戻すとき、俺は気づいた。
ケラーがその石をほんの少し長く手のひらに乗せていた。掘った人は喜んだでしょうね。……俺のその言葉のあと、ほんの少しだけ。それから何ごともなかったように木箱へ戻した。
気のせいかもしれない。……たぶん、気のせいだ。三十年、線だけを見てきた人が、掘った男の顔を今さら見るはずがない。
それでも俺はその手を少しだけ覚えておくことにした。
◇
その日の夕方、宿に戻ると、フィオナさんが壁にもたれて槍の穂を研いでいた。
「暇だ」
俺の顔を見るなり、そう言った。
「この街は暇でしょうがない。魔物が出ない。喧嘩も起きない。……あたしのやることが、何もない」
ノアは窓辺に座って遠くの山を見ていた。この都に来てから、ずっとそうしている。
「道がなさすぎる」
ノアがぼそりと言った。
「どこもかしこも、きれいに敷いてある。おれの読む道が、一本もねえ。……こんな街に、おれとフィオナはいらねえのさ」
それから、ノアは低い声で付け足した。
「……市で、山の話を聞いた。門の街の奥の、青い筋の出る山だ。盟が、あそこに目をつけてるらしい」
俺はノアを見た。
「掘るのか」
「掘って、掘って、掘り尽くすのさ。線の内側の石だけ抜いて、あとは捨てる。……おれの山が、百のうちの三になる」
ノアの声は静かだった。静かなぶん、怒っていた。
俺は二人を見た。
門の街では、フィオナさんが前に立ち、ノアが道を読み、俺が品を視た。三人で、やっと一つだった。……この都では俺だけが呼ばれている。フィオナさんの槍も、ノアの道も、ここには居場所がない。
この都は、そういう場所だった。
線の内側に、居場所がある。線の外の者は、槍も、道も、いらない。
「レイ」
フィオナさんが研ぐ手を止めた。
「あんた、あの盟主に気に入られてるんだろ。……取られるなよ。あたしらの検品係だぞ」
俺は返事ができなかった。
次の朝、ザマーがまた迎えに来た。
「盟主がお呼びです」
ザマーは言った。
「……今日は、お話が、あるそうです」
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