第160話 連合を巻き込む
本部の宿で三日を過ごすうちに、外の空気が変わっていくのが分かった。
俺は政治のことは分からない。だが宿の窓から見えるものが、日ごとに増えていく。立派な馬車。旅装の使者。遠い街の紋を染めた旗。丘の上の組合本部へ、連合のあちこちから人が集まり始めていた。フィオナが表を見てきて、通りが使者でいっぱいだと言った。何かが大きく動いている。それだけは、俺にも分かった。
テオがそれを説明してくれた。
「連合が、動き出したんだ」
テオの顔は硬かった。
「組合公認の南の名産に、偽物が混じっている。その話が、隊商の道を伝って連合じゅうに広がった。──もう、止められない」
俺はグラナの婦人の絹を思い出した。宝飾商の玉。組合の判が押された、偽りの品。あれは、たまたまじゃなかった。二十年、連合じゅうに流れ続けていた。誰も中を確かめなかった。組合の判があったからだ。
「連合の商いは、ぜんぶ、あの判の上に乗っている」
テオは指を組んだ。
「遠い街の品でも、判があれば信じられた。会ったこともない相手と、取引ができた。判が人と人のあいだの信用そのものだったんだ。その判が偽物を通していた。──連合の商人は、いま、それに気づき始めている。自分が正価で買ったあの品も、偽物だったんじゃないか。そう疑い出したら、もう止まらない」
テオはそう言って窓の外を見た。
「組合の権威そのものが、揺れているんだ。二十年ぶんの嘘の重みで」
◇
翌日、連合の使者が本部を訪れた。
東の交易都市の名代、ザネッティ。前に一度グラナで会った人だ。緞子の染めの薄さを言い当てたとき、二十年布を扱って気づかなんだ、と頭を下げた。あのときは、俺を召し抱えたいと言った。いまは、もっと大きな用件で来ていた。
ザネッティは評議会の広間で、一つの品を差し出した。
香木だった。細く黒っぽい、いい香りのする木片。組合公認の、南の名産。上等の判が押されている。
「これを、視てくれぬか」
ザネッティは俺のほうを見た。評議員たちの目も、いっせいに俺へ集まった。俺はその香木を手にとった。
まず、いつものように視た。
……ダメですね、これ。
「これは、南の香木じゃありません」
俺はそう言った。
「北の、安い木です。香りのしない木に、あとから南の香を焚き染めてある。表の匂いだけ、それらしく。木そのものは、木目が粗い。切り口の色も薄い。南の香木なら、切ったところから、もっと濃い脂がにじむはずです。──これは、中身の伴わないうわべの品です」
広間がしんとした。
金の徽章の評議員がその香木を受け取って、鼻に近づけた。首をかしげ、それを隣の銀の徽章へ回した。皆が匂いをかいだ。誰も北の木だとは見抜けなかった。匂いはたしかに南の香木のものだった。徽章の目は、格と値を読む。だが表の匂いの奥までは、届かない。
ザネッティが深く息を吐いた。
「……やはりな。組合の判のついた、上等の香木だ。連合じゅうの寺や商家が、正価で買ってきた。それが、北の安木に匂いをつけただけのものだったとは。──この目の前で、視抜かれるまで、我らは誰も知らずにいた」
ザネッティは評議員たちのほうへ向き直った。
その声は静かだったが、広間の隅まで届いた。
「これは、香木一つの話ではない。組合が上等と保証してきた南の名産の、いくつが本物なのか。──連合の誰にも、もう分からぬのだ。組合の判が当てにならぬと分かったいま」
評議員たちは、答えられなかった。
「連合の商いは、組合の判の上に成り立ってきた。この判があるから、遠い街の品も信じられた。見知らぬ相手とも取引ができた。その判が二十年、偽物を通していた。──ならば我らは、これから何を信じればよい」
誰も、口を開かなかった。
ザネッティは俺のほうを、ちらと見た。
「連合の有力者たちは話し合った。モラッティ殿も同じ考えだ。組合が自ら古い罪を明るみに出し、判を作り直すなら、我らは組合を待とう。だが組合が古い名を守るためにこれを闇へ葬ろうとするなら──」
ザネッティはそこで言葉を切った。
「連合は、別の物差しを持つ。徽章の格ではなく、品そのものを視抜く確かな目を。すでに、それが誰かは、連合じゅうが知っている」
その視線がまた俺に戻ってきた。
俺は居心地が悪くなった。
◇
広間を出て、俺は長い廊下を歩いた。
俺はただの検品係だ。香木を視て、北の木だと言った。それだけだ。なのに連合ぜんたいの物差しが、どうとか。組合を待つとか待たぬとか。俺の視たものが、そんな大きな話の真ん中に勝手に据えられていく。
「レイ」
うしろから、セレネが追ってきた。
「顔色が、よくないわ」
「……俺は香木が北の木だと言っただけなんです。それが、どうして連合の物差しの話になるんだか」
セレネは少しだけ笑った。それから、まじめな顔に戻った。
「あなたが視るだけで、隠れていたものが、表に出る。あなたはただ視ているだけ。でも、それがもう、連合を動かしているの。──こわい?」
俺は少し考えた。
「こわい、というか。俺の名だけが、俺の手の届かないところで大きくなっていく気がして。それで、誰かにあらぬ火の粉が降りかからないか」
セレネの目がふっと陰った。
俺はそのとき気づかなかった。彼女の父もまた、その火の粉の下に立っているのだということに。人の心は俺には視えない。
◇
その夜、本部のいちばん古い席の男は、静かに動き始めていた。
連合の外圧が組合を追い詰める。判を作り直せ。古い嘘を暴け。丘の上へ、その声が満ちていく。守旧派の評議員たちが青ざめ、レーヴェのもとへ集まった。どうする、と。このままでは、組合が連合に呑まれる、と。
レーヴェは声を荒らげなかった。
連合が求めているのは、組合を壊すことではない。信じられる判を取り戻すことだ。ならば道は二つ。組合が自ら古い嘘を認め、判を作り直すか。あるいは、この嵐そのものを鎮めてしまうか。──嵐の芯にいるのは、あのグラナの検品係だ。あの男の目が連合をここまで焚きつけた。その目を組合を壊す危うい刃だと、評議の前で示すことができれば。潮は、変えられる。
レーヴェは静かに一つの手を選んだ。秩序を守るための、最後の手を。追い詰められた長老が、二十年守ってきた壁のために、冷たく牙を研ぎ始めていた。
嵐はもう、丘の上まで来ていた。
面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。




