第113話 横取りの代償
冬の入り口に、その報せは連合じゅうを駆けめぐった。
ダンスク保証の大口の荷が、まるごと外れた。
東の三つの街へ納めた、ひと冬ぶんの建材と油と樽。そのほとんどに、芯の悪いものが紛れていた。屋根板は雪の重みでたわみ、油は灯すそばから消え、樽は仕込んだ酒を残らず漏らした。一つの街ではなく、三つの街で同じことが起きた。
被害は、これまでの比ではなかった。
冬を越すための支度が、まるごと無駄になった街もあった。雪はもう降り始めている。買い直す暇も、銀もない。三つの街の長が、そろってダンスク商会へ詰め寄った。違約だ。償え、と。
その話は、バッソが真っ先にグラナへ運んできた。
「東で大ごとだ」
御者頭は、馬の汗もぬぐわずに言った。
「ダンスクの大口が、まるごと外れた。三つの街が冬の支度をふいにした。連合じゅうが、保証の焼き印にそっぽを向き始めてる。──ヴィオラ・ダンスク、今度ばかりは危ないぞ」
俺はその話を、静かに聞いていた。
起きたことは、これまでと何も変わらない。抜き取りで通したぶんに、芯の悪いものが紛れた。ただ今度は、その荷が大きすぎた。小さな外れなら一人の客が泣くだけで済む。けれど大口の外れは、街ごと冬を奪った。同じ仕組みの、同じ外れ方だった。ただ規模が違った。
◇
ダンスク保証の評判は、坂を転げ落ちた。
これまでは、外れても安さと速さで人が集まった。一つ外れても、十が当たれば文句は出ない。そういう商いだった。けれど大口の事故は、その釣り合いを壊した。十のうち十が外れる日があると、皆が知ってしまった。
保証の焼き印は、いまや疫病神のしるしだった。
連合じゅうの商人が、ダンスク保証の品を棚から下げた。買い手も近寄らなくなった。安いだけでは、もう誰も手を出さなかった。安くて外れるより、高くて確かなほうがいい。冬を前にして、人々はそう学んだ。
「ざまあみろ、とは言わないけどさ」
フィオナが、腕を組んで言った。
「人の商売に割り込んで、抜き取りで焼き印ばらまいて。──こうなるのは目に見えてたわよ。あんたが組まないって断ったとき、あたしは胸がすっとしたもの」
俺はすっとはしなかった。
穴を埋めるはずの保証が、もっと大きな穴を空けた。その穴に、三つの街が落ちた。冬を越せない家がある。仕込んだ酒を失った造り手がいる。屋根のたわんだ家で、子どもが震えている。ダンスクが転んだぶん、誰かが冬に放り出されていた。
「勝ち負けの話じゃ、ないと思う」
俺はそう言った。
「ヴィオラさんが転んだのは、自分でまいた種だ。それは確かに。──でも、転んだのはヴィオラさんだけじゃない。芯の悪い品をつかまされた人が、いちばん損をしてる。俺はそっちが気になる」
フィオナは、ちょっと黙った。
「……あんた、ほんと、そういうとこね」
あきれたような、感心したような声だった。
◇
グラナには、また客が戻ってきた。
今度の戻り方は、これまでよりずっと多かった。ダンスク保証に流れていた客が、まとめてグラナの戸を叩いた。安くて速いより、確かなほうがいい。連合じゅうがそう傾いた。グラナの相談所は、朝から晩まで人が絶えなくなった。
俺は一つずつ視た。
持ち込まれる品を、いつも通り一つずつ。革。塩。鉄。薬。干し肉。麦。表は良くても芯の悪いものは、はじいた。外れは外れと言った。本物は本物と言った。やっていることは、追放された頃の検品場と何も変わらない。
ただ視る数だけが増えていた。
相談所の前には、朝から列ができた。革を抱えた者。樽を転がしてくる者。種もみの袋を背負った者。ダンスク保証に泣かされた者が、最後の頼みのようにグラナへ流れてきた。みな一様に、疲れた顔をしていた。安く早くに飛びついて、外れをつかんで、それからここへたどり着いた。
俺は一人ずつ品を受け取った。
外套を広げて芯を視る。樽を傾けて底を視る。種もみを一粒つまんで張りを視る。良いものには、安心していいと言った。外れには、これは使えないと言った。当たり前のことだった。けれどその当たり前を、連合じゅうが失っていた。だから皆、当たり前を求めてここへ来た。
夜になると、目の奥が重かった。来歴を視たわけではない。ただ数が多いだけで、人は疲れる。良いものを良いと言うだけでも、数が積もれば肩にこたえた。それでも一つも飛ばさなかった。飛ばせば、そこに外れが紛れる。ダンスク保証が、それを教えてくれていた。
ミレイユが、夜更けに茶を持ってきた。
「無理しないでね」
帳面を脇に置いて、ミレイユは言った。
「客が増えたのは、うちの手柄じゃない。向こうがしくじったぶん、こっちに人が来てるだけ。──潮が引けば、また落ち着く。それまで、あなたが倒れちゃ元も子もないわ」
「大丈夫です」
俺は茶を受け取った。
「視るのは、嫌いじゃないので。良いものを良いと言えるのは、気持ちがいい。──ただ、外れをつかんだ人のことを思うと、手は抜けない。それだけです」
ミレイユは少し笑った。困ったような笑い方だった。
◇
その夜、連合の南では。
ヴィオラ・ダンスクが、三つの街の長の前で頭を下げていた。
償いの銀は、商会の蔵をほとんど空にした。築き上げた信用は、ひと冬で砕けた。安く早くで連合を席巻したダンスク保証は、もう誰も口にしなくなった。横取りは、確かに成った。けれどその先のやり方を、彼女は持っていなかった。
会頭と同じ轍だった。
いや会頭よりも速く、大きく転んだ。広げるのが速かったぶん、崩れるのも速かった。穴を埋めようとして、自分が一番大きな穴に落ちた。
けれど会頭と一つだけ違うことがあった。
ヴィオラは、なぜ転んだのかを、もう分かっていた。
徽章では足りない。抜き取りでは芯が漏れる。全部を一つずつ視なければ、外れははじけない。レイの文に書いてあった通りだった。彼女は損の理由を、正面から見据えていた。見据えた上で、その壁を越えるすべを、まだ知らなかった。
砕けた商会の帳場で、ヴィオラは一通の文をもう一度開いた。
飾りのない字が並んでいた。安く早くとは両立しない、と。
彼女はその一行を、長いあいだ見つめていた。
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