箱館・小樽の発展 豚肉の商品化
ハム・ベーコンの製造は、一筋縄では行きません
特に、失敗しても我慢する自家消費ではありませんからね
加工による、変化は食文化にも波及してきました
史実でも、江戸時代に養豚は日本でも行われていた
薩摩藩が有名だが、他の地区でも細々と行われていた
食肉というより、主に堆肥作成のために飼育されていたと思われる
肉食は禁忌とされていたが、薬食いと称して肉食は行われていた
これは、徳内村の世界線で限定開港された箱館・小樽で食材を探す烹炊長の話から始まる
限定開港から2年が経ち、船長と経理・烹炊長の上陸が許されるようになった
烹炊長は、港から少し離れた管理された市場で食材を仕入れることが許された
グレアムは、箱館・小樽での食材で少し不満があった
豚肉と、その加工品がない事である
長崎は、唐人もいるので苦労はするが仕入れられない事もなかった
しかし、蝦夷地では和人としか交渉出来ないため
豚肉とその加工品は手に入らなかった
「なんで豚肉が入らないんだ、塩漬けだけでも良いのに!」
「野菜や蒸留酒(焼酎のこと)は、手に入るし、魚の塩漬けも手に入る。」
「しかし、豚肉がない!!」
探し回って、ついに蝦夷地には豚肉は売ってない事をグレアムは理解した
しかし、それで諦めるグレアムでは無かった
船長を通じて、取り引きを仕切る小樽問屋組合に要望を出した
「豚肉の塩漬け、ハム・ベーコンが欲しい」
小樽問屋組合も、どうすれば良いか困った
いきなり代官の一之進に話を持っていく訳にはいかない
開港の時尽力して貰った、青島に相談をした
青島は一之進に筋を通した後、徳内村を尋ねた
徳内村でも、小規模ながら養豚を手がけていたからである
徳内
「とは言え、豚肉の塩漬けはもちろん、ハムとかベーコンと言うのは、どうやって作るんだ?」
それぞれの、製法に関しては、書籍から滝川先生が概要をまとめた
一番の問題は、屠畜、解体であった
徳内村には、経験者がいなかった
そこで、徳内はシノッに頼った
他のコタンに比べ、貨幣経済に親しんでいた事もあり
賃仕事として、シノッは引き受けた
材料を徳内村から供給し、加工をコタンで受ける事になった
塩漬け肉は、早々になんとかなった
製法に特別なコツがあまり必要がなかったためだ
しかし、ハム・ベーコンはそうは行かなかった
その苦労は、また別の話で
なんにせよ、これが蝦夷地での食肉飼育の嚆矢となった
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